これまでの記事
(1,2、3、4、5,6,7,8,9,10,11,12,13,14,15,16,17,18,19,20,21,22、23,24,25,26,27,28,29,30,31,32,33,34,35,36,37,38,39)
土佐藩の益のために龍馬を利用しようとする後藤象二郎と、大政奉還のために土佐藩を薩長に結びつけようとする龍馬が長崎で対決し、和解する。土佐の上士と下士が手を取り合うという、テレビをみている自分でさえ信じられないことが起こったのだ。
不勉強で土佐の上士と下士の力関係がこれほど激烈であることを知らなかった。上士からすれば下士は犬猫同然、おもしろ半分に斬って捨てても構わない存在であり、下士はその境遇に耐えるしかなかったことは、これまでの龍馬伝で描かれてきた。
やはりまた第1回のあの場面を思い出す。上士にさんざんいたぶられた龍馬と岩崎弥太郎がずぶぬれになって喧嘩腰で語り合う。いまに上士も下士も関係ない世の中が来ると夢を語る龍馬に、どうしたらそうなるのかと弥太郎は切り返す。龍馬はわからない、どんなに考えてもわからないとしか言えず、結局2人して少し泣いてしまうのだ。下士として虐げられてきた悲しみと絶望がどれほど深いかが伝わってくる。この時点で、上士と下士が対等に渡り合うことは夢のまた夢であり、ありえないことであった。
奇跡は「起こる」ものなのか、それとも「起こす」ものなのか。天恵のごとく、思いもよらない導きで実現することもあるし、長年の地道な努力の積み重ねによるものもあるだろう。人智を超えた大いなるものの導きと、人の弛まざる歩みが結びついたとき、信じられないほどの奇跡が訪れるのかもしれない。薩長同盟しかり、大政奉還しかり。後藤象二郎に堂々たる態度で向き合う龍馬は、その存在そのものが奇跡のように見えてくる。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます