普段ニュースを見ていて、私が時々感じている違和感と同じ感覚を抱いている人がいました。しかも、きちんと解説してくれています。その方は新聞に月1回長めのコラムを掲載している編集委員の芥川さん。
「取材の担当者が出てきて司会者の質問に答える場面。聞き手が普通の会話口調で尋ねているのに、答える側が原稿を棒読みするような朗読調で応じている。ここは両者のやりとりを傍聴することで視聴者が理解するという設定の「場」。つまり二人は「おしゃべり」をすればいい。声の調子も、おのずと目前にいる人に語りかける生動感を帯びるはず。ところが聞き手の声はきっちり語り手に届いているのに語り手の声は聞き手を通り越して視聴者の方へ直接向かってくる。双方の言葉の距離感がちぐはぐで、しゃべりの場として成立していない。だから聞きづらい。」
なるほど、と思いました。私が感じていたどこか「デキレース」のような「他人事」のようなニュースの「場」の正体はそういうことだったのですね。あたかも視聴者の代表のように質問する司会者、誰に聞かれても同じように答えるだろうと思うような通り一遍な答え方をする記者、どちらも疎ましくニュースの事実さえ分かればチャンネルを変えてしまうことがよくあります。
ただ、コラムではこの話は「まくら」で、本題は「おしゃべり」にあります。おしゃべりの言葉はその場限りで消えてしまう、ある意味はかない消耗的行為と芥川さんは述べていますが、最近、その行為に生命活動そのものとも言える現象が起きていることを紹介しています。
その研究をしているのはニューヨーク大学教授の梅田さん。梅田さんは記録した会話の音波に不思議な波形を発見したそうです。そこには話者の気分、感情、会話全体の流れ、当事者間の人間関係などによって形成されると思われる音の波が大小いくつもの階層構造をなしてまさに躍動していたと言います。
梅田さんは考えたそうです。これは言葉の構造や規則が生み出す波ではない。聞き手を含むその場の空気や状況、周囲の自然の動きなどが、互いに呼応し、話し手の無意識に働きかけて生み出した、いわば「生のリズム」の波であると。
私自身、おしゃべりはあまり得意ではありません。その場を盛り上げる話題を提供できるわけでもなく、話題に困ったときに小ネタでつなぐテクニックもありません。人のプライバシーを詮索するのは嫌いなので個人的な質問から会話を広げてゆくこともしたくありません。
相手が5を話す間に2くらいの適度な相槌を打ち、その会話を深めるような1の話題を提供している方がラクです。それでも、相手と会話をして理解したい・より良い関係を築きたい・相手にリラックスしてもらって何でも話してほしいという気持ちだけは人一倍強いのです。困った・・・。
そしたら、芥川さん、こう断言してくれました。
「文法が間違いだらけでも幼稚な言い回しでも、起承転結がなくても、場に応じたしゃべりになっていれば話は通じます。逆に、朗読するように整然と言葉を連ねても、よりよく人と通じ合えるわけではない。つまりしゃべり言葉は「不完全な文字言葉」ではない。無意識のうちに働く人間の「情動」を駆動源に「よきリズム」を求めて大きくうねり進む、まったく別原理の言葉なのだ。」
「軽やかに運び、緩やかに流れる、風や波のようなリズムのおしゃべりは人生の喜びです。」
おしゃべりに自信がないからこそ、私が大切にしているのがリズム。目の前の相手がどんなリズムの持ち主なのか、出来るだけ早く察知してそのリズムに馴染んで呼応したいと思っています。
「取材の担当者が出てきて司会者の質問に答える場面。聞き手が普通の会話口調で尋ねているのに、答える側が原稿を棒読みするような朗読調で応じている。ここは両者のやりとりを傍聴することで視聴者が理解するという設定の「場」。つまり二人は「おしゃべり」をすればいい。声の調子も、おのずと目前にいる人に語りかける生動感を帯びるはず。ところが聞き手の声はきっちり語り手に届いているのに語り手の声は聞き手を通り越して視聴者の方へ直接向かってくる。双方の言葉の距離感がちぐはぐで、しゃべりの場として成立していない。だから聞きづらい。」
なるほど、と思いました。私が感じていたどこか「デキレース」のような「他人事」のようなニュースの「場」の正体はそういうことだったのですね。あたかも視聴者の代表のように質問する司会者、誰に聞かれても同じように答えるだろうと思うような通り一遍な答え方をする記者、どちらも疎ましくニュースの事実さえ分かればチャンネルを変えてしまうことがよくあります。
ただ、コラムではこの話は「まくら」で、本題は「おしゃべり」にあります。おしゃべりの言葉はその場限りで消えてしまう、ある意味はかない消耗的行為と芥川さんは述べていますが、最近、その行為に生命活動そのものとも言える現象が起きていることを紹介しています。
その研究をしているのはニューヨーク大学教授の梅田さん。梅田さんは記録した会話の音波に不思議な波形を発見したそうです。そこには話者の気分、感情、会話全体の流れ、当事者間の人間関係などによって形成されると思われる音の波が大小いくつもの階層構造をなしてまさに躍動していたと言います。
梅田さんは考えたそうです。これは言葉の構造や規則が生み出す波ではない。聞き手を含むその場の空気や状況、周囲の自然の動きなどが、互いに呼応し、話し手の無意識に働きかけて生み出した、いわば「生のリズム」の波であると。
私自身、おしゃべりはあまり得意ではありません。その場を盛り上げる話題を提供できるわけでもなく、話題に困ったときに小ネタでつなぐテクニックもありません。人のプライバシーを詮索するのは嫌いなので個人的な質問から会話を広げてゆくこともしたくありません。
相手が5を話す間に2くらいの適度な相槌を打ち、その会話を深めるような1の話題を提供している方がラクです。それでも、相手と会話をして理解したい・より良い関係を築きたい・相手にリラックスしてもらって何でも話してほしいという気持ちだけは人一倍強いのです。困った・・・。
そしたら、芥川さん、こう断言してくれました。
「文法が間違いだらけでも幼稚な言い回しでも、起承転結がなくても、場に応じたしゃべりになっていれば話は通じます。逆に、朗読するように整然と言葉を連ねても、よりよく人と通じ合えるわけではない。つまりしゃべり言葉は「不完全な文字言葉」ではない。無意識のうちに働く人間の「情動」を駆動源に「よきリズム」を求めて大きくうねり進む、まったく別原理の言葉なのだ。」
「軽やかに運び、緩やかに流れる、風や波のようなリズムのおしゃべりは人生の喜びです。」
おしゃべりに自信がないからこそ、私が大切にしているのがリズム。目の前の相手がどんなリズムの持ち主なのか、出来るだけ早く察知してそのリズムに馴染んで呼応したいと思っています。