サロン・風変わりな人材開発の宴 

人の育成について、色々な視点から書いていきます。これは、体験記であると同時に、次の人材開発施策に対するトライアルです。

「会議の長=職場の長」より、「会議の質問者=職場の長」は如何でしょうか。

2016年12月19日 21時40分37秒 | 管理者
「会議の長=職場の長」というケースは多いですね。多いというか当然なのかもしれませんが。この場合、部員は自由に意見が言い憎いですよね。いくら、「自由に意見を言ってよい」と言っても、上司と異なる意見を言うことは難しい。むろん、会議の決定は、その場の会議の長を務めた職場の長でいいのですが。
 「そんなことは私は大丈夫。部員の意見は聞きだせているから」と思っている職場の「長」の方がいたとしたら、少し考えてみてください。会議中、自分と同じ意見を言う部員に対しては、「ウンウン」と頷いたり、「そうだね」と言ったりしていませんか。一方で、自分とは異なる意見を言った部員に対しては、どこか面白くない気持になりますし、それは我慢していたとしても、表情には出ますよね。その表情を部員はみています。「長」が不満そうな顔していたら、「ああ、これは反対なんだな」と察知し、「長」とは異なる意見になりそうなものは言いだしにくくなります。そう思いませんか。「長」である皆さんだって、そうなのではありませんか。これまでの日本の会社では、それができない人の多くは、「上には上がりにくい」のですから。
 「会議の長=職場の長」がダメだとしたら、「司会=職場の長」はどうでしょうか。「それではみなさんやりましょう。自由に意見を言ってください」と軽快に開会を宣言したとしても、部員は、軽快なノリにハマって気楽に意見をいうでしょうか。この場合、私は、「長」の個人的な資質に依存すると思っています。上手にファシリテーションしているのかもしれません。部員間同士の問題ならば。しかし、部員間同士の問題で決着がつかない時、部員はどうするかというと、「長」に意見を求めるか、或は決定を委ねるかです。そうすると、「司会=職場の長」は、「意志決定=職場の長」にならざるを得ません。むろん、そのことを否定するつもりはありません。随所、随所に「長」としての判断を入れるのは当然でございます。しかし、その意思決定をした瞬間、解放されるのはその問題について考えなくて済んだ部員です。この場合、時間との戦いということを考えたとしたら、「長」が意思決定者として「君臨」するのは止むを得ないかもしれませんが。
 では、会議の時、「職場の長」はどうすればよいのか。発言してはまずいのか。そんなことはございません。最後、決めるのは自分であるということを考えると、自分の意思決定の確度を高めるために、良い方法がございます。それは、部員に対して質問をすることです。「それってどういう意味? よく知らないんだけれど」と返してみましょう。これですね。すごく微妙な表現で、次のように答えたらどう思いますか? 「何言ってるんだか分からない。なんだそれ」という言い方です。私は、この質問に対して、「分かろうとしないあなたが悪い」「理解できないアタマの回転がよくない」「現場知らず」と思っています。「長」自身が自分の思考回路にハマらない場合、「何言ってるんだか分からない。なんだそれ」と発言をする人はけっこういますね。表現を間違えると、部員を頭ごなしで否定することにもなるわけです。
 だからと言って、「へりくだれ」と言っているわけではありません。端的で的確な質問は、部員のアタマを整理することができ、その結果、わかりやすい意見がでることがございまかす。ある意味で、コーチングだと思います。「会議の質問者=職場の長」は如何でしょうか。 

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