検索したところ、高浜虚子が「客観写生」を言い始めたらしい。
つまり、虚子は「ホトトギスは客観写生主義でいく」と言ったのです。
思えば、子規が事業家の才能を見込んで後を任せた虚子でした。
それで「客観写生が良い」とする本心はドコにあったのでしょうか。
「詠み手」と「読み手」の「言葉の一致」が「客観写生」でしょう。
「作者」と「鑑賞者」の「心の一致」で「客観写生」は成立します。
それでどうしたら「言葉の一致」や「心の一致」は成り立ちますか?
俳句の世界には「同人」「句会」「教室」などが多く存在している。
俳句を習いたい人のために、それらの組織への加入が勧められます。
加入してからは「お弟子さん」として「師匠」を素直に見習います。
弟子は「見よう見まね」「手習い」「言葉遣い」等を躾けられます。
躾けの良い点は『立派な師匠を見習えば、立派な弟子に育つ』です。
これは、優しい両親に育てられた幼児が優しい大人に育つ理屈です。
弟子にとっての「客観写生が生み出す長所」は他に考えられません。