poliahuの旅日記

これまでに世界42ヵ国をフラフラしてきました~ 思いつきで旅先を選んでて、系統性ゼロですが(^^;)

台湾篇(1)

2021年08月04日 | アジア
忙しさに比例して、旅に出たい衝動に駆られる。あまり遠くなくて、身体を休めることもできる場所・・・
仕事が一段落して祝杯をあげつつネットサーフィンしていたら、台湾がヒット。2泊3日こじあけて、初めて台湾へ飛び立った。
アップ済みの2017年の訪問に対して、初回なので(1)としています。

1日目  台北 ⇔ 九份 (2013年3月31日)

成田ではなく羽田発着、離陸が早すぎない午前中で・・・自分の都合に合わせて選んだ結果がエ〇ー航空だった。チェックイン時に渡された搭乗券にも、搭乗口で目にした機体にも大きくキティーがプリントされている。コラボしてるのかぁ・・・機内に乗り込んだらこんな感じ。機内食のカトラリーも、果てはサラダに添えられたカマボコまでキティー これはたまらない


11時前に日本を発った飛行機は、13時半に台北は松山空港に到着。
ガイドブックを買ったものの、空港からホテルの最寄駅までの行き方とか、悠遊カード【MRTや市内バス、一部のショップ等で使用できるチャージ式のICカード】の買い方とかナナメ読みしただけだった。が、松山機場駅の窓口でなんとなくカードを入手でき、MRT(いわゆる地下鉄)を2回乗り継いで大して迷わずホテルにたどり着くことができた。ホッ ネット予約してプリントアウトしたバウチャーもどきも問題なく通り、あっさりチェックイン完了
こちらがホテルの吹き抜け。高所恐怖症気味なので、恐るおそる下を覗く。


荷物を置いて、わりとすぐにホテルを出る。2泊3日だもんね、時間を有効に使わねば。
ほろ酔いでいい加減に決めたホテルだが、最寄のMRT駅から徒歩5分かからないし、近くにセブン〇レブンもあるし、まあまあかな。
大通りを北に入った小路の両脇には多種多様な商店が看板を掲げている。



MRT忠孝復興駅で降り、九份往きのバスに乗るつもりだった。多少気がかりだったバス停もすぐに見つかり、ほどなくやって来たバスはガラ空き。関西弁を操る40代と思しき女性4人組と同道となった。
あらかじめ調べていたとおり20度超えの気温に雨で湿度が上がり、まるで梅雨のよう。最初は心地よかったクーラーが、人気がまばらなせいか寒いと感じ始めたころ、瑞芳という場所からドッと人が乗り込んで来た。
どこで降りるのかとそわそわし始めた4人組に、地元人らしき人が "まだよ” と言っている。
基本的に台湾の方って親切なんだよなぁ。完璧に喋れなくても、あるいは北京語(普通話)に英語を交えたヘンな会話でも全然イヤな顔をしない。親日的だからなのか、外国人に対してすべからくそうなのか、着いたばかりなので判断できないけど・・・自分の経験した範囲では、少なくとも大陸より居心地良いと初日にして感じ始めている。

17時20分、件の4人組とともにバスを降りた。
下は、「観海亭」という展望スポットからの眺め。九份といえば赤提灯の街並みが浮かぶ程度の浅薄な知識しかない自分だったが、地図を見てみると台北より40㎞東のここは台湾の北東端に近く、東シナ海を臨む場所だった。晴れていれば、もっと絶景に違いない。


人の流れについてメインストリート基山街に一歩踏み込むと、あぁ中国の市場だって香りがする。八角?花椒? 料理をぐっと美味しくするオリエンタルなスパイスの香りがメインだけど、杏仁の香りもするような と思ったら、マジで杏仁粉を売っていた 
名物という芋圓【タロイモなどの芋類を小麦粉と練って団子状にしたスイーツ】はチラ見しただけで先へ進む。自分、辛党なもので
両脇に土産物屋もチラホラ・・・ 旅の初日から手を出すのはどうかと思いつつ、明後日には帰るんだったと思い直し、一旦通り過ぎたセンス良さげなお店に入った。
旅は一期一会、迷ったらとりあえずtry というわけで、お土産の布製品を数点ゲット。そうそう、ポストカードも買わなくちゃ。
基山街を折れて横路に入り、赤提灯の並ぶ街並みへ。この付近は映画「非情城市」の撮影場所でもある。

小雨が降る中、さすがの観光地は人がギッシリ。怪しげな日本語のガイドが「湯ばーばの所、ここですよ~」と大声で叫びながら、ツアー客を率いて行く。そうか、「千と千尋の〇隠し」のモデルにもなった場所だっけ・・・イマイチ映画に疎い自分が珍しく見てる映画なのになぁ

絶対に入ろうと決めていた阿妹茶酒館に恐るおそる行ってみる。相手にされないかもとの心配は無用、店員さんがすぐに「お茶飲みますか?」と日本語で聞いてくれて、うなずくとアッサリ案内された。う~ん・・・香港の飲茶店で苦労したのがウソのよう。うれしい誤算 しかも、通された席は窓越しに海が見える素晴らしい眺め。
早口の日本語で教えてもらった淹れ方でガブガブお茶を飲む。飲みながら、暮れていく景色を何度か撮る。肉眼では感じにくい変化も、ファインダーを通すとその差が歴然。ちなみにもう一段階暗い風景も撮ったが、さすがに真っ暗なので割愛する。


う~ん・・・何も考えずにボーッとする時間があると、心洗われる。これだけでも、台湾に来てよかったと思う。
普段は分刻みの仕事。勤続十何年で慣れてはきたけど、本来の自分はのんびり屋である。次を考えなくていいことで、こんなに癒されるとは

こちらが茶芸セット、300N.T$也(約980円)。
極小の急須は紐を持って熱さを逃がす。最初に茶葉は洗う。二煎目以降は10秒ずつ煮出し時間を増やしつつ、飲むのは五煎目まで。
日本の飲み方とはまた全然違うのね・・・独特の作法を楽しめてよかった。
付け合わせのお菓子も美味 黄緑色の「落雁」は予想より柔らかかったけど、青大豆きな粉の風味が良くて(画像の左端、真ん中)。甘い梅干しもお茶に合っていた。


19時前、お茶屋を出る。辺りはとっぷり暮れていて、灯りがまばゆい。

下は、小路([「竪」の立→豆]﨑路)を振り返って撮影した。

小路の先のバス停はすぐ見つかった。帰りのバスの時間を全く調べていなかったが、10分そこそこで来る模様。
バス停のそばにタクシー乗り場があって、運転手たちがたむろしていた。旅先あるあるだと、待っている間中しつこく乗らないかと声がかかるんだけど、一切ナシ。
そうこうするうち、「金瓜石・九份・台北」と列挙した表札を掲げるバスが来た。金瓜石ってどこ?九份経由で金瓜石と台北の間を結ぶバスってことか?・・・戸惑っていると、“あれだよ” と目で合図してくれるドライバー達。「台北へ行くの?」と聞くとうなずいてくれたので、慌てて飛び乗った。う~ん、自分の商売関係なく親切にしてくれるのね。優しいなぁ

往きに比べてバスはかなり混んでいて、途中まで40分ほど立たざるを得なかった。老若男女でギッシリ。その中で、男性2人が関西なまりの日本語をけっこうな大声でしゃべっている。旅行者ではなさそうだな・・・仕事で長期滞在中なんだろうか。
道中、「四脚亭」という所で爆竹が鳴っていた。窓の外には太鼓に神輿、さらに日本の祭で見かけるような鬼(に扮した人)が練り歩いている。何だろう 日本が植民地時代に持ち込んだものが残ったのだろうか??

バスは南港へ近づいていく。オレンジ色の強い街灯に、高速道路が無数に浮かび上がる。遠くにはTAIPEI101と思しきタワーが紫色のネオンを雨に煙らせている【高さ508m、ショッピングモールやレストランを擁し、89階に展望台がある】。あぁ、台湾はNIESに属するんだよなぁ、発展してるなあ・・・
空港で両替した100元札には孫文の肖像、車窓にたまたま見かけた青天白日旗・・・中華民国の要素がちらつく。
知識として知っていることを目の当たりにして、ひとしきり感慨にふけるのだった。

20時20分、バスは忠孝復興駅に到着。日本でおなじみのデパートをパシャリ

ここからMRTを1回乗り換えてホテルを目指す。
ホテルのほど近くにある景福宮。いにしえの香りただよう建物がライトアップされ、近代的なビルに入り交じって独特の雰囲気を醸し出している。

茶菓子だけではさすがに空腹をおぼえて、セブンイ〇ブンで夕食を買った。代表的な屋台料理らしい鶏肉飯(炊いてほぐした肉をご飯の上にのせて、比較的あっさりしたタレをかけた料理)。食べかけで撮った画像しかなくて、ごめんなさい

台湾のビールを初めて飲んだ。画像には写っていないが、パイナップルフレーバーのビールも。コンビニのお酒コーナーで幅をきかせていたのはビールだった。いつもの晩酌はワインなのだが、郷に入れば郷に従うカメレオンな自分。というわけで、旅先では確実に酒量が減る

2日目  台北 ⇒烏来 (2013年4月1日)

この日は台北から30㎞ほど南の烏来に泊まることになっており、11時にMRT新店駅でシャトルバスがピックアップしてくれる予定だった。
時差1時間をど忘れしていて午前1時就寝になってしまった前夜ゆえ、目覚まし時計代わりの携帯アラームが鳴った後もウトウト・・・予定よりも遅く起きてあわただしく朝食、シャワーを浴びて9時20分にホテルをチェックアウト。
最寄のMRT駅に向かいつつ、昨夜通りすがった景福宮にチラリと立ち寄る。道教寺院のようだった。下の画像、白くもやっているのは供えられた線香の煙。

景福宮が面する徳恵通り。アパートだろうか、密集した住宅事情は東京と同様だ。


MRTの乗り換えは1回だけだったこともあり、スムーズに新店駅に到着。ホント、地下鉄って旅行者に優しいわぁ・・・路線や行き先の表示が明確なので、自分の目的地さえ分かっていれば運んでくれる。とはいえ、余裕を持ちすぎてピックアップの45分も前に到着してしまった 
地下鉄で40分くらい、台北のやや郊外である。バスを待ちながら、ケンタッキーに気づいてパシャリ

持て余して携帯電話を出してみると、同僚からメールが届いていた。新年度から入る予定だった仕事仲間が来られなくなり、その調整中であると・・・
というわけで、帰国した翌日には出社するハメになったけど、即帰国を命じられないだけマシ。しかし、これ以降は仕事のことがチラついて前日のように伸び伸びとはいかず。
いつでもどこでも連絡取れるのも善し悪し。本気で日常を忘れるなら、圏外に行かないとダメなんだろうなぁ

シャトルバスならぬワゴンは私を含めて6人を乗せ、烏来へ出発。新店を出て間もなく、車窓の緑は濃くなるばかり。
20分後、着いたのは桃源郷。写真でひとめ惚れしたエメラルドグリーンの川が広がっていた。
この日の宿 馥蘭[几の下に木]烏来のロビーには、中華風をモダンにアレンジしたオブジェが点在。



15時のチェックイン・タイムにはまだ早いので、エステの予約だけして散策に出かけた。
ホテルはやや外れた場所にあり、街中までは南勢渓に沿って15分ほど下って行く。

途中、人ひとりが通れる幅の細~い吊り橋が掛かっていた。敢えて深山に映える赤色に塗ったのだろうか。

南勢渓から分かれる桶後渓に架かる橋を渡れば、烏来老街。
橋の上から見た光景。看板を見過ごしてしまえば、ここが台湾だと判別できるだろうか。日本の山間部の温泉街といわれても、あぁそうですねと言ってしまいそうだ。


夕食はホテルで予約してあり、また翌日は昼前に台北へ戻るつもりだったので、タイヤル族【アタヤル族ともいう。台湾の原住民族のひとつで、清朝の中期から烏来に定住したとされる】の山菜料理を食べるならこのタイミングしかなかった。先ほどエステ施術の1時間前から食事は禁止と言われてしまったので、逆算してそう腹ペコでもないが昼食をとることにした。12時半前、ちょうど昼時である。老街をウロついて、何となく小綺麗で客入りもほどほどのお店に入る。下の画像は、店の中から通りを望む。

芸がないと思ったが、ガイドブックで薦められていた竹筒飯と山玉ネギの炒め物を注文。地元の人か他の場所から観光に来た人なのか判別できないが、周囲の客も同様に注文していたので、正解なんだろう。山玉ネギはノビル(野蒜)に近い味わいで、滋味深い。

竹筒飯は想像以上に美味 八角と思われるスパイスが肉の臭みを皆無にしている。丸いベージュ色の豆はガルバンゾかなぁ やわらかくホロホロくずれて口当たりがいいし、混ぜ込まれている黍も美味しい。何というか・・・素朴な材料と味付けなんだけど、ホッとするお料理。たぶん日本人の口に合うと思う。


道の両側に店が立ち並ぶ老街、店頭には様々なものが陳列されている。野菜を売っていたり、乾物の木耳や干しシイタケなど・・・


ふだん辛党なはずなのに、杏仁茶に吸い寄せられてしまった 
前日に九份で嗅いだ時から身体が欲していたんだ、そう思うことにしよう。お茶というか白い液体なんだけど、芳醇な杏仁の香り。


1.5㎞先の滝を目指して、南勢渓を渡る。川沿いの露天温泉(紺色のテント付近)もこの地の魅力。老若男女でにぎわっていた【そもそもタイヤル語でwulayとは温泉を意味し、そのまま地名となった】。

裸はNGとのことで、付近には水着やビーチサンダルを売る店もあった。

小米酒・・・ガイドブックに粟を原料とする濁り酒とあったが、勇気が出ず 結果的には、この4年後に訪れた日月潭で味わうことになった。


南勢渓を渡ってすぐの場所から滝の近くまでを結ぶトロッコ列車は、ガイドブック情報通り運休中だった。2012年の台風・豪雨で崩落後、修復していない模様。
森林浴しながら、ひたすら歩く。タイヤル族をモチーフにした装飾が目に入る。顔の水色の部分は入れ墨を表している。

同道していたはずの2組があきらめて折り返してしまうと、自分ひとりで心細くならざるを得なかった。
とはいえ、引き返すという発想は毛頭なく、ひたすら前へ進むこと10分位。前行く人の背中を見つけて、ホッ
そして、遠目に滝も見えてきた。

途中、脇を通り過ぎたトロッコ列車のトンネル。復旧はいつになるのだろうか(この記事を書くにあたり調べたところ、自分の訪問から4ヶ月後の2013年5月から運航を再開。ところが2015年の台風で再び運休、2017年8月に再開して現在に至ることが判明。たしかに、日本を通り過ぎた台風が台湾方面へ向かうことも多い気がする。日本と同様に台風の被害を受けやすい場所なのね・・・)。

1時間ほどで滝に到着。落差82m、けっこうスゴイ。滝の前は「勇士広場」と名付けられていて、タイヤル族と思われる像が立っていた。

観光地よろしく土産物屋もいくつかあった。普段着に交じって、タイヤル族の民族衣装も売られている。

その並びにタイヤル族酋長村なるものがあり、その前でたむろしている女性たちがメッチャ綺麗だったのが印象に残った。ガイドブック情報の「美人揃い」はダテじゃないかも(日本で知られている人物としては、ビ〇アン・スーの母がタイヤル族と後で判明)。

ホテルへ戻るべく、来た道を引き返す。トロッコは走らないが、線路と駅は往時のままである。

 三毛猫発見。

トロッコの起点駅に帰着。娘を背負うタイヤル族の像がひときわ目立つ。


のんびりしていたら、15時半スタートのエステが迫っていた。老街を抜けた後、上り道を足早に進んで10分前にホテルへ戻った。
慌ただしくバスローブに着替えてエステへ。生理中と申告したら、希望していた消化器系のマッサージはダメと言われてしまい、フツーに肩と背中の90分マッサージに変更。
足浴とシャワーの後、寝台に横になる。これまでに経験したことのない強烈な力で押されるうち、いつしか眠りに落ちていた。
いつも思うのだが、できれば目覚めたまま気持ち良さを実感したいのに、いつも眠ってしまう・・・コリがほぐれ血流が改善した証なんだろうけど、なんだか悔しい

17時過ぎに一旦部屋へ戻り、支度して大浴場へ向かう。18時半からのディナー前に上がらねばならない。
分刻みの仕事に日頃は不満を抱きつつ、結局ここでも自分が設定した時間に追われている。悲しいサガだ
大浴場はジャグジーに冷泉、サウナはドライもミストもあり、かなり充実していた。極めつけは、エメラルドグリーンの川とほぼ同じ高さにしつらえられた露天風呂
しかも、入っていた人々がちょうど出るタイミングで入れ替わり、貸切状態の大幸運 欲言えば、明日もゆっくり浸かりたいけど・・・スケジュール的に厳しいよね、トホホ 

ディナーは眺めにヤラレて川べりのレストランABU cuisine(フレンチ&イタリアン)を選んだ。が、日が暮れると真っ暗・・・景色はさほど意味なかった。あれれ
でも、味は極上だった が、画像がないのでメニューのあらましを以下に箇条書きで挙げたい。
(なぜ画像全ナシなのか・・・大浴場へ行く前に部屋の金庫に入れたカメラをそのままにして、夕食に来てしまった。前菜が来る直前に気づいたのだが、もはや取りに戻るわけにもいかないタイミングで 当時からブログをやっていれば、恥をかき捨てて部屋に取りに行ったのかもしれないが)。
というわけで、以下は想像力豊かにお楽しみください。

●パン&バター; フランス産のバターは脂の甘みの後、塩気がやって来る。ほかほかのパンによく伸びて、ベストマッチ。
●クルマエビのサラダ; エビのロースト加減が絶妙で香ばしい。添えられたトリュフ・エッグは香り高く、三大珍味の中で自分は断然トリュフ推しと認識してしまった。山のキノコも味がしっかりしていて美味。
●アワビのグリル; アワビは言うまでもなく、添えられたライス風パスタのカレー風味が面白かった。パスタを米粒のような形に小さく斜め切りし、見た目は全く米なのに食感は小麦。
●鱈と貝柱のソテー; かけられていた、中華とフレンチを融合したソースは文句なし
●デザート; 少量ずつ2皿、としか備忘録になく・・・
●ジャスミンティー; 藍色でさっとメダカが描かれた茶碗が気に入った。ベトナムはバッチャン焼に似ている。

ちなみに、泊まったお部屋はこんな感じ。
ソファー脇の窓からはエメラルドグリーンの川を眺めることができる。ちなみに、黒い影は愛用のレス〇ートサック。治安のいい国はスーツケースを使わず、これで行く私。万一旅先で荷物を預けられない場合、かさばらずに行動できる

ベッドは天蓋風


3日目  烏来 ⇒台北 (2013年4月2日)

予定では、6時半に起きて内風呂に温泉を注いで堪能してから7時半朝食、9時のバスで台北へ戻って観光するつもりだった。
が、人生初の天蓋ベッドは寝心地が良く、二度寝してしまった・・・
寝ぼけたままフロントに電話し、朝食を8時からに変更してもらった。日本語メインでわずかな北京語を交えているだけなのに、通じるとはありがたい
朝食は昨夜と同じレストランABU cuisineにて。外観はこんな感じ。

窓際の席から見下ろす南勢渓は鮮やかなエメラルドグリーン。何度見てもやっぱり綺麗

中華式の朝食を選んだが、サラダは洋風。キウイジュースとトーストも付いてきた(2つ下の写真で奥の中央と右)。

貝柱入りのお粥は出汁が効いていて素直にほっとする味。付け合わせのキャベツ(画像の左手前)は漬物風の外観だが、炒め物で温かい。ニンニクがきいているのは朝からちょっと・・・個人的な違和感はさておき、間違いなく美味しい。
さらに、油条(画像のお粥から見て10時の位置、内側。小麦粉をこねて発酵させた生地を棒状にして油で揚げたもの)をざく切りしてお粥にのせてみる。知識としてはあったものの、朝から油ものはなぁ・・・これも自分の認識が壁となってこれまで遠慮がちだったが、食してみて目から鱗。ニンニクを効かせて揚げてあるから、味にアクセントが付く。しかも、お粥の熱でカリッの食感が変わってほんわり口の中で溶ける。これはウマい 再訪したら是非リピートしたい。

結局、チェックアウトは9時40分頃=予定より1時間遅くなってしまった。居心地良すぎて去りたくないと思ってしまう。これがリゾートの魅力なのか・・・
起床時間が遅れた時点で、当初の予定変更を決断。再訪しやすいであろう台北観光を大幅にカットし、前日は休館だった泰雅民族博物館にせっかくだから寄ることにした。
前日と同じ道を進んで、老街に入ってすぐの博物館へ。まず無料ということ、3階建てで思ったよりも広いことに驚く。荷物を預かってくれるのも意外だった。また、新しいと思ったのもそのはず、新北市によって2005年に開設されたことが後で判明。下の画像はエントランス。

台湾の原住民族の分布図。右上にタイヤル族の印がある。

狩猟の際に使う武器はゆうに1mを超えるものも。

竹だろうか、木製の楽器も展示されていた。

タイヤル族はかなり広範囲に暮らしているため、文化的なバリエーションが広いようだ。家の建て方や織る布の模様を比べると、違う民族かと思ってしまうくらい異なっていて なんだか面白い。


あ。さっきの上着はこういう風に羽織るんだね~

タイヤル族の精神世界は、祖先の霊力を恐れその教えに従って生きることとされる。教えに従えば祖霊は喜んでその加護を受けることができるが、従わなければ祖霊から罰されて死後に霊界へ入れないという。
また、タイヤル族は首狩りの風習を持つようだ。狩られた人の霊が祖霊に合流し守護神になり守ってくれるという価値観があるらしい。狩られて恨みを持つではなく、むしろ守ってくれると考えるのが興味深い。
英語で書かれた解説を訳したのでイマイチ自信はないが・・・展示では、首狩りの風習は野蛮だと非難する人がいるけれども、近代的な戦争に比べたらマシな行為ではないか、と問題提起していた。たしかに、特定の価値観のみを以てして固有の風習を否定するのは避けなければならないし、近代の戦争が途方もない数の人命を奪ったのは紛れもない事実である。
安易に同調するわけではないが、のほほんと観光気分でいた自分にはズシリとくる提起であった。

最も印象的だったのは入れ墨。首狩りに成功した男性は下顎に、織物の特殊な技術を身につけた女性は耳から口元に入れ墨をする。男性より女性のほうが幅広で、より目立つようだ。入れ墨がない者は結婚することができず、また死後に霊界へ入れないとされた。
実際にタイヤル族の方々を撮影した写真がたくさん展示されていて、自分も撮ったのだが肖像権が気にかかり・・・ここに載せることができなくて残念至極 しいていうなら、最初のエントランスの画像(7つ上)で描かれている顔のイラストも入れ墨をしているので、少しでも雰囲気を感じ取っていただければと思う。
なお、植民地時代に日本が禁止したため、入れ墨の風習は廃れた。

もと来た道を半分くらい戻り、10時45分のバスで台北へ向かう。初日に買った悠遊カードが使えて、小銭なくても乗れた。なんて便利
いつのまにかウトウトしていて、気づいたら新店駅(前日にピックアップしてもらった場所)が近づいていた。そのまま台北駅まで運んでくれるので敢えて乗り続けることに一旦決めたものの、1時間ほどかかることが判明。当初の予定では台北駅のロッカーに荷物を預けて観光に出るつもりだったが、時間がもったいないし荷物も軽いし・・・都合よく通ったMRT萬隆駅でバスを下車。MRTに乗り換えて中正紀念堂駅で降り、そのまま見学へ。

敷地はかなり広い。人が豆粒になるサイズの建物がそびえる【高さ70m、階段89段は蔣介石の没した年齢を表す】。

階段の上から振り返ると、こんな感じ。

長い階段をのぼりきり、人だかりしている蔣介石の巨像に近づいたところ、衛兵の交代式をやっていた。正午だからか・・・何気なく訪れて遭遇するとは、なんとラッキー(像の頭部が切れている写真しかなくて、ごめんなさい)

エレベーターで1階に降り、蔣介石に関する展示を見ようとしたところで、郵便局を発見
実は前日、台北のホテルから最寄り駅へ向かう途中で郵便局に寄り、切手を入手していた。ところが、後で調べてみるとガイドブックには13N.T$と書かれているのに、10N.T$の切手を売られていた。届くよう願って投函するのに、料金不足で海を越えることなく捨てられてしまうのは悲しすぎる。どこかで郵便局に寄って確認せねばと思っていたので、渡りに船
怪しい北京語でたずねると、小さめのハガキだから10N.T$で大丈夫とのこと。そういえば、葉書の大きさで料金が変わる国、他にもあったなぁ・・・ともかく、ホッ 

というわけで、展示コーナーへ。それはそれは数えきれないほどの展示品、写真があった。
孫文の書。語句の意味するところは分からない

ガンディーと写った写真。取り囲む人々の様子から、場所はインドだろうか。いつ撮影したんだろう?【この記事を書くにあたり調べたところ、1942年2月4日に重慶を出発してビルマ経由でカルカッタに入り、同月21日にインドを発ったことが判明。国民政府指導者として初めての外国訪問だったという】

蔣介石が使用していた物たち。服を見て、自分の想像より長身の人だったんだなと気づく。右は蔣介石の書。

蔣介石の執務室を再現してあった。中央の机に鎮座するは蔣介石の蝋人形。

終わったら、次はミュージアムショップへ。蔣介石に関する研究書とかお堅いモノが並ぶ中、2頭身のお人形たちを見つけてしまった。迷ったが3体とも購入
左から孫文、蔣介石、毛沢東。土地柄を考えると、毛沢東まで用意されているのが心憎いではないか。しかも、蔣介石と毛沢東を並べると肩を組んでいるように見え、まさに国共合作。

隣接するお店は一般的な台湾土産物屋で、松山空港には売っていなかった台湾限定キティーも扱っていた。ここは台北定番の観光地なんだろう、品揃えがいい。自分のようにタイムリミットが迫っている観光客にはうってつけだ。

14時には空港にいるはずが、結局この中正紀念堂で2時間近く過ごしてしまい、空港へ急ぐ。MRTを2回乗り継げば辿り着くことができて、本当に便利
ガイドブック情報どおり、松山空港のduty freeはわずか。桃園空港はもっと豪華なのかもしれない【原則として羽田発→松山、成田発→桃園のパターンになる】。
搭乗時間までの暇つぶしにお茶屋に入り、ティ―パックを買った。流暢な日本語を話す女性の店員さんに一人旅かと聞かれてうなずくと、気が強いわね~と言われた。
いやいや、大陸を旅するより全然楽。人々が穏やかだし、親日的だし。気を張らなくても全然問題なかった。「また来たい」と言ったのはリップサービスではなく、本心である。

★ 終わりに ★

3日間のうち最終日はかなり予定外で、ほとんど計画倒れで行き当たりばったり。でも、これが自由な旅の醍醐味だと思う
早々にあきらめた故宮博物院をはじめとして、台北の中だけでも挙げればキリがないし、他の温泉など台北以外にも夢はふくらむ。近いうちに再訪したい。
また向かいたいと即座に駆り立てるこのパワーは何なのだろう すでに4度訪れている大陸をいずれ抜き去ってしまう予感がする。これは、終わらない旅の始まりであるようだ。

 おしまい 









































































































コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« イスラエル及びパレスチナ自... | トップ | モロッコ篇 その1 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿