草田男の件で触れた自句自解‥もう少し考えておきたい。
真直ぐ往けと白痴が指しぬ秋の道 草田男
草田男の自句自解(観)を「黒姫四百号(記念号)に寄せて」に観てみよう。
>この句は師の自句自解によると、「ある日、田舎道を一人で歩いていた。村人に自分の行先を告げ、そこへ行く道順を尋ねた所、たまたま村人の傍に居た一人の白痴(現代の遅進障害児)が、その指で道を真直ぐに指し示した。その瞬間的動作から一種の啓示を得てこの句が生まれた」との事で、‥
(このように)黒姫の主宰・神田氏は草田男の自句自解を人伝に知った。これは何を意味するかというと草田男の自句自解(観)は育っていない時代であり環境だったと云えそうです。『自句自解』の出生は認められてなくて数多の辞書に現在はまだ載っていない。それで合点がいく。今から31年前に亡くなった草田男に自句自解観が育ってなくても仕方ないと理解してやらねば気の毒だ。俳句を「座の文芸」と観ていたらしい草田男が私と同じ感覚でないのは寧ろ当然でしょう。
解放(5)で触れたが芭蕉の俳諧は川柳~俳句の広きに亘るのであり、下流の川柳は座の文芸に相当し、民衆の意識を俳句に高める入口・導入部に当たると理解すると分かりやすい。そのような場で自句自解論を展開したところで理解されるものでなく、わいわい騒いで遊んでいたユルイ談義の座で発したフレーズを誰かが書き留めたものを草田男の自句自解としたのであれば文書として残っている筈なく、これは草田男がきっちり説明したと考えないほうが辻褄があう。それなら未熟な弟子にヒントを与えたつもりの草田男の気配りに混乱の原因があり、これは草田男の勇み足・蛇足と云われても仕方ない。
これは「座の文芸」が駄目というのでなくて、限界と捉えるべきであり、限界は乗越えることで次のステップへと進むのが正しいが、これにどっぷり浸かってしまうと脱け出すのが困難になる。何ごとも入口で立ちどまっていてはそれ以上の成長は望めず、後続の邪魔になるからこれは教育をほどこす感覚が必要な場面であり、しかし教育観が育ってなければどうして未来を考えることができるだろうか。芭蕉が平均台から下りてきたのは永住するためでなかったのは明らかで弟子は先へ先へと進むべきなのに、これは俳句界全体に言えることだが、彼らが立ちどまって動かない・前向きの意識が働かないのには原因があることになる。
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