爺の日々好日

日々の散歩や旅行先で出合った景観を徒然なるままに載せています。ご訪問お待ちしていま~す。

利尻礼文のたび(`新千歳~稚内)

2010-09-14 08:38:14 | 旅行
 花の季節は少し遅いはと思いながら2泊3日の旅に出かけました。
1日目は新千歳空港からバスで稚内までの長旅。当初は旭川からの
予定が飛行機の確保ができなかったのか変更になっていた。約7時間
の旅で高齢の小生にとっては少々着かれました。だけどまだ2日ある
ガンバラなきゃ~と気合を入れる。
 この区間は長いだけで、途中それ程観光する場所は見あたらないが、
それでも数箇所シャッターをきるところがあった。
 幸いだったのは天候だ。折から台風9号が北上していて出かける
数日前から気をもんでいた。運よく北海道はそれてくれて快晴だった。
 



旧花田家番屋は、北海道に残されている民家の中で最大規模。ニシン漁の最盛期には、この他にも船倉、米蔵、網倉など
100棟以上の付属施設が建ち並んでいました。玄関を入ると左手に親方の住所兼執務所、右手に「ヤン衆」と呼ばれる雇い
漁夫が溜まる場所を配置しています。往時は200人を超えるヤン衆がこの大空間にひしめき合い、ニシンの群来を待ちかまえ
ていました。400㎡ほどの溜まり場は、3つのいろりが切られた居間と、狭い通路土間を介して、雛壇状の3段のデッキと呼ば
れた寝台から構成される、劇場的な大空間です。
[建設年]1905(明治38)年頃[構造]木造2階建

●所在地 〒078-3454 留萌郡小平町字鬼鹿広富35-2 道の駅・おびら鰊番屋  

 
北防波堤ドーム;設計者は北海道大学を卒業して3年目、北海道庁の技師として稚内築港事務所に赴任してきた
当時26歳であった土谷実氏です。北埠頭が旧樺太航路の発着場として使われていたとき、
ここに通じる道路や鉄道へ波の飛沫がかかるのを防ぐ目的で、昭和6年から昭和11年にかけ建設された防波堤です。
樺太へと渡る人々で賑った頃のシンボルでもあり、古代ローマ建築物を思わせる太い円柱となだらかな曲線を描いた
回廊は、世界でも類のない建築物として内外の注目をあびています。
  半世紀を経て老朽化が著しかったため、昭和53年から3年間、全面的に改修工事が行われ、昭和55年にその独特の
景観がよみがえり、高さ13.6m、柱の内側から壁までが8m、総延長427m、柱の総数70本、半アーチ式の構造形式です。
2001年に北海道遺産に指定されています。  

実際に現場を見ると写真よりもっと圧巻です。
ドーム内ではよくコンサートなども開かれ、冬になると、ジョギングなどで多くの
市民が楽しんでいるようです。


稚内駅です、最北端の駅にしてはこれといった特徴もなくちょっと寂しい感じがします。