9日間の旅だったが、ひとつにまとめると長いので前半を「その1」、後半を「その2」とする(クロアチア篇、長いなぁと反省)。
上の地図で示した➊~➌は、旅の前半に訪れた場所。
夏に予定していた旅をキャンセルしなければならなかったため、1年ぶりの旅立ち。エネルギー有り余ってたので、久しぶりに遠い所へ行こうと思い立つ。ものすごく安直だけど、CMなどで見るウユニ塩湖の鏡張りの景色見たい そういえば、愛読書『世界の教会』でボリビアに素敵な教会があったよね~ というわけで、今回の旅先が決まった。
1 (ダラス、マイアミ経由)⇒ ラパス(2016年12月25日)
ボリビアへの直行便はないので、アメリカで乗り継ぐ。私の場合、出国日・帰国日が決まっているので、行きたい場所を挙げて南米を専門に扱う日本の旅行社さんにスケジュールを組んでいただいた。アメリカで2回の乗り継ぎはあわただしい。まずダラスに降りると、荷物をピックアップしてまたイチから審査となるので、乗継便に間に合うかハラハラした。ESTAで2008年以降に入国したことのある者は自動チェックイン機を通らなければならないことに戸惑う。4年数ヶ月前(アルゼンチンへの乗り継ぎ)もそうだったっけ? 予想通り色々時間がかかり、水を買うくらいしかできなかった
ダラスで預けた荷物はマイアミではピックアップ不要、ラパスまで運んでもらえたのでスムーズ。しかも、マイアミ便・ラパス便ともに座席は通路側で隣は空席、ラッキー 世界最高所(標高4,082m)の空港に降り立つというのに、ワインをおかわりしてしまう。コップに注いでくれるのだが、ざっと200ml以上あるので、1/4ボトル渡されるよりもお得。白は酸がしっかりしてて、赤は濃縮感あって美味。アメリカン航空いいな
ラパス空港では入国審査にさほど時間を要さず、預け荷物もあっさり出てきた。現地時間、早朝5時過ぎの到着。
空港からラパスの街に下っていく途中の景色 夜が去りつつあり薄明るい空、すり鉢状に広がる家々の灯、背後にそびえるイリマニ山(6,402m)・・・この時間に到着してよかったとつくづく思った。写真撮れなかったのは残念だけど、心に残る風景(今にも車停めて!と言いたいのをこらえるしかなかった。だって、市街に向かう車で前後ビッシリなんだもん)。
空港に迎えに来てくれたガイドのZ君は大学生くらいだろうか。英語ペラペラ。聞き取るのがやっとだったけど、聞き捨てならぬ情報がもたらされた。
この2ヶ月、水不足に悩まされてると。先行きに暗雲がたちこめる。ウユニの鏡張りの景色は、雨が降ってなんぼ。降雨の後に地表にたまった水面に空が反射するわけで。
ま、限られた時間の中で、写真集のような景色にお目にかかれるとは思ってないけど・・・。
30分ほどでホテルに到着。この日は高度順応も含めて午前中に仮眠し、午後にラパス市内をフラフラ歩く予定。部屋に入ってほどなく眠くなってきた。眠りに落ちようかという頃、6時半に教会の鐘が鳴り響く。そうだ、ホテルの目の前はサン・フランシスコ寺院。イスタンブールの宿で、ブルーモスクのアザーンに起こされたその昔を思い出しつつ眠りに落ちた
4時間後にセットしたアラームでは起きられず、ウダウダしてしまう。今回の旅程で、ラパスとその近郊に行くならこの日しかなかった。ティワナク遺跡は無理そうだから、せめて市内の考古学博物館を見ようと思っていたが。博物館が13時クローズの日という不運もあり、これも叶わず
さて、まずは両替しなきゃならんのだ。早朝の空港で両替屋は開いてなかったと思う。怪しいスペイン語でホテルのフロントの方に聞いてみると、ここではやっていない、でも近くにあると。スマホを操作して見せてくれた画面と、自分のガイドブックの地図を照らし合わせる。どうやら教会の斜め向かいの角のようだ。確かに、歩いて30秒だろう。
それらしき場所は簡単に見つかった。が、人通り多い道端に、露店の構え、レートは書いていない。リスク高すぎ だけど、現地通貨なしでは暮らしていけない。意を決して、20ドル札を5枚出す。670bs(ボリビアーノ)になった。事前調査通りのレート、ホッ
こんなやり取りをしてても、人々は意に介さず通り過ぎていく。ヘンな物売りやジプシーが寄って来ることもない。ボリビアって、思ったほど治安悪くないのかも。
下の写真、左端にある小さな青いパラソルが両替屋さん(正面がサン・フランシスコ寺院。目抜き通りのマリスカル・サンタ・クルス通り越しに撮影)。
軍資金を得て、ムリーリョ広場を目指す。マリスカル・サンタ・クルス通りを横切り、急な坂道をのぼっていかねばならない。
そう、水がないんだった。空港でもホテルでも見当たらなくて、ダラスで買った500mlは風前の灯火。
下はたどり着いたムリーリョ広場。正面の黄色い建物が国会議事堂、真ん中にそびえ立つのがボリビア独立の英雄ムリーリョの銅像、右手の赤いのが大統領官邸。大統領官邸の隣にあるカテドラルは閉まってた。街歩きの時には必ずカテドラルに立ち寄ることにしてるのに、あら残念
ムリーリョ広場のクリスマス・デコレーションの喧騒を通り過ぎ、北西方向のハエン通りを目指す。完全に人けのない裏道。昼だから歩けるんだろーな。
たどり着いたハエン通りは、確かに植民地時代の面影を残すコロニアル風で小綺麗。しかし、今日は日曜なので土産物屋1つと旅行社1つしか開いてなくて、閑散
ムリーリョの家から 来た道を振り返る。石畳の向こうに、空の半分を埋め尽くすかのような家並みが見えた。「坂道は振り返るべし」 これ、格言にしよう。
ラパス便は到着前に何も出してくれなかった。水さえも
早朝チェックインしたホテルでは朝食をとる権利を持っていたのだが、10時までだったので食べるより寝るほうを選んだ。というわけで、さすがにお腹がすいてきた。
ガイドブックを読んで目をつけたお店へ向かうため、登ってきた坂を下り、サン・フランシスコ寺院もホテルも通り過ぎて、サガルナガ通りを上る。目星の店は閉まってた。ガイドブック情報では無休と書いてあるけど、まぁよくあるハナシ。次に向かう店はさらに坂の上。くうぅ~ 高地順応中の身にはこたえる
お店の間口は狭く、一見した感じ閉まってるのかと思いきや、引き戸が少し開いてた。おそるおそる覗き込むと、先客が1人・・・よし
結局、おススメのサルテーニャにする。肉とオリーブ、卵と野菜が入ったパイ。味付けが甘いのがやや気になったが、空っぽだった胃にはやさしいね。ビールいきたいところだけど、コーラで。普段全然欲しくもないのに、こういう時ってゴクゴク飲める。空気が乾燥してるのかなぁ
ホテルまでの帰り道、軒を並べる民芸品店を物色。さっそくエケコ人形【欲しいものが手に入る、幸運をもたらす守り神】を購入。
父へのお土産の定番、フクロウも目に入る(父は日本で旅に出ると好んでフクロウを買っていた。いつしかそれを知った私は、海を越えるたびにフクロウを探し求めるようになった)。ティワナク遺跡の立像風の石彫り。ウユニの岩塩でつくられたフクロウが第1希望なのだが、先のことは分からないので、ひとまず小さいのを買う。お守りのようだ。形によって意味が異なるみたいで、フクロウはfortune
店先で何がしか刻んでたインディヘナのおばあ様に「cuanto?」と聞くと、私の目をじっと見て「dos.」と指を2本立てた。うん。こういう瞬間、旅っていいなとしみじみ思う。
ホテルのそばには食料品店が無さそうなので、2リットルの水をインディヘナのおばあ様から買い、ホテルへ置きに一旦戻る。
まだ明るいので、再び外出。サガルナガ通りを再び上り、さらに南へ。週末ににぎわうというロドリゲス市場にたどり着く。16時を過ぎていたせいか人はまばら、引きあげたお店も多そうだけど、市場の名残がそこにあった。さらに賑やかな音のする方へ進んでいくと、音源はどうやら結婚式のようだった。誰も私のことなど気にもかけない。冷たくされているのではなくて、外国人がその辺にいることを普通のことと受け止めてる空気感。あぁ、なんてラクなんだろう
サン・フランシスコ寺院、昼間は入れたけどミサの最中につき、祭壇の前まで近寄れなかった。夕方の再オープンに期待したけど、開かなかった。やっぱ一期一会だぁ。
祭壇は遠目には金キラ ペルーはクスコで見たのと似てた。聖人とおぼしき立体の人形に服を着せてるのは、スペイン系のカトリックっぽい。
クーポラにティワナク風の彫刻があった。現地の文化と教会建築が融合してるのね。
外のファサードを見上げてみると、そこかしこにティワナク文化が根付いていた。下の写真、まずは遠景。その下の拡大した写真の中からティワナクっぽい部分を探してみてくださいね
寺院前の広場では踊ったり、大道芸したり、クリスマスの記念撮影したり、それを見る人達で常に人だかり。
写真屋さんが家族を撮って写真売ってる模様だけど、そのぬいぐるみってば・・・商標でモメそうだなぁ
翌朝の出発が早いので、早めに引きあげてホテル内で夕食をとる。サン・フランシスコ寺院の壁が見える席をチョイス。
ジョウロは、窓に貼り付けられた装飾(クリスマス)
高山病対策のため、腹八分目で終えねば。スープ飲みたいのを堪えて、トゥルチャ(鱒)だけ選ぶ。ジャガイモの上に鱒、玉ねぎにショウガ・ニンニク・トマト・ローズマリーで紙包み蒸し。あっさりしてて美味しい インディカ米とレタスも付いてくる。欧米風アレンジ料理の気もするが、ボリビア伝統料理にはこれから出合えそうだから今夜はこれでよし、と。
しかし・・・目の前にある冷蔵ケースには、ビールだけでなくワインも見える。昼間の街歩き中、赤白ワインにシードラも売ってた。うぅ~ 飲みたい
今のところ、高山病の兆候はナシ。ラパス空港に着いて入国審査待ってる時、鼓動が早くなってるなと感じたけど、頭痛も吐き気もない。仮眠後に胃が押されてるような、あまりお腹すいてないなーって感じたのと、上り坂がやや息苦しいくらい。丈夫な身体に感謝したい 明日夕方まで元気だったら、ディナーでアルコールいっちゃおうかな。性懲りもなく(笑)
しかし、今年のクリスマスは1.5倍浸った気がする。12月24日に日本を出て日付変更線を東に越えたから、イブを2回やったのだ。フライト・アテンダント達はもちろん仮装してるし、ラパスに着いてからもコスプレの人たちを見かけた。そういえば、冬に中南米来たことなかったな。ペルー8月、メキシコ3月、アルゼンチン3月だわ。
サン・フランシスコ寺院のミサはクリスマス礼拝だったのよね。主教のお祈りの後、握手しあってみんな嬉しそうにしてたなぁ。イエスが生誕して最終的に人々が救われたことを喜んでるんだね。
・・・なーんて、殊勝な人間じゃない私。
ミサで歌われた讃美歌が独特で、リズムは欧米と違うし、楽器も南米ナイズされて全体的にラテンな感じ
この音を録音したい、床にレンズ向けて動画のスイッチ入れるか?てなことばかり思案するナマグサモノでした
2 ラパス ⇒ ウユニ(2016年12月26日)
朝4時45分、電話で起こされる幕開けだった。曰く、私を迎えに来ていると。いやいや、5時30分のはずでしょ?
まぁよく分からないけど、遅いよりはいいか。急いで支度してチェックアウトする。
昨日空港で迎えてくれたガイドZ君はおらず、ドライバーだけだった。スペイン語しか通じないのでその場で詳しいことは分からなかったが、空港着5時30分と誤解してたようだ、のち空港に着いた時間から推測するに。
すり鉢の底、ラパス市街から上がっていくと、家々の灯が星のようにちりばめられていた。昨日より30分早いだけで、こんなにも暗いのね。完全な夜景だった。
メキシコはサカテカスを思い出す。あの時もガイドがいなくてスペイン語ドライバーだけだったな。
さすが実質上の首都 ラパスの方が3倍くらい町が大きい。
(余談だが、英語ガイドが空港見送りに来なかったことについて、帰国後に旅行社から謝罪の電話があり、料金の一部が返却された。自分は何も告げてないのに、どこから露見したんだろう? ともあれ、律儀な対応)
ラパス空港で見かけたクリッペ(キリスト生誕の場面を表すオブジェ)は、人形がフォルクローレ感にあふれてる
ちなみに、前日にサン・フランシスコ寺院前で見かけたのは金属製でかなりモダン。比べると面白い。
ウユニ便は4席×10列の小型機だった。
日本人ツアー団体と一緒になる。CM効果だよね・・・水たまりに景色が反射する「鏡張り」の光景を見たい日本人は着実に増えてる。
1時間もかからずウユニに降機。ラパスの南東500㎞弱の地。
出迎えてくれたのは、一見して年輩のガイドYさん。後で聞いたら53歳だった。ドライバーのXさんはスペイン語のみなので、基本的にYさんとの会話がメインとなった。
最初に「列車の墓場」へ行く。廃棄され、もはや走ることのない列車たちを悲壮感たらしめていないのは、どこまでも続く広くて青い空だろう。
今日はハガキ用の切手をゲットせねばと思い、郵便局に寄ってもらったが閉まっていた。クリスマスの翌日だからだろうか?!
残念だが仕方ない。次の街サンタ・クルスでトライするしかない。
ウユニの街を後にして、白い水平線を左手に見ながら塩湖へ向かう。
先ほど飛行機の窓から見た塩湖はとてつもなく大きくて白く、所々水色だった。水が張ってるのかなと期待が膨らんでいた。
が、ある時気づいてしまったのだ。いま自分たちが走っているこの薄茶色いひび割れた道が湖なのだと。
ショックだったなぁ ラパスで水不足の話を聞いたものの、万が一にも見てみないとねーという気持ちだったが、見事に打ち砕かれてしまった。
その後のテンションの下がり様は、我ながらハンパなかった。
「雨季なのに、ほとんど水がないのね」とガイドYさんに言うと、例年は11月から降るはずなのに今年は1月かららしい、天気が変なんだ、と「this year」を強調されてしまった。「去年の12月は鏡張りになってた?」と聞こうか一瞬思い、止めた。だからって目の前に広がる光景が変わるわけじゃない。空しいだけだ。
代わりに、「私は鏡張りの景色が見たくて、雨季を選んで来たの」と言ってみた。すると、ガイドさんが言うには、アジア人は鏡張りの景色を見たがるんだって。日本人だけでなく、中国人・韓国人もそうだ、と。一方、欧米人は真っ白い塩の野原を珍しいと喜ぶらしい。好みの違いといえばそれまでだけど、なんだか興味深い。
プラヤ・ブランカは建材としての塩ブロックを使って建てられたもの。内部にはやはり塩製のテーブルと椅子が並んでいる【湖畔にある塩のホテルに泊まりたいけど予算オーバー、という人にオススメ。雰囲気だけでも味わえる。食事は出していないが、食料を持ち込んで利用するのもアリ】。
プラヤ・ブランカを後にして、湖のほぼ中心に位置するインカ・ワシ島を目指す。60㎞ほどの道のり。
途中、休憩中に撮影。遠くの島が魚に見える。不思議に思ってたら、なんとそのものズバリ「魚の島」って名前だった 塩湖にある大小32の島のうち、最大。
さて、インカ・ワシ島に到着。観光客に唯一解放されている島。
こ~んな道を登っていくと・・・
パチャママ【アンデスの原住民が信仰する地母神。農作物の豊穣、家畜の繁殖にかかわる力を持つとされる】の祭壇が待っていた。
ちなみに、ゴツゴツした岩はサンゴ礁の化石。太古の昔、ここが海だったとはにわかに信じがたいけど・・・。
振り返ると、ニョキニョキ伸びるサボテンと塩湖のコントラスト
水の張らない塩湖は遠目には雪原に見え、サボテンが寒冷地に生えているような錯覚に陥るのが面白い。
下ってくると、小さな展示室があった。下の写真は、パチャママ(地母神)に捧げる祭壇を再現しているらしい。
台の上にはビールなどのアルコール、水、コカの葉など供え物。手前のリャマは目隠しされている・・・生贄
インカ・ワシ島のレストランで遅めのランチ【塩湖内で食事を出すのはここだけなので、混雑は必至】。
人生で初めてリャマの肉を食べた。知らされてなかったら、豚肉と勘違いしそう。クセはなくて、おいしい部類
トイレを済ませて、4WDに乗り込む【プラヤ・ブランカ、インカ・ワシ島ともにトイレ有。頻繁に行かなくても大丈夫な人なら、清潔度でプラヤ・ブランカがおススメ】。
湖の周縁部へ向かって進み、コルチャニ村へ。お土産物屋が並んでいる。
まず、塩屋さんで1㎏入りを10袋ゲット【粒子の細かいパウダータイプと、ザラメ状の粗塩タイプがあり、値段は同じ】。予定より多く買ってしまい、ただでさえパンパンのソフトバッグのパッキングに毎朝苦労することになるのだ
さらに、塩を彫刻したフクロウの小像とリャマのマグネットを買う。トイレットペーパーと思われる紙で何重にもグルグル巻きにし、袋に入れて渡された。塩は水に弱いから、吸水用のペーパーなんだろうか?
この辺りの景色・土産物は撮影してなくて、掲載できず残念 ブログやるとは夢にも考えてなかったこの頃
塩湖でsunsetを鑑賞する前に、一旦ホテルへチェックイン。今夜は塩で造られたホテルに泊まる【3つあるうち、今回泊まったのはLuna Salada】。
ふんだんに塩が使用されている館内。下の写真は、共用スペース。テーブルやソファはもちろん、床に敷き詰められた塩の上に絨緞が載っている。
部屋の中も塩だらけ。ベッドに、ブロックのように見える壁も塩製。さすがに布団は塩じゃないけど
17時半、再びドライバーXさんとガイドYさんが迎えに来てくれて、sunsetを眺めるポイントへ移動。といっても塩湖の上の任意の場所なので、近くには我々以外皆無。
塩湖の表面は六角形状の風紋(?)が際立っている。太陽の位置的に、やたら長~く伸びる影。
夕日が沈むのを待つ小1時間のあいだに、ワインを出してもらった。
ボリビアのメルロ 高度順応のため昨夜は泣く泣く我慢してたけど、思わぬタイミングでありつけた。もちろん、自分にとって初めてのボリビア産ワイン。この日一番の笑顔だったかもしれない
高血圧だから飲めないと断るガイドYさん、うれしそうに飲むドライバーXさん。
てか、いいんかい 湖上は公道ではない? ま、ホテルまでの30分、歩道・信号はおろか障害物もない道のりだから、いいかぁ(苦笑)
念のためにとヒートテックの肌着を身に着けた自分を呪うほど昼間は暑かったのに、夕日を待つうちにどんどん寒くなってきて、コートを羽織る。たしかに日中から風は強かったけど、冷たさが増した。
下の3連写真は ①薄オレンジ色に染められ始め →②縁までオレンジ色に →③太陽が沈む直前、モカ色に
自由自在、秒単位の変貌ぶり。
sunsetの後、そのまま星空観賞という流れで同じ場所にとどまっていた。が、あいにくの曇天で天の川や南十字星には出合えず
もっと待ってたら晴れたのかもしれないけど、寒いうえに眠気が・・・4時45分起きがここにきてこたえる
ガイドYさんに、Vamos!と言った。
夕食は豪華なビュッフェだった。やった~野菜がいっぱいある
ボリビア料理かと聞かれればだけど、大好物のトマトをこれでもかとおかわりしてしまった
ドリンクは別料金。ゴクゴク喉を鳴らしたい気分だったので、珍しくビールを選択。
後日サンタ・クルスのガイドW君に聞いたところによると、このPACEÑAがポピュラーな銘柄なんだって。もちろん、自分にとって初のボリビア産ビール
今夜の宿には、自分以外にも日本人客がいっぱい。
そんなに席が近いわけでもないのに、母国語って耳に飛び込んでくる。
曰く、αさん「この画像、鏡張りの風景に見えなくもないと思いません?」
βさん「うん、まあ・・・。でも、ツイてないよな~ せっかくここまで来たのになぁ。」
だよね・・・心からβさんに同意してしまう私。
自然現象は運しだい。どのようであろうと、自分の目の前に広がる光景をありのまま受け止めようと決意して来たものの、全くダメだったね。
まだまだ精進が足りない私
3 ウユニ ⇒ ラパス ⇒ サンタ・クルス(2016年12月27日)
目覚めたら、求めていた景色に出合えないショックはどこへやら、妙に気分が明るくなっていた。
切り替え速いのが私の長所 心おきなくウユニを去れる予感。
朝会うなり、ガイドYさんは「もしよかったら・・・塩湖に行く前に祭壇へ行かないか」と切り出した。
勧められて断わる理由がない。もちろん、Vamos!
祭壇は塩湖とは逆方向にホテルから数分の場所、意外と近かった。入口はこんな感じ↓ ↓ ↓
昨日インカ・ワシ島の展示室で見た、パチャママ(地母神)に捧げる祭壇に似ていた。
しかし、明らかに違う点が。人骨が4体あるのだ。
さらに入口を振り返ると、ピューマのミイラが吊り下げられてる・・・
冷静に考えれば怖がるべき状況なのかもしれないけど、不思議とそうは思わなかった。
自分の価値観はさておき、神聖な場所としてこの地の人々が大切にしてるのね、としか考えられなかった。
撮影してもいいかとYさんに尋ねる。もちろん、と返事。
Yさんが3つの骸骨に煙草をくわえさせ、火をつける。さらに丸い台(切り株)の上に置いたコカの葉にも火を点け、アルコールをかける。
そして私のために、パチャママに祈りを捧げてくれた。最初はスペイン語のようだったけど、途中から全く??だった(後で聞くと、現地語だそうで。アイマラ語かケチュア語?)。私が無事帰国できるようにと、一所懸命コカの煙を手繰り寄せながら祈ってくれた。これまで一度も外国に行ったことはないと言ってたYさんが、私のために真剣に念じるのを目の当たりにして胸が熱くなった。
タバコの煙が途絶えなければ、”願いは受け入れた“ なんだって。
3本の煙草は煙を吐き出し続けてた。ホッ
周辺には、他にも祠がいくつもあった。祈りのエリアなのかな。
その後 塩湖に向かい、塩ブロック工場を見学。
プラヤ・ブランカや塩ホテルで使用されていたような、建築資材としての塩ブロックを切り出している現場だ。ウユニの観光はこれで終了。
ラパスへのフライトは13時30分。
空港に着くと、乗るべきヒコーキの到着が30~45分遅れると知らされた。ええっ
カウンターの職員に、サンタ・クルス便に乗り継ぐ旨を告げると、スケジュールを見て間に合うだろう、仮に乗れなくてもサンタ・クルスへの便は同社便だから後の便を用意できる、と言うけどさぁ。サンタ・クルスに22時着だって いやぁぁ 絶対間に合わせたい。
とりあえず、ガイドYさんに頼んで旅行社に電話してもらった。この後どうなろうとも、サンタ・クルス空港での出迎えは大丈夫だろう。
Yさんは私の搭乗便が着くまで見届けるつもりのようだったけど、スクレ【ウユニの北東300㎞にある憲法上の首都。歴史都市として世界遺産に登録されている】まで戻るって聞いてたし、大丈夫だよ、って帰ってもらった。別れ際、頬へのキス避けてごめんね。郷に入れば・・・と思いつつ、日本人なので反射的につい
祭壇であんなに真摯に私の無事帰国を祈ってくれたから、彼とそのご家族の幸運を祈らずにはいられなかった。そしたらYさんはすごく喜んでくれて、私はAdios!と言ったのに、Hasta luego!と2回繰り返し、私を見つめる。つられて私もHasta luego!言っちゃうと、Yさんは満面の笑みで手を振り去っていった。明るい別れでいいな。
【帰国後、2つの「さよなら」の違いが気になって調べてみたら、2つの説が有力かなと思う。 ①Adios!は永遠の別れ、二度と会わないような場合に使う。Hasta luego!はまた会う前提で用いる。 ②南米ではAdios!はあまり使用せず、Hasta luego!が一般的な表現である。相手と次に会う期間を意識して使用しない。 当時の私は①ベースで考えて、Yさんは敢えて「またね」と言い残してくれたのかなと思ったが、南米という土地柄を考慮すると、単純に②の可能性が高い。でも、ここでは①説を採用しておく。その方が楽しいもんね】
結局飛行機は35分遅れで到着、当初予告された範囲内。順調にいけば、予定通りのサンタ・クルス便になんとか乗り継げそう。ホッ
てか、最初にラパスで見た時も思ったけど、このリニア機大丈夫かな? ラパスとウユニのピストンで、乗客を降ろしてわりとすぐに発つよね。エンジンの整備、大変だろうなぁ。
ラパスには50分ほどで到着。乗り継ぎの間に絵ハガキ買おうとウロついてたら、なんと封筒マークを発見 昨日は気づかなかったけど、郵便の簡易カウンターがあった。ここで、念願の切手を購入。ハガキ1枚につき18bsって、物価からすると割高。やっぱり、地球の裏側の距離なんだなあ。
(後から振り返り、千載一遇のチャンスでゲットしたものだとつくづく思う。この後2日間、街中で郵便局はおろかポストを見かけなかった。ここで見逃していたら、ハガキ送れないかも、とオタオタしていたに違いない)
絵ハガキをゆっくり物色する時間はなかった。搭乗時刻の放送が何度も入るんだもん、焦るわ~ 高地ってことをしばし忘れて、小走りしちゃった
でも、これが正解。早々にヒコーキの扉を閉めたのだ。乗客がそろったら、時刻前でも出発するお国柄なのね、ここは。
今回珍しく窓際座席を希望した私。サンタ・クルスへ向けて高度が下がるなか目に飛び込んできたのは、ミルクコーヒー色の川に鬱蒼としたアマゾンチックな森(正確に言うと、アマゾンより数百㎞南)。赤い屋根の家々は、ラパスとは明らかに異なる外観。ラパスが南米大陸西部の乾燥帯の典型なら、こちらはウェットで濃密な感じ。気温20~30℃と聞いてはいたけど、暑そうだなと窓越しに感じる。
空港を出てすぐの道路わきの芝生に、体長1mくらいのダチョウ(?)がいた。後で調べたら、ダーウィンレアというらしい。その昔オーストラリアでエミューは見たけど、もちろん初めて。体長30cmくらいの野生のフクロウも。ラパスで買った置物のモチーフになってたけど、やっぱり身近な動物なのね。
ともかく、ラパスやウユニとは全く違う所に来た。たったの1時間飛んだだけで、違う国かと思うほど差異が大きい。
この旅行を計画し始めた当初、ウユニの後にポトシ【16世紀半ばから世界最大級の銀山で栄え、市街は世界遺産に登録されている。ウユニの北東200㎞にあり、ラパス同様の乾燥帯】を訪れようかと思ったりもしたけど、こちらを選んで正解だったんじゃないのかな。ボリビアの新しい面を見て、明日からにワクワクしてきた
空港に迎えに来てくれたドライバーとガイドは、私が近づいていくと明らかにホッとしてた。そうだよね、22時着とは雲泥の差。みんなハッピー
ガイドのW君は見たところ20代前半? キレイな発音の英語で、めっちゃ速い。ドライバーのVさんはラテン系のオヤジさん。アロハシャツとパナマ・ハットが似合いそう(着てないけど)。ガイド君との会話を聞いてたら、めっちゃ明るい口調。アマゾン流域は「トロピカルだよ」とウユニのガイドYさんが言ってたけど、まさにそう。
今日の出迎えだけかと思ってたら、明日8時に迎えに来るって。そ、そうですかい~ 彼の英語についていけるかな、私
一旦部屋に入り荷物を置いた後、周辺探訪へ。ホテルのフロントの方にガイドブックの地図を見せ、どの辺りか聞いたら範囲外だって。どうやらEquipetrolというサンタ・クルス郊外らしい。
あぁ~そうか。今回の旅は、南米専門の旅行社にアレンジをお願いしたんだけど、最初の見積りよりもコスト削減をお願いしたし、今日も明日もホテル帰着が遅いから市街泊の必要ないと判断したんだろうなぁ。
ま、いいんだけど。地図がないとなると・・・
フロントの方に食事できる所はないかと聞き、教えられるまま大通り沿いを進み、途中で右折。いくつかのレストランやファストフードを通り過ぎ、スーパーにたどり着いた。そう、これよコレ。食事も大事だけど、水も必要。なんとお酒もあった、ラッキー
夕食は野菜を食べたいので、スーパー2階のフードコートでサラダを買ってテイクアウトすることに。
スーパーからホテルへの帰途、早足で歩く。まだ明るかったけど、用心に越したことはない。10分足らずの道のりだが、汗だくになった。夏だね、ここは。湿度もある。私好みの気候
セビッチェ【魚介のレモンマリネ。みじん切りの玉ネギ・唐辛子・ハーブ・塩で味付け。ペルーをはじめとする中南米の太平洋沿岸部で食される】を頬張りつつ、ポトシのビールをグイッ。あぁ、酸味が沁みわたる そうだ、身体はこれを求めてたんだ!!
でも、ここまで3日間、まっとうなボリビア料理食べてない気もする
ワインも買ったものの、オープナーを忘れて来たことに気づく。フロントに行き、Perdón!
ワインオープナーを取りに行って開栓してくれたお兄ちゃんに5bsを渡して引き揚げる。アルゼンチンでの教訓が活きて、スマートにチップを渡せた。
恥をかいて学ぶ、を地でいく私
★ 中締め ★
なんだか尻切れトンボな末尾になってしまいました
ボリビア篇の後半は、ガイドW君・ドライバーVさんとともに、サンタ・クルスの東方270㎞に点在する世界遺産「チキトスのイエズス会ミッション」を訪れます(6ヶ所登録されているうち、旅程の都合で泣く泣く割愛、2ヶ所のみの訪問ですが)。お楽しみに~
てか、できるだけ早くアップできるように頑張らなきゃ
その2に続く
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます