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大連にある身近な日本の歴史

2014-06-04 09:09:09 | 街角風景

大連には本当に街並みにもロシアと日本の歴史が残っています。

先に大連駅は上野駅を模して造られたと書きました。

 

下記正面に見えるのは昔のロシア政府の建物です。今は廃墟?となって使われて

いないそうですが。。。(多分改修されるだろうとのこと)

 

ロシアの町並みですが、、

 

ロシア町旧跡のような意味で、、ロシアというのが日本語読みで呼ばれているのですね。

 

これは何度も来たのですが、。右側が日本占領時代に建てられた橋

左側が5年前に中国が建てた橋

 

左の橋は見た目も悪いし、構造も雑でしっかりしてるかどうかわかったもんじゃない、

綺麗じゃない。右側の日本の橋はコンパクトで構造も頑丈で美しい!

こちらの方がとてもよい、、と\(◎o◎)/!

 

でも、大連の人達も普通同じように思ってるのですか?と念のため聞いてみたのですが、

一般的には皆そう感じているとのこと。。。ふ~ん、そんなものか。。

まぁ、50年前の橋と比べられてぼろくそ言われてもって気分でしょうが。。中国の橋は

50年も持つかどうか。。。。確かに微妙ですね。(-_-;)

 

中国メーカーさんの話は更にいろいろ続きます。

1905年~1045年まで日本に40年統治されていて、教育も日本語しか使わせて

もらえなかった。。と。。

母国語は使えなかった。

だから今でも老人達はYシャツのことを日本語の「ワイシャツ」と呼んでいる、、とのこと。

なるほど。。。

 

これは「南山1910」という新しい別荘開発区の名前で、元の日本人居留区の

一部だそうです。元の建物を復元した感じで開発しているとか。。

そして名前の由来はなぜなら1910年の建物だったからだろうです。

 

大連は日本の古き良き時代?がここかしこに感じられる街ですね。


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