今日は観光協会主催「ツーリズムツアー 東部地区編」
役場周辺の名所を協会員20名で巡りました。
板宮神社境内のひのき
樹齢460年、高さ28mの古木。
こちらの杉の古木の5人が手をつなげました。
湧井の清水
途切れることなく湧き出す清水。この水を汚すと洪水が起きるとの言い伝えがあります。雨乞いの霊地でもあり、江戸時代には大祈祷がわれた記録があります。天然記念物、村指定の重要文化財です。
後藤の清水
小高い丘の上から流れ落ちる清水。その昔、山仕事にやってきた男が昼寝(ひるね)をしていたとき、ちょうど仕事の疲(つか)れでのどがかわいていたそうです。すると、夢枕(ゆめまくら)にお不動(ふどう)さまがあらわれ、この清水の場所を教えてくれたそうです。その後、この話をもとに、近くには東藤不動尊がまつられるようになったそうです。
法燈国師坐像
燈国師は東大寺や高野山で修行した鎌倉時代の高僧。中国から味噌の作り方を伝えたことでも有名。この坐像には子供の夜泣きにが治るといわれ、安養寺には赤ん坊をつれた多くの参拝者がおとづれます。
小林家のしだれ桜
樹齢約28年、天栄村一番早く咲く桜
吉祥院の桜
古刹、吉祥院の境内にある樹齢400年の巨木。花は深い紅色。
この桜の咲き具合で稲の種まきが行われたことから、別名「種まき桜」と呼ばれています。
河童淵
江戸時代のころ碁打ちの好きな殿様がいました。碁打ちに興じて夕暮れ時、帰城したところ突然、馬が騒ぎ出し不審に思った殿様は、馬を良く見てみると、なんと河童が馬の尻尾を抜こうとしてるではありませんか、怒った殿様は河童を手討ちにしようとしたところ、河童は悲しげに「私には多くの子分や家族がいます、今殺されては、皆が路頭に迷ってしまいます。どうか殺さないで下さい」と涙ながらに命乞いをしました。憐れに思った殿様は、この地を水害から守るのであれば許してやろう」と河童と約束し詫証文を取り許しました。詫証文は、地中深くに埋め祠(ほこら)を建てました。不開神社(現在:赤津神社)となって水難除けの神様として祭ってあります。
現在でも、たびたび洪水は起こりますが、不思議と人畜や農産物に被害はなく、今でも河童詫証文は信じられています。
丸山の清水
四季を通じとうとうと裏山からわき出る名水。朝な夕なに村内をはじめ、周辺の市町村からも水をくみにおとずれる人々の姿が絶(た)えません。
桑名の不動清水
杉林の中に不動尊(ふどうそん)がまつられ、その手前の地底からわき出る清水です。水温は年間を通じて一定で、昔、この清水で目を洗うとたちまち目の病気が治るといわれていました。また、顔を洗うと美人になるともいわれています。
竜ケ塚古墳
およそ1400年前の前方古墳。当時この地を支配していた石背国造第五世、建磐主命の墓といわれます。福島県重要文化財。近辺には国造遺跡志古山遺跡などあり、古印「丈部龍麻呂私印」も出土し、ヒストリーウォッチングに最適なエリアです。
大里城跡
須賀川 二階堂家の家臣 矢田野安房守の守った城。伊達政宗の1万の大軍に対して400名の城兵で40日のろう城戦勝利した難攻不落の名城跡。日本三大稲荷の竹駒稲荷神社の始まりも城を守った武将が信仰し、後に伊達家が分霊したことから広がりました。
このような階段が続きます
からぼり跡
周囲は急な崖
二の丸跡
本丸跡
ふるさと文化伝承館
「天栄村ふるさと文化伝承館」は、村の文化と伝承を次世代へと受け継いでいくための学習の場をつくろうと平成10年に完成しました。館内は、伝統的なふるさとの文化を学ぶ「伝習室」と「展示室」に分けられています。展示室は、「原始・古代」「中世」「近世」「近代的」とテーマ別に分類され、村の歴史を知る貴重な資料とともに分かりやすく展示されています。他にも、昭和初期の農家の暮らしや伝統産業を紹介するコーナーなどもあり、村の文化の拠点として広く利用されています。
展示コーナー
葵の紋のながもち・・・徳川家ゆかり?
幻の後藤焼
幻の後藤焼2
今日のツアーはここまで、次回は来春の開催予定です。