因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

龍馬伝第23回『池田屋へ走れ』

2010-06-07 | テレビドラマ

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 近藤長次郎(大泉洋)と徳(酒井若菜)の婚礼と神戸村の海軍操練所の完成に沸き立つ勝塾の面々だが、亀弥太(音尾琢真)は武市半平太(大森南朋)はじめ、かつての土佐勤王党の仲間たちが次々に投獄されていること、攘夷派がすっかり本流からはずれてしまっていることに思い悩む。龍馬は亀弥太を説得するが、彼は操練所から姿を消す。長州藩を中心とする攘夷派の武士たちのもとへ向かったというのだ。志が変わったものを引きとめることはないという勝塾の仲間たちに対し、龍馬は「いなくてもいい者など、ここにはひとりもおらん」と叫び、亀弥太を連れ戻しに京へ向かう。いなくなった一匹の羊のために、あとの九十九匹をおいて探しにでる羊飼いのごとく。

 岩崎弥太郎(香川照之)が、厚かましく武市家へも材木を売りに来たかと思いきや、「どこか壊れたところはないか、わしが直してやる」と言うではないか。弥太郎自身が言うとおり、このところ幸せつづきの岩崎家であるための余裕もあるだろうが、しかし弥太郎も武市を心配しているのである。仲の良い友とは言えないが、何か通じるものがあるから自分が役に立つことをしたいと思い立ったのだ。秘かに武市を支える牢番の和助(小市慢太郎)の登場といい、これはやはり武市半平太の人徳であろう。だからこそ方向違いの暴走と失脚を残念に思うのだ。

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2 コメント

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どんな凶悪犯でも、人生の中でどこかで誰かに親切... (たろう)
2010-06-10 22:28:18
どんな凶悪犯でも、人生の中でどこかで誰かに親切をしていたことはある。例えば、このドラマで武市にイメージを重ねているのは、日本赤軍のリンチ事件の関係者という見方があるが、そんな彼ら彼女らのシンパが21世紀になってもいる。
史実では、東洋に見出され、後藤配下で東洋暗殺犯の探索などをしていた弥太郎が、武市やその親族に何らかの好意を働いたことは何ら記録されていない。
また、当たり前だが、牢屋番の何某は「竜馬伝」の架空の人物に過ぎない。
>これはやはり武市半平太の人徳であろう。
>だからこそ方向違いの暴走と失脚を残念に思うのだ。
無謀なテロで藩政を混乱させただけの、卑しい身分の中途半端な秀才では、ドラマにならないので、架空の設定を付けくわえているのに「人徳」と言われれば、NHKもウハウハであろう。
だからこそ残念って涙でもしてる人が視聴率20%を支えているのだろう。
素振りを何度しても野球がへたくそな人がいるが観劇にも同じようなことはあるのだと、得心させられた。
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たろう様のコメント拝見しました。しかし、史実の... (なおこ)
2010-06-11 16:50:38
たろう様のコメント拝見しました。しかし、史実のみでは司馬文学は生まれなかったでしょう。その時代の空気、人物の本質を掬いとり、肉付けしていくのが歴史ドラマなら、あまり斜に見るのもつまらない。騙されとけ、とむしろ言いたいです。
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