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親と子 言葉の行き違いから

2018-10-01 23:45:03 | 感じること・感じたこと
親から子にかける言葉。
その影響は、親が思っている以上に大きい。


エーリッヒ・フロムの「悪について」には、こんな節がある。

(以下、引用)

子どもは、善意と愛情と正義を信じて人生を始める。赤児は母親の乳房と、寒い時にはすぐ暖かくしてくれ、病気の時にはすぐ慰めてくれる母親の態度を信頼している。
この信頼感は、父母や祖父母周りの全ての人を信頼する心でもある。神を信頼する心と表現してもいい。大抵の人間では、この信頼感は幼い頃に粉砕される。
子どもは大切なことに父親が嘘を言っているのを聞いたり、父が臆病にも母を恐れ、母を喜ばすために、自分(子ども)を裏切る態度を示すのをよく見る。
(中略)
両親の愛情と正義と正直を信じていた生まれながらの信頼感が、粉砕される機会は数えきれないほど多い。



愛情と正義と正直を信じていた生まれながらの信頼感が、粉砕される機会は数えきれないほど多い

この箇所を読んだ時にはギョッとした。
…が、言い当てている。


私が子どもの頃に感じたことと、親になって子どもに言われたこと。
思い返してみた…


また、こうも書かれている。


子どもが不幸であったり心を痛めているのに、自分のことを心配していると日ごろ口にしている両親が、どちらもそれに気づかなかったり、たとえ両親に申し出ても何の注意も払ってくれなかったりする。


何の注意も払ってくれなかったりする。

こういうケースはよくある話ではないかと思う。
親はそれほど重要視せずに、子どもからの話を軽く流してしまう。


子どもはそうじゃない。
親には心配をかけたくない、いい子でいたい…といつも思っている。
なので、困ったことを親に打ち明けるとなると、それなりの勇気が必要。
軽い対応を繰り返されると、「どうせ言っても無駄」と次第に諦めてしまう。


保育所で働いていた頃の研修でも、「諦める乳児」の話を聞いたことがある。

お腹が空いた、オムツが汚れた…歩き出す頃までの乳児は、これらの殆どを泣いて訴える。
不快を訴えて泣いた時に、心地よくしてもらえたと認識した子は、世話をしてくれている人への信頼感が生まれる。

…が、泣いても放置されることが続くと、不快を感じても訴える為に泣かなくなり、諦めてしまう。。。


そして「どうせ僕なんか…」「どうせ私なんか…」と、自己否定の種を自らに植え付ける。
子どもの頃に蒔かれた自己否定の種は、なかなか消えはしない。
大人になっても、それに苦しめられることになりかねない。







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