>あらゆる俳句はその始まりと終わりで切れる。
>さらに取り合わせの句は二つの素材を詠むから…「句中の切れ」がある。
切れ字については既に述べたが、ここでも櫂氏に付き合っていこう。
>一物仕立ての句は…一つの素材を詠むから…途中の切れはない。
>ややこしいことに一物仕立てでも句中の切れがある句がある。
* 石山の石より白し秋の風
>この句は「秋風が石山の石より白い」という意味の一物仕立ての句である。
>一物仕立ての句だが…「石より白し」と「秋の風」の間でも切れる。
この句を「二句一章」と考えた場合、心に宇宙が広がるでしょう。
節と節を切れ字でつなぐと捉えたら、そうならなければいけない。
それが、於多福姉が言い続けている「切れ字」の力なのですから。
櫂氏は「秋の風」を白いと結論付けているけれど、その根拠は何?
秋の風を白いと感じた人物は櫂氏の以前にいなかった訳ではない。
その人物の名前こそは俳聖・松尾芭蕉と言いはしませんでしたか?
「石山の石より白し」と「秋の風」のジョイントに浮ぶ宇宙空間。
「秋の風」が白いかどうか、その判断は宇宙空間に委ねましょう。
「秋の風」を白く感じるかどうかは読み手の感覚に任せましょう。
実際、どこの百科事典に「秋の風は白色」と書かれてありますか。
宇宙空間に入った長谷川櫂氏には「白い光」が見えたのでしょう。
すなわち、
「石山の石より白し秋の風」の句は【二句一章】です。
それにしても、
二句一章と一句一章のちがいを見分けるのは、難しいと言えます。
事実「一物仕立て」の句と「取り合わせ」の句を見分け間違いしてる。
>さらに取り合わせの句は二つの素材を詠むから…「句中の切れ」がある。
切れ字については既に述べたが、ここでも櫂氏に付き合っていこう。
>一物仕立ての句は…一つの素材を詠むから…途中の切れはない。
>ややこしいことに一物仕立てでも句中の切れがある句がある。
* 石山の石より白し秋の風
>この句は「秋風が石山の石より白い」という意味の一物仕立ての句である。
>一物仕立ての句だが…「石より白し」と「秋の風」の間でも切れる。
この句を「二句一章」と考えた場合、心に宇宙が広がるでしょう。
節と節を切れ字でつなぐと捉えたら、そうならなければいけない。
それが、於多福姉が言い続けている「切れ字」の力なのですから。
櫂氏は「秋の風」を白いと結論付けているけれど、その根拠は何?
秋の風を白いと感じた人物は櫂氏の以前にいなかった訳ではない。
その人物の名前こそは俳聖・松尾芭蕉と言いはしませんでしたか?
「石山の石より白し」と「秋の風」のジョイントに浮ぶ宇宙空間。
「秋の風」が白いかどうか、その判断は宇宙空間に委ねましょう。
「秋の風」を白く感じるかどうかは読み手の感覚に任せましょう。
実際、どこの百科事典に「秋の風は白色」と書かれてありますか。
宇宙空間に入った長谷川櫂氏には「白い光」が見えたのでしょう。
すなわち、
「石山の石より白し秋の風」の句は【二句一章】です。
それにしても、
二句一章と一句一章のちがいを見分けるのは、難しいと言えます。
事実「一物仕立て」の句と「取り合わせ」の句を見分け間違いしてる。