諸葛菜草叢記

 "窓前の草を除かず“ 草深き(草叢)中で過ごす日々の記

“雨水”ー草木萌動

2010-02-19 16:27:59 | 日記・エッセイ・コラム

 雨水・・《冬至より60日。この時期から寒さも峠を越す。雨が降って土が湿る。》 

  1日約50数秒、今日で一時間程、日没が延びたことになります。土堤の菜の花は、一株だけが以前から、花を付けていました。季節到来をうかがうパイロット=“魁”(さきがけ)なのでしょうか。“蘇生” 好きな言葉です。

  山の端の はつかにかすみ春立ちて 我に続けや 菜花の一もと  -夢 蔡ー

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  枯れ園の日陽しの中に鶫ゐて 旅立つ刻を空に訊ねむ  ー夢 蔡ー

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  ツグミ  河原の枯れ草の茂み当たりから、「クエ~クエ~」 と独特な鳴き声を立てながら飛び立ちます。人影のない公園の芝生を飛び跳ね、虫を探しているようです。春が、もう少し深くなると “北へ旅立ち”、季節は動きます。

 言葉なく ただ眺めいる山の端に ゆるりゆるりと日は入りゆく  ー夢蔡ー

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    西の端は 雲ひとつなく茜染む 春を兆すや荒船台地  ー夢 蔡ー

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  過っては、この荒船台地が良く見渡せた。しかし、此の風景の手前は、工場・新興住宅地・鉄道高架・送電線が林立して、今や一望することは出来なくなりました。(画像処理でなんとかしたもの。)

  山気 日夕に佳なり  /    飛鳥 相与(ともに)に還(かえる)る  /  此の中に真意あり  /  弁ぜんと欲すれども すでに言を忘れたり ー 陶 淵明 ー〔「飲 酒」より)

 * 抄訳・・ 《この夕暮れの中に真意がある。それについて述べようと思ったが、もはや言葉など失ってしまった。》

 人は、自分の中に、「言葉など超越した世界」をひとつやふたつは、持っているのではないだろうか。言葉を必要としない「“癒し”」の世界は、「汗を流し去った心持ちに」 ( 漱石 )してくれるものです。もっとも、最早、人生そう気張って生きる時間も残り少ないのですが・・・。

   梅が香や ゆるりゆるりと 日は入りむ  ー夢 蔡ー