
*水木しげる原作 京極夏彦脚本 内藤裕子演出 公式サイトはこちら 両国/シアターX 26日まで
何度か足を運んでいるつもりだったが、これまでのこどもステージの観劇は1986年『赤ずきんちゃんの森の狼たちのクリスマス』(別役実作 小森美己演出)の一度きりであったらしい。日本の新劇の歴史そのもののような中村伸郎と南美江が実に楽しげに自然な演技をしておられ、カーテンコールでは桟敷席にぎっしり座った子どもたちから握手攻めに合っていた様子を思い出す。
円・こどもステージの魅力は、子どもがリラックスして観劇できるための配慮はするが、芝居の作り方、伝え方には決して手加減や忖度をせず、結果大人もいっしょに楽しめることである。何かの講演であったか、別役実が「子どものお芝居では客席の笑いに時間差がある。まず子どもたちが笑い、それを後ろから見ている親御さんが、うちの子が喜んでいると安心して笑う」と語っていた通り、わたしも30年以上も前の年の暮れ、当時成子坂にあった「ステージ円」の客席後方から大喜びの子どもたち、そのわが子を見つめて安堵して微笑む親御さんの様子に接し、まるで舞台と客席と両方から花束を贈られたような幸せを味わった。
さて今回の『河童の三平』は1955年の紙芝居にはじまり、貸本漫画を経て改訂を重ねながらさまざまな雑誌に掲載され、テレビドラマや劇場版アニメにもなった水木しげるの代表作である。水木作品のなかでも「特に好き」という愛読者も多い。今回の公演にあたり、企画した円の俳優である牛尾茉由の奮闘についてはこちらに詳しい。牛尾自身が水木しげるの熱烈な信奉者であること、大変な熱意と実行力によって上演の運びとなったことが縷々語られている。アフタートーク(この日のゲストは活動写真弁士の坂本頼光氏)においても、みずからは出演せず裏方に徹し、稽古場では出演俳優たちに原作のページを開いて熱く語るなどの「布教活動」(内藤の証言)を行ったエピソードが披露された。これほどの熱意を以て企画を練り上げ、稽古場でも試行錯誤を続けた作品であることを、「河童の三平」と「釣りキチ三平」の違いがわからないような自分が果たして受け止められるのか。
お化けの研究家である父が失踪、母は出稼ぎで上京し、山深い里で祖父と二人暮らしの三平が小学校に上がった日から物語が始まる。森の木々を描いた細長い幕を動かして場所の移動を示したり、布で川を表したり、そのあいだに音楽や音響を俳優が担うなど、さまざまに工夫が凝らされたステージだ。とくに面白かったのは陸に三平と河童のかん平が食べる小道具の西瓜である。きれいな六つ割りからひょいと食べかけに変わるところ。あれはどういう作りになっているのか。
若手はのびのびと元気よく、ベテランは味のよく染みた煮物のように滋味がある。しかも重厚や飄々という表現では追いつかない。三平の祖父役の佐々木睦の堂々たる立ち姿に狸退治場面の雄姿があって、静かに死を受け入れる後半がより心に染み入る。狸役の上杉陽一は、人間の三平と一緒に暮らしていることをまったく不自然に感じさせない馴染み方がコミカルになりすぎず、自然である。そして山崎健二の死神は一代の当たり役ではなかろうか。表情やからだの動き、口調いずれもありきたりでなく、といって奇をてらった嫌味なところが全くない。何をしてくれるのか予想がつかず、これほどのおいしいキャラが、人間をあの世へ導く役割を担っていることが作品に奥行きをもたらしている。
水木しげるについてわたしが知るのはNHK朝の連続テレビ小説『ゲゲゲの女房』のみなのだが、その中に忘れられない場面がある。敗戦後過酷な抑留生活で心身傷ついた上にひとり息子を亡くして自暴自棄になった男性に、しげるはこのようなことを言った。「死んだ者がいちばん可哀そうだ。戦地ではなぜ自分が死ぬのかもわからず大勢が死んでいった。だから自分は生きている人間には同情しない」。戦地で左腕を失い、九死に一生を得て帰還した水木自身の透徹した死生観である。
『河童の三平』も人間の死から目を逸らさない。淡々と容赦なく提示する。「母を訪ねて三千里」顔負けの冒険譚かと思えば、三平はあっさりと旅立ってしまう。それも「ナレ死」ならぬ、あとから他の人物によって語られるのである。たしかに悲しい。死は例外なく等しく訪れる。逃げようがない絶対的なものだ。しかしそれゆえに命はいっそう尊く温かいというメッセージを『河童の三平』が客席に手渡した。この確かな手応えが今宵の収穫であり、贈り物であった。
原作未読のために、京極夏彦の脚本の旨みや演出の妙を事細かに感じ取ることはできなかったが、それが自分の一回めの本作観劇体験であったと受け止め、遅ればせながら水木しげるの作品を手に取ってみたいと思う。アフタートークゲストの坂本頼光氏が熱く語っておられたように、願わくば再演を。そして全国の子どもたちに『河童の三平』を届けてほしい。
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