偕楽園から常磐線と国道の長い跨架橋を渡ると千波湖に着きます。
そばを流れる桜川には夕暮れ時で鳥たちが川岸に集まっています。
川の土手に茨城県結城郡(市)出身の長塚節(ながつかたかし)の
歌碑と記念碑が建てられています。
長塚節は豪農の家に生まれ、3歳のときすでに
百人一首を暗誦できたとの言い伝えがあります。
長塚節は19歳の時、家で購読していた新聞「日本」に連載された
正岡子規の『歌よみに与ふる書』を読み、その写生説に激しく共感、
21歳になると子規の許を直接訪ね、入門し『アララギ』の創刊に携わっています。
子規の下ではもっぱら万葉の短歌の研究と作歌にはげんだが
子規の没後もその方向性を違えず、写生主義を継承した作風を発展させました。
子規門人の間で「節こそが正岡子規の詠風の正統な後継者である」
と評価されています。
30代前半に東京朝日新聞に連載した小説「土」は
日本の農民文学を確立した作品といわれています。
高校時代に「土」読んで感銘を受けました。
長塚節は結核のために37歳の若さで死去しました。
偕楽園で正岡子規の歌碑を見た後に長塚節の歌碑を見て
二人が師弟関係にあったことを今ごろ知りました。