サロン・風変わりな人材開発の宴 

人の育成について、色々な視点から書いていきます。これは、体験記であると同時に、次の人材開発施策に対するトライアルです。

強い方向性を示すリーダーシップ?しばらくは、リーダーの舵取りは、荒海に対応してバランスよく操縦する船頭さんのようであってほしいですね。

2017年02月05日 06時41分05秒 | 日記
リーダーは「こうしたいということを示せ」と言われます。方向性を示すことがリーダーシップの定義と言ってもいいでしょう。

非常に冷めた見方ですが、これって場合によっては危ないとは思いませんか。激変するというか、どう変わるかわからない状況で、「この方向で行くぞ」というのは。。。

荒れた海に船を出すとき、船長がそんな指示をすると思いますか? 絶えず天気予報や風向きや波のうねり、船の状態になど、様々なことに細心の注意を払いながら、船の操縦をしているのではないでしょうか。

「目ざすべき方向性を示す」重要性は否定しませんが、現在のビジネス・社会の環境は、戦後復興の「みんなでガンバレば報われる。一致団結して頑張ろう」とは異なるところにいます。混沌というより混乱した世界です。

但し、今の対応に追われると、時代のエゴに走ることがある。その象徴はバブルの時。バブルは日本人の精神をダメにした時代と思っています。戦後、人命と国土の痛手から立ちあがった心とは異なります。そして今は危ない難しい時代です。こういうときに強いリーダーを待望するのは怖い。

1919年、当時最も民主的憲法を作ったドイツは、そのわずか十数年後、独裁者ヒトラーに
握られてしまう。扇動されたんですよね。そして、今、、、、、。

強い方向性を示すリーダーシップ。大丈夫でしょうか。状況即応、そしてどんな態勢になっても持ちこたえられる組織体を作る。しばらくは、リーダーの舵取りは、荒海に対応してバランスよく操縦する船頭さんのような心であってほしいものです。


「働き方改革」を構成する要素を、個人別に考えてみるのはどうでしょう。

2017年02月01日 07時16分51秒 | 日記
新聞・ニュース等で必ずと言っていいくらい取り上げられる「働き方改革」。この発端は、何と言っても長時間労働による悲劇の数々。

「働き方改革」について、色々と考えてみると、たんに残業削減するだけではもう一つ足りない様に思います。その残業削減も、口で言うほど簡単ではないです。それでも有識者は「働き方改革」を唱えます。それでいいと思います。そして、成果を挙げる会社も出で来ているので。

但し、「働き方」に目が行きすぎて、働くプロセスばかり着目していないか気になります。追及すべきは成果です。この成果を出すには、どんな作業が必要かです。

一例を挙げます。これは個人的な体験なので、この方法が正しいと言うつもりはありません。企画についてですが、私は考える時、自分の頭で考えるのは最小限にします。代わりに、情報の収集と、そこから得られた関係性を認識。そして、様々な人との対話。そこから気が付いて企画に結びつく。

企画というと、一所懸命机にかじりついて考えている姿を思い浮かべますが、自分には合いません。
更に、視覚という要素が入ってくると、よりアタマがクリアになりますね。
私にはこのほうが早いみたいです。

どうなんでしょう。自分にとって、どういう働き方がよいのか。それをAとします。そのAを実現するにあたり、必要となる要素、例えば労働時間、仕事内容、お給料、、、という要素が複数ある。

まず、個人として、この要素を決めて、それぞれの比重、或はどういう順番かを定義できると、その人の「働き方改革」が見えてくるのではないでしょうか。

好きで好きで長時間、自らの意志で働いている人。健康面では注意していただきたいのですが、その人に対して、「短時間で働きましょう」というのは、親切な言葉ではあっても、本人は「よけいなお世話」と思うかもしれませんね。

如何でしょう。それぞれ個人の中に「働き方改革」を実現するための要素を複数挙げる。そして、その比重、プライオリティを考えて、その実現に近づけてみるというのは。




人事考課で、前期の評価を正しく行うことはできるのか否か。 

2017年01月28日 09時28分35秒 | 日記
米国の映画を観ていると、冒頭の10分でスリルのあるシーンを見せて、観ている人を惹き付けることをよくやる。

それと関係はないが、アメリカのトランプ大統領。就任して一週間で矢継ぎ早に大統領令を発し、世界の目を釘付けにしている。まさに「トランプ劇場」

政治家の是々非々は、後世に託すべきであって、現代に生きる我々が簡単に評価すべきではないと思っています。

それでは、いつから評価が始められるのか。
①その実績が完了していること。スポーツ選手ならば引退が好例。
②その実績に関する史料が豊富にあること。
③近くにいる人からの証言が取れること。等々。

ということは、現在進行形のものは難しい、或は評価はできないということになります。

人事考課。一応、前期を評価します。本当か。人の知識・思考・行動は、そのはるか前からの蓄積が「前期」をもたらしているので、前期のみの評価を下すことは難しいとは思いませんか。

前期を「ノルマ」で評価したとします。一般に、「ノルマによる評価」はよくないと言う印象があります。例えば、「16年度下期 受注1億円」は結果だけです。しかし、その前の過去を引きずった評価でないとするならば、つまり本当に「前期」だけを評価するならば、妥当な評価だとは思いませんか。そうしたら、「今回がダメなら、来期がんばろう」とはならないでしょうか。

ハロー効果。「あの人はダメ」と決めつけた気持ちは、評価に影響をもたらします。それは、評価される人には伝わるもので、更に人事考課で示されれば、もう決定的。そのように評価された本人は落胆し、成長が止まる。

ノルマによる人事考課を推奨もしませんし、否定もしません。
しかし、評価する人が過去を引きずって前期を評価するなら、「前期のノルマ」の評価も難しいかなと思っています。そうかといって、前期とそれ以前を、別人の如くゼロクリアして評価することも難しいですよね。

仕事のことは考えるが、自分のことは考えない 仕事に向かって逃避してる?

2017年01月27日 07時52分25秒 | 日記
仕事は大変だ。次から次と問題が降りかかる。その対応に日々追われる。しかし、「それが仕事だ」と観念する。

そして、あるとき、ポッカーンとしたとき気づく。いや、実は時々気づいてはいるが、敢えて考えないようにしている。何か。「自分のことは考えていない」こと。考えたところで何かが変わるというわけではないから? 或は「今は仕事」だから? 

逆に言えば、「自分から逃げて、仕事の方に向かって逃避してる」と言うのは言いすぎでしょうか。

では、「自分のことを考える」って、どうやれば。

それこそ、キャリアデザインの手順があり、市販の本でも読めば概略はつかめます。しかし、大部分の人が、キャリアデザインの本を読んで「よし、やるか」となるのでしょうか。

そもそも、「自分を変える気力・努力を考えたら、今の自分を踏襲しているほうがラク」では?。

そして、もっとも難しいのは、キャリアデザインの決まり文句=『「強み」を生かしましょう』というセリフ。そk「強み」は、人と比べて相対的に多少勝る強みではないかなと思います。そうでなければ、就活で全員が内定取れるはず。もちろん、就活では「強み」だけで判定されませんが。

こんな例は如何でしょう。江戸時代の浮世絵。時の政権からも侮蔑された絵画。
しかし、ゴッホを始め、印象派の画家たちは、競って浮世絵を画風を模して傑作を残しました。
そうです。浮世絵は印象派の先生なのです。日本における世界に誇る「強み」でした。
今の日本で言うならば、輸出で稼いでいるアニメみたいなもの。
この強み。鎖国の日本にあっては、徳川政権はおろか、描いた本人だって知らないでしょう。

キャリアデザインにもそういうところがあると思います。自分で自分のここが強い???。
考えないよりいいですが、過信は禁物。

そう言う意味では、「自分のことは考えない」気持もわかるのですが、「強み」を知る・知らないでは、自信に雲泥の差が生まれますよね。


基礎は大事。しかし、もっと大事なのは基礎の使い方

2017年01月26日 06時50分15秒 | 日記
「基礎は大事」と、誰もがいいます。この言葉に反対する人はいません。
しかし、基礎ってなんですか?と聞くと、案外ファジィな答えが返ってきます。ファジィというか、これが基礎の全貌というものがありそうでない。いや、ある。。。。

例えば、プロジェクトマネジメント。計画・実行・検証・是正というPDCAについて、より精緻化した「知識」体系。

実は、「プロジェクトマネジメントの知識体系を用いてうまくいきました」という話はあまり聞きません。この知識体系を守って仕事をするのは正しいと思いますが、かなり大変。

この道のプロならばいうでしょう。「これはプロジェクトマネジメントについて基礎となる知識体系であって、方法論として強調しすぎるのは曲解」と。

要するに、基礎は大事なのです。但し、その基礎を自分の業務にどう活用するか。それは、各人の工夫・努力に依存する。

もし、多くの人が活用に苦労するものは、基礎としての活用のほうを考えるべきでしょうか。

プロジェクトマネジメントの知識体系を揶揄しているわけではないのです。ただ、初めて学ぶ人には難しい分野。せっかくの体系が残念と思っている次第です。


その問題は誰のものですか? 解決者はだれですか? 案外、混迷状態。

2017年01月25日 07時42分21秒 | 日記
「これは大変な問題なんです」と言われた時、どう思いますか?
「そうだな」と思うとき、「そう?」と半信半疑になるとき、或は「その問題、自分には関係ないよ」というとき。色々とあると思います。

私が気になるのは、「その問題って、誰の問題?」ということです。例えば、甲さんが自ら「甲の問題」と言い、他に関係する人がいなかったら、他の人からは「がんばってね」と言われるでしょう。つまり、「私は数学が不得意です」に対しては、「甲さん、がんばって勉強しよう」です。

では、甲さんが「それって、乙さんの問題です」と指摘し、乙さんが「そうですね」と認識してくれたらよいのですが、そうでない場合は厄介です。当人の問題なのに、問題と思っていない。或は逃げている。

そして、更に問題を複雑にしているのは、「解決者は誰か」と言う点です。問題の解決者が、問題の当事者ではない場合がございます。例えば、経理で決算業務に支障が出ているといます。経営幹部から「何やっているんだ」と言われても、社内の情報システムを修正しなければならないとすると、経理担当者は情報システム部門に依頼せざるを得ない。

ここで困るのは、問題の解決者が問題の当事者ではないとき、「よし何とかやってみよう」という気持ちになってくれるか否かです。

「その問題は誰の問題か」「その問題を解決するのは誰か」でもめている、或は曖昧にしている状態。問題そのものよりも、そちらのほうに視点が移り、却って問題が大きく、且つ複雑に見えてしまう。これは、組織にとって無駄なことであり、組織が混迷する状態を招いたりします。

「やりぬく」の判定は? 

2017年01月24日 07時40分42秒 | 日記
「GRIT やりぬく力」という本が話題になっています。
わたしも、走り読みですが、読んでみました。書いてあることはなるほど思いつつも、この本が売れていることの背景は、「やり抜くことがいかに難しいか」を感じました。

「やりぬく」について、気をつけたいのは、「この方法しかない」ということへの評価だと思います。「この方法でよいのか」について冷静な見方。むろん、気持ちとしては、絶対にやり抜くという姿勢は大事だと思います。

絶対やり抜くという気持ちと、この方法しかないというのは同じではありません。わたしは、ここを勘ちがいしないようにしています。この方法は、自分の考え・方法に固執しないこと。これにつきると思います。

普段の努力がある中で、「聞く・調べる・考える」こそ、やりぬく力が必要なのではないかと思います。

このとき、誰に聞くとよいのか。どうやって調べたらよいのか。どのように考えたらよいのか。こういうものをもっておくとよいのでしょうね。これも試行錯誤の連続です。

「これひとつでやりぬく」ということで、歴史的な失敗はいろいろあります。ここで挙げるのは不適切ですので挙げませんが、残念な過去を糧としなければなりません。

「やりぬく力」アンジェラ・ダックワース著 神崎朗子訳 ダイヤモンド社
  ↓
https://www.amazon.co.jp/%E3%82%84%E3%82%8A%E6%8A%9C%E3%81%8F%E5%8A%9B-GRIT-%E3%82%B0%E3%83%AA%E3%83%83%E3%83%88-%E4%BA%BA%E7%94%9F%E3%81%AE%E3%81%82%E3%82%89%E3%82%86%E3%82%8B%E6%88%90%E5%8A%9F%E3%82%92%E6%B1%BA%E3%82%81%E3%82%8B-%E7%A9%B6%E6%A5%B5%E3%81%AE%E8%83%BD%E5%8A%9B-%E3%82%92%E8%BA%AB%E3%81%AB%E3%81%A4%E3%81%91%E3%82%8B-%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%83%A9-%E3%83%80%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%82%B9/dp/4478064806/ref=sr_1_1?s=books&ie=UTF8&qid=1485210901&sr=1-1

上司の優劣から、仕事の優劣、能力の優劣を考えたことはありますか

2017年01月22日 08時28分31秒 | 日記
上司に優劣はつきもの。そこに好き嫌いは出るのも仕方がない。その際、仕事に対する思い入れがないと、仕事まで嫌いになってしまうことも。

気持は分かりますが、この気持は変えた方がいいと思います。能力が停滞する恐れがあります。

裏を返せば、仕事をする姿勢が上司依存かもしれません。ひょっとしたら会社依存。
これは、大企業の社員の方に見られますね。失礼な表現でお詫びしますが、「ぶら下がり健康法」。

「職業に貴賎なし」と言う諺があります。仕事に対して良い・悪いという感覚は、あまり考えないかもしれませんが、配属先の職場の雰囲気や、仕事の内容で左右されのるかと思います。

確かに、魅力的な仕事、そうではない仕事、注目される仕事、日陰の仕事。それぞれあるでしょう。

こういう要素に縛られて、仕事に対する適性の有無を考えるのは良いことではないと思います。 むろん、今の仕事以外のことを考えるなということではございません。外的要因を気にしすぎて、自己の能力向上の機会を見失うことを恐れています。

今の仕事から、仕事の本質を考えてみる。顧客・社会も含めて、その仕事に関わっている人について考えてみる等、いろいろなことを考えるのが必要ではないかと思います。

かつて、勝ち馬に乗った営業職で、今はもうひとつという人がおりました。たまたま時流に乗っただけ。先輩方が敷いたレールに乗っただけ。能力のアップは乏しかった。本人、それに気づいていたようです。気づいて変わらなかったのはラクだったから。「今更、、」の気持ちも。

賢明な皆様に、釈迦に説法で恐縮ですが、やはり最後は自分自身ですね。



コンプライアンスは難しい。しかし遵守する。

2017年01月20日 07時17分04秒 | 日記
コンプライアンスは難しい。これについて、こと詳細に話す必要はないと思います。

コンプライアンスを法令遵守と訳したことに色々な意見があります。法律を守るのは当たり前。しかし、それだけでは何か足りない。

それは何か。人の心ではないかと思います。
人の心? 「法律さえ守っていればいいではないか」
そうなのでしょうか。

法律が未整備の場合。或は複数の法律を運用するときに、それぞれがバッティングする場合。
ここでは本当に難しい判断が求められます。

更に、「本当に難しい」のは、ここに人間の感情が加わるケース。これは、事実とそこから構築された論理だけでは解決しないケース。この場合、個別の対応も考えなければなりません。

しかし、その個別の対応は、「その時がよければよい」では不十分で、一貫した姿勢がもとめられます。これがないと、都度対応が右往左往して困惑する。

話し変わって、コンプライアンスを無視して、挑んでくる組織もあります。こういう組織に対して、グローバルスタンダードとしてのコンプライアンスを唱えても、馬の耳に念仏。くやしいですね。

結論。コンプライアンスは難しい。しかし遵守する。
   これ以上、申し上げるべき言葉はありません。






「やってもいないでコメントせず、渦中の栗を拾ってから言ってほしい」の気持ち

2017年01月18日 07時31分44秒 | 日記
「近年、若い人が本を読まない。ゲーム、スマホ、アニメ」と旧世代の嘆きは、今に始まったことではありません。

個人的には、これは回答が難しいと思っています。まず、ゲーム、スマホ(SNS、LINEのことを言っていると思うのですが)、アニメを一括りにして語ることが間違い。

どんな媒体にせよ、その媒体から得られた「何か」を考えた発言ではないから。
大切なことは、その「何か」と、現実の世界をつなげて考えられるか否かかと思います。

その際、「世間一般ではこう考えている」と、「自分はこう考えている」の両方をもっていること。前者だけでは意志無き協調性、後者だけでは唯我独尊に走る。どちらもダメ。

会社に入って、変に協調性を意識して和を重視しているものの、単なる付和雷同にしか見えない場合がある。

一方で、「ここを突きぬけて、突破してほしい」という場面で、思考と行動が一致せず。そのコメントが、なんともいえぬ唯我独尊なこと。自己の正当化。しかし、気持ちはわかる。

「これはいえない」と思いつつ、「やってもいないでコメントせず、渦中の栗を拾ってから言ってほしい。」と言っていたある管理職の言葉が重い。

その際、他人の経験を、事実と論理で様々な体験ができる読書は大切だと思うのですが。そうそう色々なことに直接経験ができるほど、時間とお金に余裕があるわけではないだろうから。






社内の仕事や規則等を軽減し、外に打って出ていく姿勢を作りましょう。

2017年01月16日 07時32分36秒 | 日記
スポーツで、相手のミスで勝つというケースはよくございます。ビジネスでもそういうことはございます。競合の戦略・戦術の失敗で、市場からの撤退を余儀なくされるケースです。この場合、「漁夫の利」で、自社に利益が転がり込んでくることがありますね。

上記のケース。「漁夫の利」を得たビジネスのその後を見ていると、どうもパッとしない。バットしないというのは、落ちていくというのではなく、進取の気性がもうひとつになる。「儲かったのはうれしいが、忙しくなって新しいことができなくなった」という気持ち。棚ボタの勝利のはかなさかもしれませんね。

もうひとつのケースで、相手の弱点をついて勝つというケースもあります。
スポーツを例に挙げるならば、相手の弱点をついてミスを誘い、それによって勝つというケースです。

戦略・戦術としては、後者のほうが望ましいです。
しかし、これは競合のことを相当研究していないとできない。

どこの会社も人手不足で、社内のオペレーションをまわすのに精一杯で、新しい事、競合の弱点を突くような勝負ができるのは、超大手のような人材の質・量が豊富なところではないと難しい時代になってきたと思います。

超大手以外の会社としては、社内で有効とは言えない仕事や規則等をできる限り軽減し、外に打って出ていく姿勢を強引に作らないと、社員も内向きになり、外で戦えなくなるのではないかと思います。

その会社の将来は、やはり厳しいものになるのかと思います。


「温故知新」から「温己知新」へ

2017年01月14日 23時23分41秒 | 日記
「温故知新」という言葉。知らない人がいないくらい著名な語句で、その解説を聞くと、ほとんどの人が「なるほど確かに」となります。

 歴史の好きな人は、特にこの言葉に対する想いはつよいと思います。「過去の教訓を現代に活かす」というたぐいのもの。

 一方で、最近、テレビ各局で、歴史の再発見や見直し、或は他の研究分野からみたときの視点を取り入れて、歴史を再評価する動きが活発になっています。具体的にどこがどう変わるという議論は、ここではするつもりはありませんが、「随分、違うになあ」と思うようになりました。

 簡単に、「温故」をしてはならない。というか、できない。従来の通説から教訓を持ってくることは危険。特に歴史好きな人は。

 一つの提案。「温故知新」を「温己知新」にする。きちっと冷静に自分をふり返る。そこから、教訓を得て、新たな自分を作る。

言葉としては簡単ですが、「きちっと冷静に自分をふり返る」のは難しいです。しかし、これは訓練。日々、是、訓練。その積み重ねでなっていくものと思います。

グローバル?

2017年01月09日 09時59分02秒 | 日記

最近、グローバルと聞くと、違和感を持つ事が多いです。グローバルというのは簡単にいうと、ボーダー(境界)の無い世界。普遍的な価値で世界を見て対応していくもの。

違和感の3例を挙げたいと思います。
 その1 グローバルと叫んでいるのは、一部のところだけで、ほとんどは世界情勢とは関係なく、ローカルな状態が続いています。それは、海外に転戦してきた人の中にも、「世界のこととはあまり関係なく現地で過ごしていた」と言う例があること。

 その2 米国の選挙や英国のEU離脱など、境界を作って逆の現象に世の中が動き出している気配があること。

 その3  人材開発部門のグローバル施策。語学研修や海外派遣を中心したものが多いのはわかりますが、これは一昔前のグローバルと言う言葉が出てくる前の時代と何が違うのかということ。

ネガティブなことをいってますが、昔は「国際化」、今は「グローバル」。しかし、やっている仕事のほとんどは「地域」対応が多い。

但し、「地域」対応をする際に、視点として、世界共通となる規範や考え方を踏まえておくということが、グローバル人材の肝ではないかと思います。

しかし、現実は、「世界共通となる規範や考え方」を知った上で(?)、それを無視するかのように対応していく「地域」の戦いが展開されいる状況ですね。

よく、短期の海外派遣研修よりも現地赴任した方がよいといいますが、それはわかります。しかし、素手で行くのは危ない。現地に詳しい人がいない場合は尚更です。そういうことを避けたい気持ちもあると思いますが、現地で「日本人だけで集まる」ようになる。

それに反対しているのではありません。危険なので仕方がないです。今なら、ITを駆使してバーチャルな体験を、国内で学習できるツールがあるのではないかと思います。

    

本は自分で選びましょう。新しい自分の発見につながります。

2017年01月07日 20時43分46秒 | 日記


本を人に推薦することについてどう思われますか。
私はあまり賛成できません。

価値観、知識、問題意識、関心、経験、めざすもの、役割、感情等、これだけの要素があると、誰ひとりとして、同じ人はいないのです。

本を強制的に読まされ、「本は面白くない。やはりゲーム、アニメだ」と言う人は少なからずいらっしゃると思います。

人に勧められる本を否定しませんが、「自分に必要な本は自分で探そう」が結論です。

では、どうするか。

大きな書店や図書館に行って、手当たり次第に本を見ていくことです。
その際、分野を限定せず、様々な分野の本を見ていくことがお勧めです。
一字一句読む必要はありません。
書名、目次、著者の経歴、最初の数頁、真ん中あたり。そして最後のほう。
その中で、「あっ、これだ」というものが見つかると思います。

「意外。今の自分は、この分野に魅かれるんだ」という本との出会いがあるはず。

この感覚を大事にしていただきたいと思います。

これ、新しい自分の発見です。


「正しいOJTか否か」に向き合える人材開発部門でありたいですね

2017年01月06日 21時42分17秒 | 日記


人財開発の領域を「研修」「OJT」「自己啓発」という三分野でみたとき、人材開発部門の人が語るのは、研修のことばかりということはないでしょうか。
 
人材開発部門の人が、研修の内容のことばかり考えている姿、そして研修後にアンケートを取って、「よかった」という評価を頂いて満足した気持ちになっていることに違和感を覚えます。
(それが「研修部」という部門のネーミングならば、特に異存はございません)

要は、人が育っているかどうか。そこを統括するのが人材開発部門の役割ではないでしょうか。

この議論をすると長くなりますので、簡潔に結論だけ申し上げますと、
「正しいOJTが展開できるようにする」 これにつきます。(自己啓発については別の機会で)

OJTとは、上司が仕事を通じて部下を指導して育成することですが、それが正しいか否かを見抜けないといけないと思うのです。難しいことですが、ここから目を背けないほうがよいですね。
なぜなら、人が育つのは職場だからです。

ここに正面から向き合えるか否か。正に人材開発施策の成否が問われます。
「それは、職場の仕事だ」と思うのでしたら、部門名は研修部にしたほうがよいかもしれません。