daiozen (大王膳)

強くあらねばなりませぬ… 護るためにはどうしても!

俳句の道

2014年09月07日 | 俳人 - 鑑賞

俳句を楽しみたいとお考えになられる人は、如何したら好いのでしょうか。
一つは、いずれかの句会の師匠について、手ほどきを受ける道があります。
これは「句会の意味」で述べましたように、師匠の主観に染まることです。
師匠に同化する事で、お弟子さんの発想は師匠の発想に近づいていきます。

それなら、他者に同化する事に抵抗を感じる人はどうしたら好いでしょうか。
「師匠に染まるのがお嫌なら、ご自分の道を歩むしかない」と申しましょう。
では、師匠の主観に縛られないように学ぶには如何したら好いのでしょうか。
それについては過去に例を見ていきたいと思います。

「守旧派」の高浜虚子に対して、河東碧梧桐は「新傾向俳句」を提唱します。
つまり河東碧梧桐の俳句の考えと、守旧派の高浜虚子の考えは大きく異なる。
それで碧梧桐は俳句の活動の舞台を「ホトトギス」の外に移したのでしょう。
碧梧桐は荻原井泉水とも行動を共にしたけれど、そこも出て独自に活動する。

自由の心を失わないから、俳人(詩人)は己が道を追求し続け・前進できる。
虚子の考え方に飽き足らず、ホトトギスを離脱した俳人に山口誓子がいます。
私が尊敬する俳人・橋本多佳子も山口誓子と共にホトトギスを離脱している。
逆パターンとしては、虚子が杉田久女の個性・主観を嫌って破門にしている。

誰もが「どうしても自分の俳句を詠みたい」と考えて句会を離脱なさいます。
けれど、句会を離脱しても一人で句作を続けられる人は少ないかも知れない。
生半可な気持で離脱して「ホンモノ」になれるものではないと云えそうです。
結局、離脱の意気込みは尊重するけれど、その後が最も重要と申せましょう。

橋本多佳子の場合「ホトトギス」を離脱後、俳句仲間の句会に加わっている。
彼女は奈良市での句会で厳しく鍛えられても、弱音を吐かなかったそうです。
彼女には特別な何かが備わっていて、それが支えになっていたのでしょうか。
ともあれ、自己の主観を客観へと昇華させた人の足跡から俳句の道が見える。

他人事だけでなく、私が歩んでいる「俳句の道」も申し上げなくては…(汗)
於多福姉もマトモな俳句を詠みたくて、それでこんな事を書いているのです。
私のやり方は、敬愛する橋本多佳子さまが詠まれた句を読んでいる最中です。
また、人様の句会に入らせて戴いて、私が投稿した句を批判して戴いてます。
私のやり方が正しいなどと、分かったような横着を申すつもりは有りません。


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