25歳の頃、保育士の職業病を罹患しました。
全身のしびれから身体に力が入らなくなり、一時期モノが持てず歩けなくなりました。
その時の主治医に言われた言葉です。
「病気を治そうと思わずに、病気と仲良く付き合っていけたらいいね」って。
当時、その意味は分かりませんでした。
治りたいから通院しているのに、「なんて酷いことを言うんだ!」と反論したものです。
3ヶ月休職し、復職後は条件付き勤務で週1回の通院。
それが3年程続き、その後、服薬を止め季節に1回の通院まで減りました。
減らすことができたのは、主治医の言葉が理解できたからです。
服薬で改善できるのは限界があります。
主治医はそれを知らせて下さっていたのです。
自分の身体を知ることです。
身体が悲鳴を上げる前に、悲鳴を上げないように、疲れたら「休む」。
身体が疲れると、気力が湧かなくなり、気持ちが沈みがちになります。
逆もあります。
気持ちが沈んでくると、思考がまとまらなくなり、身体が思うように動かなくなります。
どんな病気でもそうですが、「病気になる」のは『身体が無理をしている』のです。
コップに水を入れていくと、いつか溢れてしまいます。
溢れた状態が、「病気になる」ことです。
自分の病気を先ず知って、病気を受け入れて、どう付き合っていけばいいのか…感じてみることです。
容易なことではありません。
大変な苦痛と労力を必要とします。
私は病気と上手く付き合えるまでに、5年近くの時間が必要でした。
今でもちょっと油断すると、後遺症が出てくるので、身体の使い方や身体を休める工夫をしています。
過去の私を知らない人が見たら「なんでそんなことを?」と思われるような工夫です。
誰が何を言おうと、私には必要なコトです。
お陰で医者要らず、薬要らずになりました。
私が病気と上手く付き合えるようになったのは、主治医が時に厳しく叱り、励まし続けて下さったからです。
(15年程前の主治医と私)
人は「自分を見捨てず支え続けてくれる人がいる」と信じられることで、秘めたる力を発揮できるものです。
私はあなたを応援します♡
ランキングに参加しています。
全身のしびれから身体に力が入らなくなり、一時期モノが持てず歩けなくなりました。
その時の主治医に言われた言葉です。
「病気を治そうと思わずに、病気と仲良く付き合っていけたらいいね」って。
当時、その意味は分かりませんでした。
治りたいから通院しているのに、「なんて酷いことを言うんだ!」と反論したものです。
3ヶ月休職し、復職後は条件付き勤務で週1回の通院。
それが3年程続き、その後、服薬を止め季節に1回の通院まで減りました。
減らすことができたのは、主治医の言葉が理解できたからです。
服薬で改善できるのは限界があります。
主治医はそれを知らせて下さっていたのです。
自分の身体を知ることです。
身体が悲鳴を上げる前に、悲鳴を上げないように、疲れたら「休む」。
身体が疲れると、気力が湧かなくなり、気持ちが沈みがちになります。
逆もあります。
気持ちが沈んでくると、思考がまとまらなくなり、身体が思うように動かなくなります。
どんな病気でもそうですが、「病気になる」のは『身体が無理をしている』のです。
コップに水を入れていくと、いつか溢れてしまいます。
溢れた状態が、「病気になる」ことです。
自分の病気を先ず知って、病気を受け入れて、どう付き合っていけばいいのか…感じてみることです。
容易なことではありません。
大変な苦痛と労力を必要とします。
私は病気と上手く付き合えるまでに、5年近くの時間が必要でした。
今でもちょっと油断すると、後遺症が出てくるので、身体の使い方や身体を休める工夫をしています。
過去の私を知らない人が見たら「なんでそんなことを?」と思われるような工夫です。
誰が何を言おうと、私には必要なコトです。
お陰で医者要らず、薬要らずになりました。
私が病気と上手く付き合えるようになったのは、主治医が時に厳しく叱り、励まし続けて下さったからです。
(15年程前の主治医と私)
人は「自分を見捨てず支え続けてくれる人がいる」と信じられることで、秘めたる力を発揮できるものです。
私はあなたを応援します♡
ランキングに参加しています。