亀と鴎の挑戦

トリニータや千葉ロッテなどスポーツ観戦を中心に投稿します!

あの時やった○○は成長につながったのか #5「野球」

2021-08-13 17:54:48 | あの時やった○○シリーズ

今回は野球編です。野球は中学の1年~3年の時にやってきました。これで学生時代にやってきた部活は全て紹介したことになります。

 

 

入った当時はポジションは特に決まっていなかったのですが、気づいたら外野をやっていました。個人的にはレフトからの眺めのほうがやりやすいなと感じていましたが、それなりに走力に自信があった関係から、ノックの時はほとんどセンターをやっていました。

 

1年のときはベンチ外でしたが、上級生が抜けてからはレギュラーポジションでした。練習試合ではほとんどの試合で代打や守備交代をさせられていましたが、公式戦では自分の記憶の中では全試合でフル出場でした。つまり、どこか物足りないと感じているが、仕方なくスタメンで使うしかないという位置づけの選手でした。レフトやライト志望が多く、センターのポジション争いが少なかったことも幸いした結果となります。

確かにエラーは多かったかもしれないし、打率はそこまで残してないかもしれないが、出塁率に関してはチームの中でトップ3に入っていたはず。ただ牽制死は2回ほどやらかしたので、出塁しても良い印象を持たれなかったことは事実。

 

打順はだいたい7番か8番がほとんどで、たまに2番に回されることがあったくらいです。バントは練習でも毎回成功するレベルではなく、なぜ2番に回されたのか自分でも疑問に思っていたくらいでした。なので先頭打者には出塁しないでくれと毎回念を送っていました笑

ちなみに公式戦ではバント成功率は100%でした。たった1回でしたがその1回を運よく決まりました。

 

野球をやっていて最高に嬉しかった瞬間は、公式戦で満塁のチャンスが巡ってきたときに走者一掃のタイムリー3ベースを打ったこと。3塁ベースに着いたときに父と弟の声援が聞こえたので、ガッツポーズをしたときが最高の瞬間でした。

ちなみに、この回(表)で5点もぎ取りましたが、裏の攻撃で5点取られ振り出しに戻されました・・・。そして試合は5-9で負けてしまったので、タイムリーを打ったことよりも試合に勝てなかった悔しさのほうが大きかったですね。

 

 

俺がレギュラーで出られているくらい決して強いチームではなかったので、公式戦でも地区予選止まりで上を目指せませんでした。自分の中で限界までやったとは決して言えないが、これ以上頑張れと言われてもどこかで気持ちが折れただろうから、最後の試合で負けた後でもこんなもんかという感じで不思議と悔しさは感じませんでした。前述の逆転負けのほうが涙を流したいくらい悔しかったです。

 

 

大人になってからも社会人チームに入っていましたが、転勤をきっかけにチームを抜けてそれっきりです。一応道具はすべて揃っているので、始めようと思えばできる状態です。人見知りということもあり、おそらくやることは無いでしょうけど。

 

 

じゃこの辺で


最新の画像もっと見る

コメントを投稿