ミッチ・アルボム作 ジェフェリー・ハッチャー、ミッチ・アルボム脚色 吉原豊司翻訳 高瀬久男演出 公式サイトはこちら 本多劇場 15日まで (1,2,3)
売れっ子スポーツライターのミッチ・アルボムは、偶然チャンネルを回した深夜番組に、大学時代の恩師モリー・シュワルツ教授が出演しているのを目にする。教授は神経が麻痺する進行性の難病ALS(筋委縮性側策硬化症)に侵されていた。ミッチは卒業してはじめモリ―先生の自宅を訪れる。たった1度の見舞いのつもりだったが、恩師と人生の意味についての語らいのために、毎週火曜日にデトロイトからボストンに通うようになる。
加藤健一事務所30周年記念のラストを飾るのは、ミッチ・アルボムによる同名のノンフィクションを舞台化した作品である。バリバリのスポーツライター・ミッチを高橋和也、彼を学生時代同様に温かく受け止めるモリ―先生を加藤健一が演じる二人芝居である。
内容からして極端に動きの少ない台詞劇だと想像していたが、劇の冒頭、かつてジャズピアニストを目指していたミッチがピアノを弾きながらモリ―先生のことを語り始め、登場したモリ―先生が軽やかにダンスのステップを踏む。モリ―先生はダンスがお好きなのだそう。ワルツにタンゴ、ミュージカルのナンバーまで。ここで客席の緊張がふっと緩み、自然に舞台に引き込まれていく。冒頭だけでなく、本作にはさまざまな場面にミッチの弾くピアノやモリ―先生のかけるレコードから流れるオペラ、ミッチの妻が歌う(声だけが聞こえる)ジャズなど、いろいろな音楽があたかも三人めの登場人物のごとく静かに優しく存在する。
この舞台が多くの人に励ましと勇気を与えることは確かである。高橋和也は爽やかに、加藤健一は滋味にあふれ、不治の難病という実話だけにかなりの重みをもった深刻な内容であるが、上品で知的なユーモアが随所にあって飽きさせない。
作家の曽野綾子がNHK教育テレビで聖書について語っていたことを思い出す。ヨルダン川とガリラヤ湖周辺は緑や花々、果物や野菜などが豊かに実ってとても美しい。しかし流れを取り込むだけの死海は塩分が濃すぎて魚一匹すめない。人間も同じだ。 取り込むばかりの人は何も生まない。しかし多く与える人のまわりにはいつも豊かな実りがあると。モリ―先生はまさしくヨルダン川のようなお人である。日に日に衰弱していく身体、身の回り一切を介護してもらわなければならず、特に排泄が自分でできなくなることの苦しみにあって、働き盛りのミッチに人生のほんとうの意味を問いかける。最後まで多くを与え続け、周囲の人々の心を満たしたモリ―先生は、病いによって人生を完成させた稀有な人物であろう。最晩年をともに過ごしたミッチは大変な幸福に浴したわけであり、彼も著作によって全世界の人々に自分が与えられた幸福を与えてくれた。今日の舞台をみた自分もまたモリ―先生から与えられたのである。
しかしながら、この世にどうして治らない病気があるのだろうかと思う。原因がわからないから予防のしようがなく、遺伝性でも伝染性もない、手術もできず有効な治療法もないALS(筋委縮性側策硬化症)は実にむごい病いである。自分自身はもちろん、身近な家族や友人がこの病いに冒されたらと想像しただけで目の前が暗くなる。耐え抜き、支え抜く自信がない。もしそうなったとき、自分は今日の舞台を思い出せるだろうか。よい舞台に出逢えた幸せをかみしめる一方で、予測不能の人生に思いわずらうのであった。
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