一茶の句は他の人の句とは一風変わってるよね
正岡子規は一茶の句を滑稽・諷刺・慈愛だと特徴づけたんだ
滑稽とか風刺は川柳に突出した特徴だとも言えそうだけどね
それを確かめるため一茶の代表的ともいえる有名な句を観た
①雀の子そこのけそこのけお馬が通る
②我ときて遊べや親のない雀
③やれ打つな蝿(はへ)が手をすり足をする
④これがまあ終(つひ)の栖(すみか)か雪五尺
①~④のどの句にあなたは滑稽とか風刺を感じるだろうか?
慈愛なら私は④以外の①~③に感じる。それで思った
子規は滑稽や風刺だと想ってもそれは普遍的な感覚ではない。
雀の子にお馬が通ってあぶないからよけなさいと教える一茶、
その一茶の姿を滑稽と感じるか優しいって感じるか‥個人差か。
食べる物がなく住まいもなく飢えて凍えてる人を見てどう想う?
可哀相だと想う人がいるし、汚い・どっかへ消えろの人もいる。
風刺についてはどうだ?
④は風刺と捉える人もいるとは想うが、皆が皆そうではない。
風刺と採るばあい、批判されてるのは? 一茶か? 政治か?
批判してる一人は子規だろうけど、それは健康的感覚なのか?
つまり、正岡子規は俳句をつかって何かを批判する感覚なの?
まあ、一茶の俳句四句しか挙げてないから結論は出せないが‥
ともあれ、
一茶の作句姿勢に無理は感じられなく、道理に則った感覚だ。
それゆえ一茶のは俳句以外の何物でもないと結論づけておく。
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