爺の日々好日

日々の散歩や旅行先で出合った景観を徒然なるままに載せています。ご訪問お待ちしていま~す。

バス3台で信州旅行(善光寺・小布施・須坂)

2010-10-01 18:38:35 | 日記
パソコン教室の秋の親睦旅行に行って来ました。
今回は信州でお馴染みの善光寺・小布施そして須坂を訪れました。
 この日は生憎小雨模様でしたがみんな和気藹々楽しい1日を過ごしました。


先ずは善光寺にお参り、OFFシーズンと雨も重なってでしょうか
いつもより少ない感じでした。
`善光寺と云えばやはり回廊めぐり、
みんなで歩けば怖くない気持ちで仲間といっしょに体験した。
中は、正しく、”真っ暗闇”で、何も、見えない。
事前の指示に従がい、右手を腰の辺りで、壁を触りながら、”ソロリ、ソロリ”と、足を運んだ。危険は無いと知りつつも、「真っ暗闇とは、かくも、不安に駆られるものか・・・」と、改めて、暗闇の怖さを体験した。前後にいた連れの女性の間にいつのまにか別の男性が割り込んだらしくどうやら連れの女性を触っているらしい。このような奴は極楽は出来ないだろう。
ご本尊の真下の辺りで、”錠前”を触り、先へと進んだ。前方に、微かな”一条の光”が見えた。”地獄に仏”・・
そして、地上に出て、ホッとし、近くにいた、お坊さんに、話し掛けた。
「微かな光が、こんなに、有り難く思ったことは、初めて・・」と、回廊内での、不安な気持ち等々を、併せて、話した。
お坊さん、曰く・・、

「貴方が、その様に感じらたのは、ご両親から、良い教育を受けられたからです・・・、
この、真っ暗闇の回廊は、”仏様の産道”を意味し、貴方は、今、”不安”な気持ちを抱きつつ、この世に”産まれて来た”のです。人は皆、”この様な、不安な気持ちを抱えて、産まれて来るのですよ・・、何か、生まれ変わった様な、新鮮な、気持ちに成りませんか・・?」

云われてみれば、その様な気持ちになるから、不思議である。
若しかして・・、”マインド・コントロール”に、罹ったか・・?  兎に角も、怖かったが、貴重な体験であった。



次は小布施です。小布施と云えば葛飾北斎で有名ですね。
町のPR資料によると町の歴史は約1万年前の旧石器時代に始まり、
縄文弥生時代には稲作が行われ、集落が形成されていました。
鎌倉・室町時代に入ると小布施という名が史料に出てきます。
千曲川の舟運が発達した江戸時代には、今も安市に面影を残す定期的
な六斎市がたち、北信濃の経済・文化の中心として栄えました。
幕末には、葛飾北斎や小林一茶をはじめ多くの文人墨客が訪れ、
地域文化に花を咲かせています。
現在は、果樹栽培が盛んな農村として、美しい自然環境に恵まれ、
人間味豊かな地域社会を形成しています。特徴ある
風土を活かし、先覚の残した文化遺産を継承、発展させ「北斎と栗の町」
「歴史と文化の町」として全国から注目され、
近年は「花の町」小布施のコンセプトを加え、年間 120万人の人が訪れる
町となりました。


街中風景、ここも雨のためか閑散としていました。


小布施は野菜と果物が豊富、特に栗は有名のようです。
この籠の中の栗を見てください。びっくりする大きな見事な栗でした。


最後は須坂に寄りました。資料によりますと、
須坂市は、江戸時代に須坂藩主堀氏の館町として、また大笹街道と
谷街道の交差する場として、数々の商取引きが行なわれました。
その後明治から昭和にかけて製糸業で隆盛を極めました。
市街地に現存する蔵は明治から昭和にかけて建築されたものが多く、
蔵を生かした商店、博物館、美術館など当時を偲ぶことができます。
と記されていますが、今は人通りも少なくその面影をところどころに
残しておる寂しい街風景でした。