企業などの人間組織では、データをとる行為は客観的でも中立的でもありえない。
主観的な行為であって偏りをもたざるをえない。
しかも、それは対象を変えるのみならず、データをとる者自身を変える。
注意を向けてデータをとるという行為そのものが価値を加える。
データをとられることは重視されたことを示す。
企業のような社会的な状況においては、データをとることは価値を定め、目標を定めることに等しい。
客観的ではありえない。
必然的に価値がかかわってくる。
データをとることがビジョンを生み出す。
こうしてデータをとる行為は、データの対象とデータをとる者を変える。
意味と価値を賦与する。
したがって、データにかかわる根本の問題は、いかにデータをとるかではなく、何のデータをとるかにある。
:「マネジメント 課題、責任、実践」
ドラッカー的な文章である。
ケインズの講演を聞いてケインズがお金の流れを意識しているのに対して、ドラッカーは人の流れを意識している自分に気づいて、経済の世界から社会生態学者の世界にポジションを変えた。
新しいことやものを意識することによって、自分の中の何かが変わる。
目的、目標を達成するために現状の数値等の見える化されたものとの乖離を埋めようとするよりも、目的、目標を達成するための思いや情熱という見えない部分を埋めることの方が大切ではないか。
それでは、目的、目標を達成するという思いの欠落した部分を埋めるにはどうすればよいのか?
新しいことやものを意識することとは?
例えば、自分の周りにいるできるだけ多くの人の様子を観察すること。
ロールモデルを見つけることができれば、その行動を観察することが非常に役に立つ。