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学校に行くとか、行かないとか…

2018-10-06 17:00:55 | 我が家の子育て
我が家の不登校の話。。。




今年24歳になる息子。
社会人2年生。


学校に行くのを渋った時期が2回。
幼稚園も入れると3回。

幼稚園なんてのは遊びの延長なので、嫌がれば躊躇なく休ませていた。
夫は異論を唱えていたが…



本格的に渋ったのが小学校2年生。
全校児童50人ほどの小さな学校から、転校した先は全校児童1000人超。
それだけでも圧倒されて、十分行きたくなくなるだろう。

しかも転校の理由が、母親である私のPTSDによるもの。
学校の大人数で圧倒され、慣れない土地、家に帰ると不安定な母親。
そりゃ、子どもも不安定になる。
ちなみに父親も精神的に不安定だった。

義父の自殺未遂がこの事態を招いた。
子どもが登校を渋るには、必ず理由がある。


その次は中学1年の時。
入学した中学は、小学校が3校一緒になった。
派閥のようなグループがあって、権力争いのようなことが日常的に起きていた。
荒れた学校で有名だ…というのは、入学してから知ったこと。

1学期の中間テストが終わる頃には、登校時間になると泣き出した。


学校も荒れていたが、家の中も静かに荒れていた。
小学校を卒業する頃、夫…つまり息子の父親は、大阪市内の高層階マンションが買えるほどの負債を被った。
連帯保証人になっていた親戚が、密かに自己破産していた。


父親は酔っては暴言を吐き、常に不機嫌だった。
「離婚して欲しい」と息子は度々、私に訴えた。


荒れた学校と家庭。
落ち着く場所がない。




子どもが不安定になるのは、必ず理由がある。
登校を渋るのもちゃんと理由がある。



登校しない = 学校の責任
不登校 = いじめ


という図式が描かれるようだけど、必ずしもそうではない。


息子もいじめになりかねない芽はあった。
からかいの延長上に、いじめはある。
からかわれている時期に、息子は対処できたから、いじめにはならなかった。

学校は気付いていなかった。
分かったのは、息子が話してくれたから。


学校を休んでいても、登校した時にからかわれることもなかったようだ。


休むことを咎めなかった。
そして学校にも、休む理由を伝えた。


当時の日本社会に於いて、学校に行かない選択をしたらどうなるか…ということは、息子とよく話し合った。



行ったり休んだりしながら、中学2年の2学期からは、1日も休まずに卒業した。
自分で目標を決めて、自分で行き始めた。

葛藤は大きかったと思う。
親として全力で支えた。
荒れる父親からも守った。


あくまでも、我が家のエピソード。



行きたくないには理由がある。
それを分かってあげたい。


子どもは常に親の前では、
頑張っている。




今日は真夏のような陽射し





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