そのころ私のために大いなる利益となった一つの事がありました。従姉妹のマリアは度々頭痛がしましたが、その都度母の叔母は彼女にへつらいの言葉を言って機嫌を取ろうとしましたが、しかしマリアはなお頭が痛い痛いを繰り返して涙ながらに不平を鳴らしておりました。私もその時大抵毎日のように同じく頭痛がしておりましたが黙って辛抱しておりました。ところがある夜図らずも私はマリアのようにすぐに部屋の片隅にある椅子に寄りかかって泣き出しました。すると私が深く愛していたマリア従姉妹のヨハンナと叔母がすぐ私の側に来て「なぜ泣くのか」と訊ねましたから、私はマリアの真似をして「頭が痛い痛い」と申しましたが、いままでこういう事をせず、またこの嘆くのはどうも私の性質に合わないと見えて、実際に頭が痛むために焚いているという事を誰も信じません。それゆえ、いつも通り私の機嫌を取り慰めるのに反して叔母は大人に向かって言うような言葉を使い、ヨハンナは本当の理由を言わぬのを少し残念がるような態度をして「あなたはなぜ本当の理由を言わないのですか、早く叔母さんにその理由をおっしゃい」と咎めるように申しました。大方、叔母は私がなにか大いなる心遣いのために泣くのであろうと思ったのでしょう。それで私は大いに当て違いとなったことを悔やみ、これから後は決して他人の真似などしないと決心しました。そしてその時、ちいさな犬とロバとのおとぎ話の意味をよく悟りました。……「ある時ロバは友達の小さい犬が特に主人に可愛がられ、主人の食事の時などにはいつも一緒に食堂に入って、その側で愛されているのを見て羨ましく思い、ある日主人の食事をさせられる時、子犬の真似をして自分の太く汚い脚を食卓の上に架けたところが、可愛がられと思いのほか、却って棒を以って強く打たれた」という話しがありますが、全く私はこのロバに似ておりました。別に棒を以って打たれはしませんでしたが、大いなる戒めを受けたのであります。それゆえ、こののち人の眼を惹いて愛を受けたいというような考えが少しも起こらないようになりました。
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