和束 茶源郷ガイドの会「徒然草」

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和束 茶源郷ガイドの会 番外編 8月7日

2017年09月23日 21時05分17秒 | 日記
                     渡邊一族のお参り

8月にお盆のお墓参りが終わったかと思えば、9月は秋彼岸のお墓参りがあります。
田んぼの畦の赤い彼岸花がお彼岸の時期を教えてくれています。
お盆や彼岸というとすぐ思い浮かぶのが先祖を偲んでのお墓参り。
さて、今日は御先祖にまつわる話題をお伝えします。
お盆やお彼岸にお墓参りをされる方はたくさんいらっしゃると思いますが、そのほとんどはご自分の家のお墓だったり、
実家だったり親類のお墓だったりと想像します。
しかし、一族のお参りとなると数は絞られてきます。
お墓ではありませんが、その一族の碑にお参りをされている方々が、和束町の中にいらっしゃいました。
渡邊さん一族です。石碑は和束町で唯一残る勧請縄を張られる近くにあり、家のお墓とは離れたところにあります。

石碑には寛平7年8月7日、「元祖源融公碑」と印されています。
同じくこの石碑の側面に大正3年8月建立渡邊一族と刻まれています。
渡邊一族の御先祖が源融(みなもとのとおる)公で、大正の時代に渡邊一族の方々が石碑建立を賛同され、
ここに碑を建てられたそうです。



毎年8月7日には一族の方が碑の前に集まられお参りされます。
今年は天気が悪く雨模様。それでも、何の力か毘沙門寺の住職さんがお参りをされる頃には雨もやみ、
みなさんが見守られる中お経が始まりました。
毎年竹筒は新しいのを準備されます。
長い竹筒の中の色鮮やかな花々、数々のお供物。和紙で巻かれた蝋燭の炎が風に揺られ、
お線香の煙に渡邊一族の方の思いを乗せ、寛平7年(896年)の古にお経が届いて行くようでした。
この日の諸々の準備は今年の当屋(とうや)の方がされました。
公碑の横には多くの地蔵さまが見られました。この地蔵さまを皆さんは渡邊地蔵さんと親しみと敬意をもって呼ばれています。

石碑建立当時、渡邊一族は16軒あったそうですが、今では当時より軒数は少々減っているものの、
皆さんで大事にこのお参りを続けておられます。
皆様の最後に私も線香を分けて頂いてお参りさせて頂きました。
今回は町や区を離れての取材でしたが、和束町にある隠れた宝にまた出会えた日になりました。

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