ここ数日にわかに冷え込んできた都心の一角、急な坂の上の小さなホールで行われた一日限りの公演は、寒い夜の温かな夕餉、それを囲む優しい人々の笑顔を思わせる幸せなものであった。
☆第一部 久里子四段返し・・・波乃久里子の当たり役の舞台から4作を選び、五十嵐あさかのチェロの生演奏とともに聴く試み。チェロの音は人間の声によく馴染むと聞いたが、実際ここまでとは。物語が始まる直前の舞台の空気を整え、観客を劇世界へいざなう。台詞の間合いのほんの一呼吸の音、ときにはボディを軽くこんこんと叩いて楽しげな雰囲気を醸し出すなど、出過ぎず引き過ぎず、佳き調和である。
・『大つごもり』樋口一葉原作 久保田万太郎脚色 第一場
杉村春子主演のラジオドラマはじめ、これまでさまざまな座組で見聞きした作品だが(劇団文化座アトリエ公演/2010年10月、「朗読新派」/2013年12月、座☆吉祥天女/2020年11月)、波乃久里子による「おみね」を観る夢が叶った。出入りの仕事師・宇太郎(田口守)とのやりとりの第一場だけではもったいなく、全幕観劇する機会の訪れを願う。
・『日本橋』泉鏡花作 第一場「一石橋の朧月」より
艶やかな芸者・清葉(久里子)と縁日の植木屋・甚平(佐堂克実)の会話。思うに任せぬ浮き世の辛さ。流れるように発せられながら、じんわりと温もりのある鏡花の台詞が耳と心に届く。この作品は、昨年東劇のグランドシネマで上映された坂東玉三郎主演の舞台を鑑賞したのみである。やはり生の舞台と出会いたい。
・『頭痛肩こり樋口一葉』井上ひさし作
この世の人生を終えて「御霊」となった夏子(一葉)が、母と妹の会話を見守る最後の場が披露された。2000年新橋演舞場での上演が、自分の新派デヴューであったか。見慣れた新劇系の俳優とは違う造形であったことが印象に残る。
この世の人生を終えて「御霊」となった夏子(一葉)が、母と妹の会話を見守る最後の場が披露された。2000年新橋演舞場での上演が、自分の新派デヴューであったか。見慣れた新劇系の俳優とは違う造形であったことが印象に残る。
・『遊女夕霧』川口松太郎作
夕霧(久里子)は惚れた男を救い出すために彼が騙した相手に頭を下げ、哀願し、拒否されると恫喝まがいの捨て台詞を吐く。相手役の講釈師・悟道軒円玉の田口守の緊張したやりとりを、円玉の女房お峯(伊藤みどり)のひと言がやわらげる。頑なな円玉の心がほぐれ、打ち解けてゆく様相が心に沁みる。
波乃久里子は台詞そのものはもちろんだが、ほとんど言葉にならない息づかいに魅力がある。人物の必死の思いがそこに現れている。本作はみつわ会公演を一度観劇したことがあり(2014年12月 もう10年前になるのか・・・)、その時、「力になり合える」という台詞がいたく心に残ったのだが、戯曲を読み返すと、「力になり、会える時がありましょう」であった。この幕に登場する人々の心にある大切なもの。色恋を越えた男女の心の交わり。「夫婦にゃなれなくったって、きっと力にはなれますよ」。今回の朗読劇ではト書きは読まれないが、この台詞のあとには「と、コップを見ないで、一口飲み、むせび泣く」とある。短い芝居であり、次回はぜひ全幕を聴きたい。
☆第二部『太夫さん』より第二幕
昨年春の思い出が生き生きと蘇り、さらに進化した。今回も久里子の遊郭の女将おえいと大阪から駆けつけた曾我廼家文童演じる隠居の善助の軽妙なやりとりが楽しい。おえいと善助は、辛い恋の修羅を経て穏やかな老境の今に至ったのであろう。「ソウルメイト」という言葉を時折耳にするが(例:藤原道長と紫式部)、自分にはどこかしっくりしない感覚があって、おえいと善助の語り合う姿を見ながら、この互いへの信頼と労り、愛情の様相を表すには、どんな言葉がふさわしいのだろうかと考えた。ふたりが指切りをする場面があり、互いの小指を出してからだを寄せ合うが、からだは触れ合わない。朗読のかたちをぎりぎりまで守る。ここが好ましいのである。
カーテンコールでは構成・演出の齋藤雅文が音楽の五十嵐あすか、俳優一人ひとりを愛情こめて紹介し、主演の久里子、客演の文童、音楽の五十嵐が感無量の挨拶をされた。齋藤は衣裳も鬘も化粧もせず紋服で踊る「素踊り」(Wikipedia)を例に挙げ、今回の朗読会はこの素踊りのようなもので、よほどの技量がなければできないと、久里子を称えた。また今回「遊女夕霧」の円玉を演じた田口守はこれが初役だったそうで、演出の齋藤自身も驚いたと言う。客席からもどよめきが起こった。それほど台詞も表情も手の内に入った見事なものだったからである。
自分が久里子に惹かれるのは、技量を超えた自然な味わい、物語の人物が客席の自分のすぐそばにいるかのような実感があるためである。巧い。けれど嫌みがない。息づかいと体温が伝わり、その人物に心を寄せることができるからなのだ。
ムジカーザは出入り口が小さく、ロビーも狭い。ホールを出るところも微妙な段差があり、すぐに急な坂である。高齢の観客が多いこともあり、終演後の退場については観客同士距離を取って少しずつ進むようにアナウンスしたり、数列ずつの規制退場を実施するなど、若干の配慮が必要と思う。素晴らしいホールでの温かな朗読会をこれからも心いっぱい、安心して楽しむために。
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