大連には本当に街並みにもロシアと日本の歴史が残っています。
先に大連駅は上野駅を模して造られたと書きました。
下記正面に見えるのは昔のロシア政府の建物です。今は廃墟?となって使われて
いないそうですが。。。(多分改修されるだろうとのこと)
ロシアの町並みですが、、
ロシア町旧跡のような意味で、、ロシアというのが日本語読みで呼ばれているのですね。
これは何度も来たのですが、。右側が日本占領時代に建てられた橋
左側が5年前に中国が建てた橋
左の橋は見た目も悪いし、構造も雑でしっかりしてるかどうかわかったもんじゃない、
綺麗じゃない。右側の日本の橋はコンパクトで構造も頑丈で美しい!
こちらの方がとてもよい、、と\(◎o◎)/!
でも、大連の人達も普通同じように思ってるのですか?と念のため聞いてみたのですが、
一般的には皆そう感じているとのこと。。。ふ~ん、そんなものか。。
まぁ、50年前の橋と比べられてぼろくそ言われてもって気分でしょうが。。中国の橋は
50年も持つかどうか。。。。確かに微妙ですね。(-_-;)
中国メーカーさんの話は更にいろいろ続きます。
1905年~1045年まで日本に40年統治されていて、教育も日本語しか使わせて
もらえなかった。。と。。
母国語は使えなかった。
だから今でも老人達はYシャツのことを日本語の「ワイシャツ」と呼んでいる、、とのこと。
なるほど。。。
これは「南山1910」という新しい別荘開発区の名前で、元の日本人居留区の
一部だそうです。元の建物を復元した感じで開発しているとか。。
そして名前の由来はなぜなら1910年の建物だったからだろうです。
大連は日本の古き良き時代?がここかしこに感じられる街ですね。