偕楽園は1841年に水戸藩主徳川斉昭によって造園が開始され、
翌年1842年に開園されました。
斉昭公は千波湖に臨む七面山を切り開き弘道館で文武修行する
藩士の休養の場にすると同時に領民と偕(とも)に楽しむ
場にしたいとして「偕楽園」と名づけました。
日本三名園は岡山の後楽園、金沢の兼六園と水戸の偕楽園です。
後楽園、兼六園を以前に見物しましたがいずれも素晴らしい名園でした。
蓮池は南門に近く池を見ながら竹林の斜面を登っていきます。
偕楽園の西半分を構成する竹林と杉の鬱蒼した林の中を進む道が続きます。
この道に沿って東へと進み、幾つかの門を経由して好文亭へと至ると風景が一転し、
千波湖を一望する高台に位置する明るく華やかな一面の梅林へと到着します。
偕楽園は西半分に位置する杉や竹の林が陰の世界を、北東の梅林が陽の世界を
表すことで、園全体で陰陽の世界を体現しているともいわれています。
表門から入ってこそ園の設計に沿った、偕楽園本来の魅力を
堪能することができるのだと解釈する説もあります。
この表門は黒塗りであることから「黒門」とも呼ばれています。
現代では表門は偕楽園駅や主要な駐車場から遠く離れており、
この門から入園する観光客は少ないので優雅な表門を載せました。
現在は梅林へと直接通じる「東門」が主要な出入り口として利用されています。
次回は好文亭からの眺めです。