*椎名泉水作・演出 特設サイトはこちら 神奈川県青少年センターホール 27日終了
昨年の『7 2016ver.-僕らの7日目は、毎日やってくる-』に続いて、studio salt(以下ソルト)とマグカル劇場のコラボ公演である。ソルト劇団員を中心とするプロの俳優8人と、芝居塾の塾生25人が4カ月に渡って作り上げた。収容人数800人を超える大ホールだが、客席はセンター部分を中心に仕切られている(1,2,3,4,5,6,6`,7,8,9,10,11,12,13,14,15,16,17,18,19,20)。
今回の舞台にはさまざまな仕掛けや趣向が凝らされている。若い塾生たちが衣装や髪型、メイクを変えることなく若者の外見のままで、「認知症の高齢者」を演じること、時空間が70年あまりを飛び越え、戦争に壊されていく人々の暮し、老いてなお癒えぬ傷を抱えている様相を描いていること、ミュージカル仕立てで、歌やマイムによって物語が運ばれていくことなどである。これらが活かされた面と、もっと活かされればと感じた両面があり、敢えて後者についても記しておきたい。
介護職員として就職したものの、目的も志もない若者がやる気のなさをぶつける「もっと」(椎名泉水作詞 根本修幣作曲 根本は施設の合唱指導スタッフとしてピアノ伴奏も行う)の楽曲は、本作のつかみとして強いエネルギーを放つ。「もう辞めたい、もっといいところへ行きたい」と切望する彼に対して、「もっと適当でいいんだよ」とたしなめる古参の職員たちは、割り切ってできるだけ楽にやろうと呼びかける。一方で「もっとやりがいを求めよう」という誠実な職員グループもあり、ひとつの施設のなかで働く意識がさまざまあることを示す。働く者の日常を鋭く切り取り、温かく描いてきたこれまでのソルトの作品が想起され、期待が高まった。
物語中盤、若者の夢の中のできごとと捉えてもよいのであろうか、施設の老人たちが突如若返る。若者はたった一人、現在の状態のままで放り出される。そこで描かれるのは戦争によって容赦なく奪われ、壊され、傷つけられていく人々の暮しであり、心である。動けず口の利けない老人たちが、本当は何を言いたかったのかなども丁寧に描かれる。
働く意識の方向性が異なる職場にあって、まるで夢のように老人たちの若き日を知った若者が、何を思ったか、それによって現実に戻ったときに、どう変化していくのか。舞台後半でそれが描かれると身を乗り出したのだが、彼の葛藤や変容の様相が十分に伝わったとは言い難い。むろん「敢えて描かない」という方法もある。あからさまな反省や悟り、理解の言葉を発することなしに観客に想像を求めているのかもしれない。しかしやはりどうしても欲が出て、彼の心の移ろいをもっと知りたいと思うのである。
足踏みや手拍子を使ったマイムは迫力があり、舞台からというより、一人ひとりの人物の心の奥底の声が響いているようである。しかしその時間が若干長いと感じる場面もあり、80分の上演時間をもっと活かすことが可能ではないだろか。
劇中数回、「汽車ポッポ」の歌に合わせて、職員と高齢者が体操をする。しかしこれの元歌は出征する兵士を見送る「兵隊さんの汽車」であり、舞台のタイトルは、「兵隊さん、兵隊さん、万々歳」の歌詞に基づく。人々がかつて戦場に赴く兵士を歓呼の声で送った歌を、老いてのち、のんびりとした童謡として歌うのである。この歌が物語のふたつの時空を見事につなぎ、効果を上げている。
若者たちと一夏をともに舞台作りに勤しむマグカル劇場の歩みは、見るものにとっても「演劇っていいなあ」と素直に共感できるものである。横浜における芸術活動として定着し、これからもさまざまな試みが継続されることを願っている。だがそれと同じくらい、スタジオソルトの会話劇が恋しいのである。今回の舞台をストレートプレイでみることはできないだろうか。歌やダンスもなく、高齢の俳優が登場する舞台で(敢えて若い俳優を置き、老人を演じること、一夜の夢のように若返る場面を作るのであれば、それもぜひ見たい)一人の若者がこの仕事に心を向け、取り組んでいく様相を知りたい。椎名泉水なら、スタジオソルトなら、きっとできると思うのである。
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