因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

『彼女を笑う人がいても』

2021-12-16 | 舞台
*瀬戸山美咲作 栗山民也演出 公式サイトはこちら 世田谷パブリックシアター 18日まで その後福岡、愛知、兵庫公演 瀬戸山作品(演出のみ含め)観劇の記録→(1,2,3,4,5,6,7,8,9,10,11,12,13,14,15,16,17,18,19,20,21,22 ,2324,25,26,27,28,29,30,31,32)
 ぎりぎりまで観劇を迷ったのは、劇場のサイズや瀬戸山美咲作品と栗山民也の演出の組み合わせがピンとこなかったためである。これまでの観劇のイメージや既成概念が知らず知らず妨げになってしまったのかもしれない。世田谷パブリックシアターという大きな劇場で、しかもステージに遠い三階席で開演までのあいだ、これらの懸念は消えなかった。

 結果として、すべて杞憂であった。会話で進行する芝居ではあるが、戯曲の立ち上げ方、見せ方において劇場の高さや奥行が有効に活かされている。物語は1960年6月16日の国会議事堂、安保闘争で亡くなった「彼女」の追悼のために集まってくる人々の場面に始まる。新聞記者の吾郎(瀬戸康史)は、「彼女」の死の真相を追って取材を続けているが、闘争の鎮静化を狙った報道各社の「共同宣言」に阻まれる。吾郎の苦悩と挫折を縦軸に、2021年、吾郎の孫である伊知哉(瀬戸二役)もまた新聞記者として登場し、情熱を以て継続していた東日本大震災の被災者の取材を断念せざるを得ない状況を横軸に、時間と空間が交差しつつ進行する。

 舞台奥のスクリーンに半世紀前の安保闘争時の映像や、大きな書棚の画像が映されて新聞社内を表すなど、複数の場所、そこに出入りする人々の動きを違和感なく見せる。出演俳優は瀬戸を含め8人で、そのほとんどが60年代と現在で二役を演じ継ぐところにも、趣向に走らず、といって演劇的必然を強く押し出すこともせず、あくまでさりげない造形であることに好ましい印象を持った。欲を言えば、『ハツカネズミと人間』(2020年1月 Triglav/新井ひかる演出)、『墓場なき死者』(2021年オフィスコットーネ/稲葉賀恵演出)において、緻密でありながら技巧を強調しない演技を見せた阿岐之将一(あきのまさかず)が60年代の大学生の一役であったのが残念だ。ほかの学生に比べると熱血タイプではあるが、決して類型的な人物ではなかっただけに、2021年において何らかの役割を担うところも見たかったのだが。

 「彼女」を追いかけながら、登場する人々は自分自身の心の奥底をみつめ、歩み出す方向を探る。そして題名の「彼女を笑う人がいても」は、「あなたを笑う人がいても」であり、「わたしを笑う人がいても」でもあるのではないか。色彩や音をぎりぎりまで削ぎ落し、抑制された作りだが、青白い炎のような舞台である。
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