I.Takashi @ NED

商業計画プランナー、リサーチャー、ライター。
海外の街や特別なホテルの情報、最新農業事情や食の研究などをお届けします。

【Column-07】海外は喜怒哀楽の宝庫だ

2019-02-13 11:28:25 | 【Column】Life Column

海外生活ではストレスがかかりやすい。

 

まず基本的には国の不安定さと変化の速さ。

国の規制やルール変更で、時には海外在住者の権利さえ危ぶまれる。

入出国のルール変更により、帰国を余儀無くされる人もいる。

輸出入のルールが変わることにより、商売が成り立たない人も発生する。

国の政策が一般市民、特に外国人の生活に大きく影響を与える。

 

 

また、言葉の問題や習慣の違いもありトラブルも多い。

大家との交渉、水光熱費の支払い、携帯契約の更新、銀行の手続き、物の返品交渉等、

日本でスムーズにできることが面倒になることも多い。

 

タクシーは総じて安いが、行きたい場所にすんなり行けないことも多い。

タクシーにも交渉や丁寧な場所の説明が求められる。

 

食べるものも日本人の胃腸に合わないものも多い。

時にオイリーな食べ物でお腹の調子が悪くなることもあるし、

子供連れだと食べるものが少ないようなスパイシーなレストランも多い。

 

働いていると商習慣の違いにも苛まれる。

契約交渉、翻訳の差異、営業スタイルの違い、多国籍での価値観の違い、意思疎通の不足などなど。

 

そして海外生活では友達も減る。

日本で他愛の無いおしゃべりをしていた相手も減ることで特に女性はストレスの行き場が減る。

 

日常のコミュニケーションにおいても同様だ。

皆自分のためにより強く生きている。

相手のことを敬う日本の文化は大事にすべきものと思うが、

海外生活ではそれは時にリスクとなる。

自分のことをしっかりと考えて意思表示することは

多文化が入り混じる海外では交流姿勢の基本となる。

 

 

結果、生活における喜怒哀楽が激しくなる。

日本では大人しかった人も、

海外では自分の意思をはっきりと、

そして強く表示しないと伝わらないからだ。

 

生活においてそれは時に問題に、喧嘩になり、

感情の起伏を大きくさせてしまう。

 

ただ逆に、良かったことの喜びは一層大きくなる。

些細なことを楽しみ、喜び、祝う生活になる。

 

安定した生活は安定した価値を生み、変化は少ない。

不安定な環境はリスクを生み、そして感情の起伏と新たなチャンスを生む。

 

ほとんどの世界は不安定な環境下にある。

3年先のことでさえ見通すことが難しい。

 

日本も同様な環境にいることは、

自国に大きな消費マーケットが存在する日本だけにいると変化やリスクは感じにくい。

しかし繋がっている世界の中にいる以上、世界の大きな変化は日本にも影響を与える。

 

リスクはどこにでもある。

海外で生きることは、何よりも生きている実感を簡単に、そして強く得れる。

 

僕は生きることを実感して生きる道を選ぶ。

 

I.Takashi


【Column-06】日本の歴史と生活環境

2019-01-14 08:02:32 | 【Column】Life Column

東南アジアの中を日々移動していると、

同じアジアでの日本とで決定的に異なるものの一つに食環境がある。

 

その一つの例として、日本の食への小麦の多用にある。

·パン

·うどん

·粉物

·揚げ物

·パスタ

·ピザ

·ケーキなどの洋菓子

·クッキーなどのお菓子製品

コンビニエンスストアやスーパーで何か買おうとすると

小麦製品を100%避けることはほぼ難しい状況である。

 

そしてもう一つ。

日本人に特に多い病気としてアトピーがある。

体内のアレルギー反応が過剰に皮膚に起こる病気だ。

東南アジアにおいて、日本を除きあまり見ることはない。

食品添加物が原因の一つととも言われているが、

添加物は他の国においても頻繁に使用されている。

なので、日本においてアトピーがメジャーな状況は添加物だけとは言えないと思う。

 

上海、ホーチミン、バンコク、クアラルンプール、シンガポール、

色々な都市を移動していると、米食を食べる機会が多い。

米が安く手に入るんだから当たり前だ。

でも日本の食に関しては小麦食が異常に多い。

 

歴史を遡って見ると、戦後の日本とアメリカの関係にたどり着く。

戦後の食糧不足の日本の状況にうまく入り込む形で、

アメリカの小麦が余っている状況を解決すべく、

日本の給食への無償奉仕(段階的に有償化)、小麦食の宣伝活動を経て、

1953年以降、日本の食にパンをはじめとする小麦の食が戦略的に習慣化された。

 

アメリカと日本の主従的な関係を知るにつれ、

僕は日本の小麦食について非常に懐疑的になってきている。

またアジアを自分で移動し、体験してきた米文化と対比することで

僕の懐疑はより大きくなってきている。

 

僕は半年前から、100%までは行かないまでも小麦食をやめてみている。

それは僕が上海にいる時間が長くなってから体調が良いことが増え、

それまでの皮膚の炎症が軽減された経験からきている。

もともと、日本の軟水が中国の硬水に変わったことが原因かと考えていたが、

実はそれらの原因にあるのは食にあるのではないか、と推測したからだ。

 

ハンバーガーがはじめとするファストフードを食べることを見直し、

パスタやピザを食べることをやめ、

ケーキは誰かの誕生日にのみ食べることにし、

お菓子を食べたい時はスナックではなく和菓子屋お餅を食べる。

パンは米粉のパン以外食べないようにしている。

 

そうするとどうだろう。

僕の小さい頃からの持病であるアトピーがほぼ問題なくなってきている。

乾燥する日本の冬の時期は特にいつもアカギレで荒れていた手が、

今年の冬は特に大きな問題も起きていない。

アジアに住むアジア人の胃腸に、過剰な小麦(グルテン)が合わない人も多いと思う。

慢性的な体調不良の方々は、ぜひとりあえず数ヶ月間試して見ることをオススメする。

 

日本で生活していると、小麦に問題があるというニュースがは大きく取り上げられない。

テレビのスポンサーとなっている食関連の大企業は小麦を取り扱っている会社が多いことも原因だ。

ただ現代においては自分でIgGなど、自分のアレルギーについて、遅発性のものも含めて知ることができる。

リッキーガット症候群についての詳細な記事や書物を読むこともできる。

 

日々の自分の行動を見直し、

的確な情報をサーチし、

自分自身を調べて試して見る。

 

知るべきは自分自身。

意思を持って生きることが大事と感じる今日この頃です。

 

I.Takashi


【Column-05】未来から過去へ

2017-10-28 04:30:45 | 【Column】Life Column

昔はなぜ窮屈に感じることが多かったのだろう。

昔はなぜ人の言うことを納得できないことが良くあったのだろう。

 

僕は時々思うことがあります。

今僕はどんどん自由になっていると。

過去のしがらみから解放され、

自分の思うことをはっきりと言えるようになってきている。

自分の意思で立ち、行動し、その自由を満喫している。

 

多分それは本来当たり前のことかもしれません。

 

今は昔縛られていた世界から抜け出し、

川の流れが自然に海へ向かうように、

僕はただ「ある」状態へと向かっているように感じます。

 

今現在、今という時に適応して生きていけているとしたら、

本来あるべき姿(それを「未来」という)へ向けて、

自分を解放できるようになった、ということでははないでしょうか。

 

逆の言い方をすると、

過去に経験を積み重ねていくことで今が作られているわけではなく、

未来のあるべき姿・未来が先にあり、それに近づいているだけ。

 

「過去から未来」という時間の流れは西洋的概念らしいけど、

それはただ時間の流れを示しているに過ぎず、

本当はあるべき姿のある「未来から過去」という存在の過程。

今を含めた過去はその過程に過ぎないと思うのです。

 

I.Takashi


【Column-04】マレーシア副国王と身近な友人

2017-10-05 14:18:43 | 【Column】Life Column

最近東京で会った新進気鋭のファッションデザイナー。

まだ20代で若く、とても勢いがある。

その彼がマレーシアの副国王と一緒に食事した、と自慢してた。

 

毎回このような話を聞くたびに非常に違和感を覚える。

この手の話は、若手の場合、金持ちの二世に多い。

お父さんが偉大で、人から尊敬されるような人。

お父さんは社会的信頼が厚く、信用を積み重ねているから

結果的にお金が集まり、お金持ちになったはずだ。

 

マレーシアの重鎮と食事することはすごく貴重な事だし、誰でも体験できることではない。

ただ、著名な方と食事をすること自体で、その個人の価値が上がるわけではない。

仮に自分が著名になりたいのであれば、認知度を向上させるのではなく、

多くの人に支持してもらえる人としての信用を売るべきだ。

それは著名ではなく、身近な友人への信用から始まるのかもしれない。

 

情報がたやすく拡散するこの時代、

本当に必要なのは、人としての高い信用と個人の情熱。

それを適宜、時代に合わせたインフラを駆使して行けば、

届けたい人に適切に情報は届くはずだ。

 

僕自にとっても、本当に必要なのはマスの情報ではなく、

心から感じる自分の感情とそれを適切な受け手に届ける技術の構築。

 

いままでにない新しい時代に僕がいることにワクワクしている。

 

I.Takashi


【Column-03】窓が外れて吹っ飛んだ

2017-09-29 12:58:13 | 【Column】Life Column

上海で最初にすんだマンションでのこと。

東京の山手線で言えば代々木的な立地にあたり、

そこそこ都心で発展も程よい住宅エリア。

そこが僕の最初の住まい、マンションでした。

 

12階で見晴らしも良く、

マンション隣には高速道路も走っていたが、

騒音はそれほど気にならない環境です。

中国でも上海は日本から見ると南西方向にあたり、

冬は日本よりも風が強いイメージです。

 

最初の冬はまだ上海に移住して数ヶ月だったこともあり、

生活に慣れない日々が続いており、その疲れからか、

夜は10時〜11時くらいには就寝してしまう毎日でした。

その事件の日も10時には就寝していたと思います。

 

ぐっすり眠っていた明け方2時頃、

突然外で「ガッシャーン」とガラスが割れる音がしました。

それなりの音だったため、夜中で寝ていても少しその音が聞こえました。

ただ眠さが優っていたこともあり、そのまま寝続けていました。

その音から間も無く、風が家の中を抜けるようになり、

窓際からは「シューシュー」と隙間風の音が聞こえ来るようになりました。

その寒さで眠気から覚め、起き上がり、

暗がりで部屋を見渡し、窓に近寄って見て、呆然としました。

 

窓のサッシが丸ごとひとつ、外れていたのです。

 

そこから下を覗いて見ると、地上歩道の上には

粉々に砕けた窓枠とガラスの残骸。

 

中国は日本よりマンションがボロいとは聞いていたが、

まさか窓が外れるとは思ってもなかった。

 

しかしながら、歩行者がいなくて本当によかった。。。

 

I.Takashi