我が家の不登校の話。。。
今年24歳になる息子。
社会人2年生。
学校に行くのを渋った時期が2回。
幼稚園も入れると3回。
幼稚園なんてのは遊びの延長なので、嫌がれば躊躇なく休ませていた。
夫は異論を唱えていたが…
本格的に渋ったのが小学校2年生。
全校児童50人ほどの小さな学校から、転校した先は全校児童1000人超。
それだけでも圧倒されて、十分行きたくなくなるだろう。
しかも転校の理由が、母親である私のPTSDによるもの。
学校の大人数で圧倒され、慣れない土地、家に帰ると不安定な母親。
そりゃ、子どもも不安定になる。
ちなみに父親も精神的に不安定だった。
義父の自殺未遂がこの事態を招いた。
子どもが登校を渋るには、必ず理由がある。
その次は中学1年の時。
入学した中学は、小学校が3校一緒になった。
派閥のようなグループがあって、権力争いのようなことが日常的に起きていた。
荒れた学校で有名だ…というのは、入学してから知ったこと。
1学期の中間テストが終わる頃には、登校時間になると泣き出した。
学校も荒れていたが、家の中も静かに荒れていた。
小学校を卒業する頃、夫…つまり息子の父親は、大阪市内の高層階マンションが買えるほどの負債を被った。
連帯保証人になっていた親戚が、密かに自己破産していた。
父親は酔っては暴言を吐き、常に不機嫌だった。
「離婚して欲しい」と息子は度々、私に訴えた。
荒れた学校と家庭。
落ち着く場所がない。
子どもが不安定になるのは、必ず理由がある。
登校を渋るのもちゃんと理由がある。
登校しない = 学校の責任
不登校 = いじめ
という図式が描かれるようだけど、必ずしもそうではない。
息子もいじめになりかねない芽はあった。
からかいの延長上に、いじめはある。
からかわれている時期に、息子は対処できたから、いじめにはならなかった。
学校は気付いていなかった。
分かったのは、息子が話してくれたから。
学校を休んでいても、登校した時にからかわれることもなかったようだ。
休むことを咎めなかった。
そして学校にも、休む理由を伝えた。
当時の日本社会に於いて、学校に行かない選択をしたらどうなるか…ということは、息子とよく話し合った。
行ったり休んだりしながら、中学2年の2学期からは、1日も休まずに卒業した。
自分で目標を決めて、自分で行き始めた。
葛藤は大きかったと思う。
親として全力で支えた。
荒れる父親からも守った。
あくまでも、我が家のエピソード。
行きたくないには理由がある。
それを分かってあげたい。
子どもは常に親の前では、
頑張っている。
今日は真夏のような陽射し
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学校の大人数で圧倒され、慣れない土地、家に帰ると不安定な母親。
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ちなみに父親も精神的に不安定だった。
義父の自殺未遂がこの事態を招いた。
子どもが登校を渋るには、必ず理由がある。
その次は中学1年の時。
入学した中学は、小学校が3校一緒になった。
派閥のようなグループがあって、権力争いのようなことが日常的に起きていた。
荒れた学校で有名だ…というのは、入学してから知ったこと。
1学期の中間テストが終わる頃には、登校時間になると泣き出した。
学校も荒れていたが、家の中も静かに荒れていた。
小学校を卒業する頃、夫…つまり息子の父親は、大阪市内の高層階マンションが買えるほどの負債を被った。
連帯保証人になっていた親戚が、密かに自己破産していた。
父親は酔っては暴言を吐き、常に不機嫌だった。
「離婚して欲しい」と息子は度々、私に訴えた。
荒れた学校と家庭。
落ち着く場所がない。
子どもが不安定になるのは、必ず理由がある。
登校を渋るのもちゃんと理由がある。
登校しない = 学校の責任
不登校 = いじめ
という図式が描かれるようだけど、必ずしもそうではない。
息子もいじめになりかねない芽はあった。
からかいの延長上に、いじめはある。
からかわれている時期に、息子は対処できたから、いじめにはならなかった。
学校は気付いていなかった。
分かったのは、息子が話してくれたから。
学校を休んでいても、登校した時にからかわれることもなかったようだ。
休むことを咎めなかった。
そして学校にも、休む理由を伝えた。
当時の日本社会に於いて、学校に行かない選択をしたらどうなるか…ということは、息子とよく話し合った。
行ったり休んだりしながら、中学2年の2学期からは、1日も休まずに卒業した。
自分で目標を決めて、自分で行き始めた。
葛藤は大きかったと思う。
親として全力で支えた。
荒れる父親からも守った。
あくまでも、我が家のエピソード。
行きたくないには理由がある。
それを分かってあげたい。
子どもは常に親の前では、
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