因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

新国立劇場 シェイクスピア、ダークコメディ交互上演『終わりよければすべてよし』&『尺には尺を』

2023-11-16 | 舞台
*小田島雄志翻訳 鵜山仁演出 公式サイトはこちら 新国立劇場中劇場 19日終了
 2009年の歴史劇上演に始まった新国立劇場シェイクスピアシリーズだが、観劇したのは2012年の『リチャード三世』のみ。敷居が高かったのか、自分にはあまり馴染みのないシリーズであったが、今回のダークコメディ2本立てからは演出と主演陣の経験値と熱意が伝わり、これまで足を運ばなかったことを少々後悔している。

 俳優は必要以上に声を張り上げることなく、観る(聴く)側も疲れず、落ち着いた心持であった。『終わりよければすべてよし』→『尺には尺を』の順に観劇し、これまでに体験したことのない不思議な感覚を持った。悲劇ではないが、大騒動が何とか収まり、晴れやかな婚儀の大団円でもないのである。「問題劇」と言われている通り、「いや、ちょっと待ってくれ」と疑問が湧いてくる。それが不完全燃焼ではなく、むしろ心地よいのはなぜだろう?

 今年7月に観劇した同じ鵜山仁演出による文学座公演『夏の夜の夢』を思い出す。若者たちの恋の迷走がようよう結婚に収まってめでたしめでたしなのだが、含みをもたせた意味深長なシーンがあり、ふと「もしかしたらあったかもしれない別の物語」を予感させたのである。

 『終わりよければすべてよし』のヘレナ(中嶋朋子)は父親から継承した医術でフランス王(岡本健一)の病を治し、その褒美としてかねてから慕っていた身分違いの貴族バートラム(浦井健治)と結婚する。しかし夫は妻を拒否してパリへ行き、ヘレナが知力を尽くしてバートラムと結ばれるまでが描かれる。ヘレナは美しく賢い。しかし彼女ほどの女性が一途に追うほど、バートラムは魅力的なのかという疑問が最後までつきまとう。なぜ彼女が彼に恋をしたのか、その過去や経緯が語られないことや、愚直に真心を伝えるのではなく、別の相手と思わせて自分がベッドを共にし、言わば既成事実を作って結婚を成立させることにも納得がいかない。これでいいのだろうか、これが幸せな結婚と言えるのか。

 本作の岡本健一は、登場してすぐには彼と思えないほどたっぷりと作り込んだフランス王を演じる。なぜ彼にこの役を?と戸惑うが、最後の場面でその意図がわかる。なかなか心憎い趣向である。これには「やられた」という幸せな感覚があり、「終わりよければすべてよし」とはこういうことかと思わされる。

 が、『尺には尺を』には釈然としない感覚が色濃く残った。婚前に関係を持ったとして死刑判決を受けた兄を救おうとする修道尼見習いのイザベラ(ソニン)に、公爵代理アンジェロ(岡本)は兄の命と引き換えに関係を迫る。と、本作にもアンジェロを愛する元許婚のマリアナ(中嶋)がおり、やはり替え玉の「ベッドトリック」によって問題を解決に導く。修道士に変装して事の次第を監視していた公爵(木下浩之)はイザベラに求婚。困惑し、周囲に助けを求めるように何度も振り返りながらも、イザベラは公爵に手を取られて奥へ進んでゆく。

 物語において一目惚れや一瞬の改心は珍しくないが、今回の2作には共に「なぜここまで愛するのか」という疑問や、バートラムはよそ見をするのではないか、アンジェロはマリアナを大切にできるだろうか等々、物語とは言え、観劇後も「心配」が尽きない。結婚したからすべて幸福ではなく、人間は弱く、心は移ろいやすいから、さまざまな困難に見舞われること、互いの心が覚めて、憎しみすら抱くことを私たちは身に染みてわかっている。だからあまり混じり気のない喜劇に大いに笑いながらも、「現実は違う」と思う。この「裏側の気持ち」とでも言う、それこそ「ダーク」な部分を刺激されるのである。

 これまで観てきたシェイクスピアの喜劇のいくつかを思い出す。前記の『夏の夜の夢』もそうだが、『十二夜』のオリビアに恋焦がれていたオーシーノー公爵が、献身的に仕えて来たお小姓が実は女性で自分を慕っていたと知るや、「早く女の衣裳を着たおまえを見たいものだ」と熱烈に求婚するなど、可愛いものではないか。

 人は生きるほどに実人生の苦さを知る。物ごとの完全な解決や傷ひとつない幸福はありえないからこそ、「それでも終わりよければすべてよしとしよう」と自らを納得させ、明日からも何とか生きていこうとする。

 『尺には尺を』→『終わりよければすべてよし』の順に観劇したほうが気持ちがよかったかもしれないが、逆だったことでこの2作によって炙り出されるものが次第に強く鮮明になりそうな予感がする。この世には理不尽や不幸が尽きることはない。その筆頭が戦争だ。仮に戦争が終わったとしても、「終わったのだからすべてよしとしよう」などとしてはならないだろう。

 涙を呑んで「終わりよければすべてよし」とすることがふさわしい時は確かにあるが、「そうはいくものか」と昂然と顔を上げ、事に立ち向かわねばならない時もある。

 理解、納得して楽しめる舞台は観る者に幸福を与える。しかし疑問が消えず、心に棘が刺さったままで後を引く舞台からは、この世を生き抜く力を得られるのではないだろうか。

 このたびは観劇の感想も十分でないままに、彷徨う心の様相を書き連ねてしまったが、おそらくこれは稀有な体験であり、大切に抱えていきたい。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 因幡屋通信74号完成&ぶろぐ公開 | トップ | 演劇集団円『グレンギャリー・... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

舞台」カテゴリの最新記事