daiozen (大王膳)

強くあらねばなりませぬ… 護るためにはどうしても!

2011年08月05日 | 社会問題を考える

【日本の明日(40)】


なでしこジャパンの直向きな試合運びに私は美・眩さを感じた。
日本中のファンが痺れた原因は彼女たちが発する輝きと思う。
人間が発する輝きは不思議としか言いようがない…命の輝き?

深い皺が刻まれた顔から発せられる輝きに見入ったことがある。
それは老いたインディオの顔だったり、大工の顔だったりした。
あるいは強敵を圧倒する力士の迫力に満ちた背中も輝いていた。

そうすると眼の輝きに美を感じるとばかりは言えない気がする。
私たちが美を感じるのはどのようなメカニズムに依るのだろうか。
面白いことに美形の女性を美しく感じられないことも珍しくない。

誰もが美しいという人を美しく感じないという人は実際いるようで、
誰も振向かない人に心を囚われる事実もじっさいにあるようです。
誰もが求める美、だが絶対的な美はないのか・・・美とは何だろう

モナリザを以前は美しいと思ったが、今はそれほどトキメカナイ。
子供のころ気に留めなかった写真に、最近は見入ることがある。
母を大すきな子供はいても、嫌いな子供の存在は考えられない。

…と、ここまでの観察から意味づけられることを繋ぎあわせたい。

そうすることで美の本質が私たちの眼にも見えてくるのである。
世界の智者たちが価値論で説く三価値の一つに加えられた美。
現実は美に振回されて身を持ち崩す人たちも大勢いらっしゃる。

美の本質に通じることで美に振回される人はいなくなるだろう。



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