諸葛菜草叢記

 "窓前の草を除かず“ 草深き(草叢)中で過ごす日々の記

歳月人を待たず VOL2

2018-06-29 14:04:18 | 日記・エッセイ・コラム

  前回の投稿以来、一年が過ぎてしまいました。

 何人かの読者の方が、当ブログにアクセス頂いており、誠にありがとうございました。

 テンッションが、落ちっぱなしで、文章が、書けませんでした。

 本当に、久しぶりで、公園に出かけました。

  やはり、【 石 猿 】は、怒っておりました。

「君は、『時』をを失いすぎている。そのような人は、私を利用しないでくれ 

「分かっておるのですが /////・・・・・すみませんでした。

「実は、先日、以下の短歌に出会ったもので、出かけてきました。」

 ・・・< 秋艸道人・会津八一 作 「自註鹿鳴集」より>・・

   こころ なき おい が いろどる はにざる の まなこ いかりて

  よ の ひと を みる

  ※ こころなきー無心なる。素朴なる。よのひとをみる―唐詩に「白眼ニシテ

 他ノ世上ノ人ヲ見ル」といふ句あり。やや似たる趣なり。(原注)

  訳・・ 無心な老師が、塗った朱塗りの猿の眼が光って世の人を見ている。

       

    今日、世上は、どこか <イカサマ>なところが、散見されます。

 <はにざる>とは、あなた様のことではないかと思いまして、伺いました。

 「 世上の人たちの動きを見て、冷たい目で見ているってーーか 

  だから、どうすれば<イイ>がない・・・ニヒル=虚無感に流れるかも ネ」 

 「はい、解りました。

 

  禺(ぐ)なる字は 猿の象(かたど)り わが心 定まらずして 愚なりしかな

                                  夢 蔡

 

              ーーーーーー<了>-----