daiozen (大王膳)

強くあらねばなりませぬ… 護るためにはどうしても!

普通を分別する

2011年06月07日 | 詩心

普通って何ですか?

分別の読み方には「ふんべつ」と「ぶんべつ」があって、

「ふん別」は昔から、「ぶん別」は近年用いられていて、

「ぶん別」は「ふん別」の意味に副って解釈されている。

「ぶん別」は塵の仕分けに用いられるから馴染みがあり、

「ふん別」は人間の内面に関して用いられてきたようで、

すなわち「あの人は分別がある」という風に用いられる。



あなたは自分では分別があると思っているかも知れない、

それならあなたは「普通」をどう分別しているだろうか、

日本人は『圧倒的多数者』を普通であると見做していて、

普通であること、すなわち、普通を社会常識としている、

それゆえ少数派の人を毛色が違うなどと差別する人ても、

普通・常識的な自分であると世間に認められたいようだ。



それにしても、あなたはなぜ普通・常識にこだわるのか?

あなたは何故そんなにまで世間に認められようとするか?

世間はあなたに普通・常識的な生き方を要求しているか?

あなたは世間に迎合しなければならない訳でもあるのか?

世間もあなたを迎合させなければならない訳があるのか?

あなたは普通・常識的でなければ困った事態が起るのか?



そりゃあ確かに、

いじめ社会ならば、その社会の普通・常識を強いられる、

独裁体質の組織であれば、そこの普通に迎合させられる、

自分の意思を表に出す人間は独裁者から疎まれ憎まれる、

奴隷根性がない従業員は黴の生えた餅を食べさせられる、

部下同士が不仲だと機嫌を好くする心歪んだ上司もいる、

それらは民主思想が根付いていない社会・組織なのです。



まあ、私は黴が生えた餅ぐらいでは生抜いていますけど…

だが大概の人間は苛めに遭えば鬱を発症するに違いない、

苛めは現実には凄まじいから、自殺にまで追い込まれる、

そんな中の一部の人間から毎年3万人以上自殺している、

自殺に追込まれるまえに、大声をあげて騒げば好いのに、

どこそこの脳外科で殺されかかったと叫んでも構わない。



飼い馴らされた人間は鬱を発症して自殺する破目になる、

しかもそんなことはないとは誰も言えず、反論もしない、

日本は苛め社会ではなく、民主社会だと言えたら好いが、

それなら何故、日本人は横並びになって安心したいのか、

出過ぎず、引っ込み過ぎず、目立たない位置に居たがる、

民主主義国家・日本と言いながら、歯切れが悪い日本人。



これはやはり、認知症に追込まれた症状と捉えるべきか、

なにせ民主主義の筈なのに、人は弱者の悪口ばかり言う、

強い者に対しては這いつくばってペコペコしている日本、

そしてその姿勢・生き方を「普通・常識的」としている、

自分の意見を堂々と表明できない社会は民主主義なのか、

普通とは、常識的な大人の理想像とは…なんでしょうか?



あなたにはどのような「ふん別」をお持ちでしょうか?

あなたの「ふん別」は普通を見分けられるでしょうか?

あなたはご意見を堂々と発言なさってる人でしょうか?

私たちは認知症の生みの親になっていないでしょうか?

あなたの普通は、正義を正義といえる普通でしょうか?

普通って? あなたも御一緒に考えてみてくださいね?



私の場合、普通の人のなかに正義の人を見ていきます。

私が正義を見る『普通の人』とは正常な人のことです。

あなたが『普通の人』という人は正常な人でしょうか。

不正義を平気で許すダラシナイ人ではないでしょうか。

なお【普通って?】の記事にもっと詳しく載せました。

茶色文字は「2011年6月18日」に追記したものです。





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