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長崎原爆投下の日に…

2018-08-09 07:44:35 | 感じること・感じたこと


8月9日
長崎原爆投下の日


悲惨な過去と
恩人の記憶を忘れない為に
何度でも記す





その日も
青空が広がっていたのかもしれない
セミが賑やかに鳴いていたのかもしれない



当時の恩人は医学生。
その日は、体調が優れなくて冴えない表情をしていたそうだ。
上官である医師から
「今日は休んでいいから、家に帰っておいしいご飯でも食べておいで」
と言われ、軍事作業を休んで長崎市内から佐賀の家へ帰って行った。

それが、早朝のこと…。

そしてお昼前、
長崎市内に原爆が投下された。


佐賀の実家で原爆投下を知った恩人は、
取って返すように長崎へ…。
投下の日から2日後に現地に戻った恩人が見たものは、
原型を留めない宿舎や軍事工場、働いていた医療施設…。

焼け野原になった町並み…。
あちこちに転がっている死体…。


恩人は百数十人の医学生の中で、
ただ一人生き残った…上官の一言で…。

「僕はね、生き残ってしまったんだよ」と、
恩人は悔いるように話された。


申し訳なさそうに、悲しそうに。。。






恩人、田尻俊一郎医師は、
働きすぎて死に至ることを「過労死」と名付け、
生涯、労働者の為にご尽力下さった。


今の私が在るのは、
田尻先生のお陰。




先生の想いを受けて、
私も平和と戦争反対を訴え続ける。


先生が亡くなられて間もなく9年…






・・・・・・・


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