偕楽園の好文亭につきました。
好文亭は木造二層三階建ての本体と木造平屋造りの奥御殿から出来ています。
位置や建築意匠は斉昭自ら定めたといわれています。
各所に創意工夫と洒脱を感じさせます。
斉昭はここに文人墨客や家臣、領民を集め詩歌や養老の会などを催しています。
藩主夫人やお付きの婦人が使用した?厠も備わっています。
広さ約13ヘクタールの梅林には100種3000本の梅が植えられています。
「好文亭」は梅の異名「好文木」に由来しています。
晋の武帝の「学問に親しめば梅が開き、学問を廃すれば開かなかった」
という故事に基づいて名付けています。
好文亭からの眺めです。
秋には萩祭りが楽しめます。
急な斜面を下りていくと「正岡子規」の歌碑があります。
ー 崖急に 梅ことごとく 斜なり ー
明治の代表的俳人正岡子規が、偕楽園を訪れた時に詠んだものです。
ここを通る度に俳句に素養のない私には奇異に感じます。
梅は傾いていたかなぁ ~
明治22(1889)年の4月、正岡子規は学友菊池謙二郎を尋ねて、
友人と二人で水戸を訪れています。
このときに詠まれたもので当時、鉄道は水戸まで通じていたが、
子規たちは貧乏学生のことで弥次喜多道中よろしく、
水戸街道をたどる徒歩旅行でした。
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正岡子規
帝国大学哲学科に進学したものの、後に文学に興味を持ち、
翌年には国文科に転科し、この頃から「子規」と号して句作を行う。
子規は数々の野球用語の日本語訳を施したが、
そのほとんどが現在でも使われている。
それは「直球」「打者」「走者」「飛球」などである。
幼名を昇といったので、それをもじって「野球(のボール)」という雅号もあった。
東大予備門では夏目漱石・南方熊楠・山田美妙らと同窓。
日本の俳人、歌人、国語学研究家である。