あなたは、俳句の写生はどこまで可能だとお思いですか?
何よりも詠み手の心象風景の確認作業は可能でしょうか。
現代人の言葉は人それぞれに独特の体温を持っています。
痛覚・味覚・音感などは人毎に少しずつ異なっています。
知覚・好き嫌い・得手不得手も、人毎に異なっています。
結局、完成した句に作者の心象風景を見るのは困難です。
つまり、写生できるのは物質か科学的な現象くらいです。
そしてそれも、長い時や距離を経る間に変質しがちです。
例えば、絶滅した日本の生物を詠んだ句は理解できない。
歳時記に載っている季語であっても死語はいっぱい有る。
既に消えてしまった昔の文化を詠んだ句の理解も難しい。
故に、写生した句を味わうには条件を満たす必要がある。
但し、写生した事実を通して理解し合える点が重要です。
写生することで人は互いの意志の疎通を容易に図れます。
詠み手と読み手の意思の疎通は、写生で確実に図れます。
即ち、人が豊かな心で生きるためには写生が重要になる。
その意味で俳句だけでなく他の芸術にも写生は重要です。
被写体がお金にしか見えない人は、寂しい人生な訳です。
写生:自分の目で見た物を、その物に近いと他の人が素直に受け取るような形で写すこと。(新明解国語辞典)