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愛の力(アンヌ・ド・ギニエの伝) 第四章 幼児の霊に於ける観想生活  三、天国との親睦

2019-11-03 19:02:31 | アンヌ・ド・ギニエ

 三、天国との親睦

 人と生まれた以上、この世の万物を無条件に利用し得る如く、霊的にも同じ法則で成聖の聖寵を持つ聖なる霊魂は、聖寵の在ます為に、神の性を分与され、霊魂に同様の性を与えるものである。」と神学者は言っている。福音の言葉に従えば、聖寵を持つ霊魂は、天国と交わるのである。天国との交渉は祈りに依るので、アンヌが聖人達と真の親密を保ったのは、祈りによってであった。
 聖女アニエスを、その純潔と、イエズスへの強い愛ゆえをもって、深く愛慕した。
聖シャンタルも、同じほど彼女を引き付けた。アンシイの訪問会に行って、聖女の遺物のもとに祈る幸福を得た時、彼女は愛する聖人と親密な会話に、深く浸りきった様子であった。
 しかし幼きイエズスの聖テレジアとは、また特別な間柄であった。このカルメル会の姉である聖女の聖影の前で沈思し、念ずる事を非常に好んだ。聖女の取った信頼と、愛の小さな道が、アンヌの心にぴったりとした模範であったので、自分もその道を選んだ。この聖なる童貞に、病気の快復を求める九日間の祈願を続けたが、その時の事は人々の記憶に深く残っている。彼女の熱心は言い表せない。
 アンヌの霊魂の傾向が、また、天使を愛し、兄弟の如く呼ばしめた。彼等と語る事は、何よりの喜びで、単純な可愛らしい方法で、彼等に祈りかけるのであった。遊んでいる時も、ふと途中で止めて、彼等の名前を書き、彼等の幸福を考える事を楽しみとした。弟妹等と天使等の光栄の為に、行列をした事もあった。そして即興の歌を歌ったが、その歌にもアンヌの強い信仰、天使等を見る憧れが窺われた。
 ある日、マデレンが大変悲しそうにしていた。ジャックとマリー・アントワネットが、「二人組」という遊びをしていたので、それは結局三番目の妹を除け者にするようになったのである。この遊びは順々に進級して行くので、一人の頭を戴き、最も善い子供が頭になるという規則になっている。親切なアンヌは、仲間外れにされた妹のところに来て、「レレン、そんな事は何でもないから、気にせずにいらっしゃい。さあ私達も二人でそれをして遊びましょう。私達の組の頭は、ガブリエル大天使よ、そして段々に進級して行きましょう。」二人の内緒話を聞くと、「さあ私達の小さな犠牲を捧げましょう。沢山捧げただけ余計に進級するのよ。」と言い聞かせていた。マデレンも慰められ、頭の守護の天使の賛美を歌いながら、楽しげに行ってしまった。アンヌはイエズスの為に、勝利を得た事を心から喜び、嬉しさに顔が輝いた。
 アンヌは、自分の守護の天使に、限りない信頼を抱いていた。全ての望みを彼女に任せ、彼を通じて神へと、その望みは登って行くのであった。「あなたは守護の天使にお願いしないのでしょう?天使はきっと助けて下さいますよ。」と小さい弟子達にいつも勧めていた。
 けれど、勿論天使よりも、遥かに彼等の元后を愛した。聖なる童貞マリアに対する信心は、また独特のものであった。幼年に似ず、マリア様の殉教者になろうという、直感というべきものを持っていた。天主の御母に対して、七つの御悲しみの聖母という名称で祈願し、十字架の下で黙想し、御苦しみを共にする事を愛した。幼い頃、誠に幼稚で拙いものであったが、聖母の御姿を描き、その下に「聖子の架けられ給える十字架の下に佇んで、聖マリアは泣き給う。御身と共に悲しむ恵みを与え給え。」と書きつけた。それはアンヌの心の傾向を現すものであった。そして、なぜ彼女は泣きたいかという理由を説明して、「イエズスが充分愛され給わぬから。」と言っている。この子供の心の奥底に、聖寵が深く、間断なく浸み透って行った跡を辿る事が出来る。彼女は楽しい、温かい、家庭の団欒を襲った、かの不幸をもたらした悲しみを、非常に鋭く感じていたので、我等の霊魂の御母のみが、それを慰め得べき力を持ち給うことを知っていた。
 ある夏、数ヶ月をルレイというところにある邸宅で過した時、深く愛しまつる聖母の聖像を安置して、「慰めの聖母。」と名づけた。毎月の第一土曜日には、聖マリアの聖心を喜ばせ奉るという心で、最も些細な過失も熱心に避けているのが、周囲の人にも分かった。そして聖母の御光栄に反して、犯される罪の代償として、その日一日全ての祈りと、無数の小さな犠牲を、聖母に捧げ奉った。「私達の日。」と内心の喜悦を表わし、その日を呼ぶのであった。誰に教えられた訳でもなく、独りでこの微妙な敬愛の表現法を思いついたのである。
 オービニイ時代に、ロザリオ会に入会した。大喜びで家庭教師にも、聖母の使徒となるように熱心に勧誘した。「ロザリオ会員になる事は、それはそれは容易い事です。ただ名前を出すだけで、沢山な贖宥が戴けますのよ。そのうえ私達は同じ家族の者となれますもの。」こんなに愛らしい勧めに乗らぬ者があろうか。この聖なる子供は、ロザリオを大変愛していた。ロザリオが彼女の一生涯を飾ったともいえる。自動車の長い道中飽く事なく、その玄義を黙想して、霊魂の清涼剤をそのなかに見出した。それこそ力を使い果たす迄に、周囲の者に奉仕する、健気な心尽くしを強める秘(かく)れたるマンナであったのである。アンヌは毎日ロザリオを一串ずつ誦えた。
 アンヌの殊勝な奉仕精神は、なにか情けの籠もった方法を思いつくのであったが、自分のことになると、いつも過酷であった。彼女の生涯の最終の十ヶ月間、アンヌは「棘なしの薔薇を摘む。」決心をした。「喜んで捧げるところの犠牲。」を諸聖人の祝日を期して捧げるため集めようとしたのである。「パパはきっと、聖母へその花束を捧げる事を心から喜んで下さるでしょう。」と言った。終りに近づくにつれ、天主の聖母への純な孝心は、いよいよ麗しく咲いた。我がロザリオ会員は、アベ・マリア・ステラを歌うが、この歌の中に、彼女の霊魂が全く発散されているとも言えるのである。聖マリアに対する敬愛の中に、アンヌは救い主に対する強い愛の秘訣を発見したのであった。天主の御母は、最も深遠なるものに、かくれたる秘密の中に籠もるイエズスの神秘を、万人の間に知らせる特典を持ち給う。他の幻像に比し、遥かに勝れた「人」となり給うた「御ことば」の幻を、聖母はいま完全に見奉る幸いを得給う。そして聖母は無比の名称である、「美しき愛の母。」にて在しますと同時に、無類の「裁智の母。」で、なかんずく神の真理の主で在します、行ける神の、光輝の秘められたる、輝かしい童貞に、「全ての光華を請い求め奉る事を知る霊魂は、幸いなるかな。」である。
 アンヌは聖マリアに、イエズスをよりよく知り奉り、愛し奉る事が出来る様にと願った。そしてそれに依って彼女の信心は、光の道を通って、愛の高嶺に到達したのであった。
 彼女は強い信仰の直感により、天主の御母の代祷者としての御役目をよく悟り、その御手の中に入れば、私どもの卑しい仕業、鉄か鉛ごときものも、金あるいは金剛石に化する事を知っていた。天使の歌隊の名が記してある紙片の端に、「天に於いてイエズスに渡し給うがために、我が全ての犠牲を聖マリアに托し奉る。」と言う聖母に対する奉献の祈りが書き記されてあった。
 最良の聖寵を期待するにも、彼女は聖マリアに求めた。「何かをする前には、いつも聖母に祈願し、祈らなければならぬ。」と書いている。「私の心に幼きイエズスが来たり給う時には、いつも聖母に、イエズスを守って下さるようお願いせねばならぬ。」とも書いている。
 またアンヌが自分の考えを書き付けている紙片に、「もし不幸にして私が地獄に落ち込む様な事があったら、聖母といえども、ママとても、私を引き出す事は出来ない。」と書いてあった。
 聖マリアに捧げた、天真爛漫な歌は、調子も、音律も、無頓着に書いてあるが、その抒情詩体の中に、湧き出づる真情、水の如き新鮮さを以って、愛情が現れている。ヴィロンやヤコボニ、デイ、トゥデイ等の名詩調を味わう心地さえする。ロザリオの祝日に、聖体拝領の用意の終りに、これを歌うとよい。原文の味は出ないが、大意は左の如きものである。
 おおマリア様、私の優しき御母よ、お貸しください御身の聖子を、ただ一時のみならで、何卒聖子を戴かせ給え。卑しき私の腕なれど、お許し下さいマリア様よ、御恵みを沢山下さった御身の愛しの聖子の御足を私が接吻する事を、どんなに望んでおりましょう。ああ、マリア様よ、私の腕に御身の聖子をお受けする事を、聖子を私に給いてよ、聖子を私に給えかし。

 聖体の脆き(もろき)形色の中に、聖母は愛する御子を、アンヌに与え給うた。歌調は新たに歓喜に満ちて湧き起こる。

 私は今なんと幸福でしょう。
 私はイエズスを我が物としているから。


 次の折り返しは、拝領できなかった時、この子供が泣きながら、切なる望みを現すために歌うものであった。

 ああ、マリア様よ、聖子を私に下さいませ。
 なにとぞお願い致します。御身の聖子を望みます。何卒お願いいたします。御子を私に与え給え。 (三、天国との親睦 終わり)

読んでくださってありがとうございます。 yui



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