西村一朗の地域居住談義

住居・住環境の工夫や課題そして興味あることの談義

漢字の大家・白川 静さん逝く96歳

2006-11-02 | 諸先生・諸先輩・同輩・諸後輩の思い出
今朝の新聞で、漢字の大家・白川 静さんが96歳で亡くなられたことを知った。100歳までと思っていたのに・・、残念だ。先生は福井県人、北陸人の粘り強さがある。苦学して立命館大学を出て、母校の教授を長らく勤めた。先生は、立命館の、京都の、北陸の、いや日本の「宝」のような人だ。私は白川さんの平凡社刊の三部作『字統』『字訓』『字通』をかって私としては「大金」を投じて買った。今でも書架の一番下の段に鎮座して、全体の「知」を支えているようだ。前に私は中国の簡略体の漢字や韓国のハングルのみについて一寸批判的ブログも書いたが、これも白川先生のお考えでもあった。正統の漢字を東洋文化の共通項にしたい、と思われていたのだ。私も先生の本を読んで「目からうろこ」が何度もあった。「告」という字を「牛が耳に口を近づけて何かを訴えること」などという俗説を厳しく批判、「牛」は木の小枝の形、「口」は、くちではなく、そういった形の祭器(さい、と発音)で全体では小枝を祭器にさしている形とのことだ。学問の「問」も私は分かりやすいので、門に入るには口(くち)を出さないと・・・、と言っているが、白川説では、この「口」も「さい」となる。「臭」も「自」の下に「大」ではなく「犬」でなければ、というのも説得性がある。先生の著書は、70歳位から大いに世に出てきた。あやかりたいもの、でももう一生かかっても白川先生のような「字通」にはなれまいと思う。

教育への政治の介入はやめた方が良い

2006-11-02 | 時論、雑感
高校での必修未履修が発覚、続出して、ニュースになり、政治問題化して国会でも取り上げられてしまい、文部科学省も乗り出さざるをえなくなって、補修時間や補修のやり方を「値切っても良い」みたいな方針を出している。これは一寸おかしいとは思いませんか。こうなったのは、必修未履修→履修の要→大学受験まで時間なく受験生「可哀想」→なんとかして(受験生や保護者の多数?)→履修の「値切り」という連関である。そもそも最初の「未履修」が間違い、ここを誤魔化したのも間違い、だったらきっちり履修するのが筋だ。「値切り」では余り身につくまい。「間違っても、騒げば何とかなる」「先生も誤魔化す、なら自分等が誤魔化して何処が悪いんだ」みたいな考えを高校生にもたらすのは良くないし、悲しい。
未履修で大学に来ている学生にも、自主的に学習すべし、と言いたい。
高校教育と大学受験が余りにも直接的にリンクしている根本問題を何とかしていくことも大切だ。教育への信頼は、教育者自らの努力で回復すべきで、政治的解決は邪道であると思う。