国会図書館の本を読みやすく

国会図書館デジタルの本を、手入力しています。編集終了のものは、ブックマークからダウンロード可能です。

小さき花-第4章~37

2022-09-02 12:00:03 | 小さき花

この会に入るため一週間に二三度、前の童貞学校に行きました。この時私は気恥ずかしいため、少し行きにくかったのです。無論童貞達を深く愛し、私になさる全てのことを皆有難く思っておりましたが、前に申し上げた通り、古い生徒たちの如く数時間も一緒に談話することが出来るように、特別に私を愛してくださる童貞がありませんでしたし、そして私は唯一人黙って稽古をしておりましても、誰も私に気をつけませんから、稽古が済むと直ぐ聖堂の二階に上がり、そこで父が迎えに来て下さるのを待っておりました。その時戸の寂しい聖堂の中で黙想する事が唯一の慰めでありました。私は他の人々と共に談話するのは唯私の心を疲れさせるばかりでありましたから、唯一の友なる聖主イエズス様を訪問し、この御方のみに会話する事を知っておりました。しかしまた他の者に棄てられ、置き去られるのは辛い時もありましたが、そういう時には父が私に聞かせた次の詩を繰り返して慰めを得ておりました。
  時は汝の住まいでなく汝の船路である。
 この詩が幼い時から私に勇気を与え、幼年のときに感じたいろいろの事でも忘れやすい今日、やはりこの船の比喩の詩を思うと、いつも愉快な気がして、この世界の島流しの苦しみを耐え忍ぶ力が起こります。また「人生は荒波を切って進み、その通った痕跡を残さない船の如きものである’知恵の書5の10)」という聖書の言葉を想うごとに、私は未来の事を考え、もはや永遠の岸に着いて、聖主イエズス様に面会して可愛がられるような感じが起こり、なお聖母は父や母や我が兄弟なる四人の小さき天使等を連れて私を迎えに来るように見る様な思いがして、いつまでも永遠の真の家庭生活の楽しみを得る様な心持が致します。私は天国にてこの永遠の真の家族の許に逝くまでにはどうしてもまだこの地上に於いて様々な悲しい別れや苦痛に遭わなければなりませんでした。私はこの「聖母マリア児童会」に入りました年、今まで私の霊魂上の唯一の慰め者であった長姉のマリアも聖母の為に選ばれて私と別れるようになりました。(このマリアは1886年10月15日「カルメル会修院」に入り、聖心のマリア童貞と命名られました)ポリナに別れてからは、片時もそばを離れなかった程、長姉を愛しておった私は、もはやこの世界に何一つの娯楽をも求めないと決心しました。彼女の決心を聞いた時の私の苦しさ悲しさうぁあらん限りの涙を流しました。無論、私は幼い時から涙もろくちょっとした事でも泣いておりました。ここで二三の例を挙げましょう。
 私は善徳を行うと大いなる望みを持っておりましたが、しかしこの徳を行うに妙なやり方を致しました。私は家政のことについては一切関係しませず、自分の事をするには慣れておりませんでしたが、時々天主を喜ばす為に寝台を片付けるとか、姉達が留守の時には庭園に植木鉢を入れるとかをしておりました。いま申し上げた通り、これは「ただ天主様のお気に召す為だけの目的でありましたので、別に人間から謝礼を言うのを待つはずがありません。不幸にもこれと反対に万一セリナなどが、些細な事でも私が手伝いしたことについて嬉しそうな様子を見せませんでしたら、私は直ぐに不満足な心が起こり、涙を以ってその不満足の心を表しておりました。
 なおまた私は若し誰かに心配を掛ける様な事をした時には、すぐにこれに打ち勝たず、病気になるほど心配し、自分の過失を償うよりはかえってこれを大きくしておりました。その過ちについて心配しないようになりかけますと、泣いたことを想って更に涙を流すという程涙もろく、何事でも心配の種となっておりました。しかし今日ではその時分と反対に儚く過ぎ去る此の世のことは、たとえいかなる事でも失望や落胆をせぬ恩寵を受けました、私は昔の事を思い浮かべるとまことに感謝に堪えません連鎖の如く長く続く天上の恩寵のおかげで、今日は全然別人の如くに変わってしまいました。
 長姉マリアは「カルメル会修院」に入りまして後、私はもはやだれにも心の内を打ち明けることが出来なくなりましたから、天国の方に眼を注いで、そこに私より先だって昇って居る幼い時に亡くなられた、4人の小さき天使達(兄姉)に親しみ祈っておりました。この4人の天使達はこの世にいる間には汚れなき者であって、心の乱れや恐れを少しも知りませんでしたから、いまこの世に残って苦しんで居る可哀想なこの妹を憐れむに違いないと思いました。それゆえ私は幼き無邪気な心を以って彼らに向かい「私は家族の中では一番末の子であるから、父や姉から特に愛せられたによって、御身たちもこの世界に居られるならば必ず他の姉妹の如く私を愛してくださるに相違ありません」「「彼らが今の天国に居るからというて、私を忘れるはずがない、却って天主様の宝の中にくみ取ることができるから、私のために安心平和を与えねばなりますまい、然して私に天国に居るものはなお愛を知っているという事を示さねばならぬ」という事を彼らに向かって願っておりました。間もなく返事が来て平和と安心とも以って私の霊魂が満つるようになりました。
 かくのごとく私はただこの地上に於いてばかりでなく、天に於いても愛されて居りました。そしてこの時から天国にいる私の小さい兄姉に対しての信頼が増して、たびたびその取次ぎを願った、私は彼らに向ってこの世界に島流しに遭った愁いの事を語り、早く永遠の天国に面会に行きたいという事を語るのは愉快でありました。
 



コメントを投稿