上の写真は去年の今頃の光景です
ブログは 毎朝4時頃 更新努力しています
更新は 私が「元気で自遊人」している便りです
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毎日の「挨拶訪問」 お待ちしていま~~~~~~す
春から秋は 車中泊登山に出かけることが多くなります
その間 ブログの更新はいたしますが 訪問はお休みさせていただきます
ベトナムを歩く・ニアロ
行雲流水 裁ちそば
先月5月 安達太良山登山の帰りに そばの里に寄り道をしました
若い頃から数回出かけている喜多方市山都町・宮古そばです
飯豊連峰のふもとにあり 集楽のほとんどが「そば屋」さんです
宮古そばで立ち寄った店は「懐石そば・かわまえ」さんです
宮古そばについては 後日ブログで紹介する予定です
会津地方は標高が高く 「おいしいそば」ができる
今日は福島県南会津・檜枝岐村に伝わる「裁ちそば」のお話ですが 過去のブログに掲載した記事です
手抜き記事ですが 時間に余裕のある方は ご覧下さい
以下・過去記事 裁ちそば
若い頃 福島県・桧枝岐村で「裁ちそば」の名人芸を見るため 数回訪問した
名人は 70歳を超えたおばあちゃんでした
かつては、この地方の生活に欠かせなかったそば打ち
「そばを打てなきゃお嫁にいけない」と言われた時代もあったという
短くて太いのし棒は 練ったそばを小分けにしたものを延ばすためだという
重くて太い棒は 簡単にそば生地を大きくする知恵棒に見えた
円形のたたみ無しのそば生地5枚をつくり これを二つに分割して10枚に重ねる
何枚つくっても耳がそろう大きさ等分 これが名人のなせる技に見えた
包丁も普通のものとは違った
長方形の細長い包丁を使い たたみ無し10枚の生地を重ねたものを 小間板を使わずスイスイ切った
ちょうど布生地を裁つような感じです
これが「裁ちそば」の語源なんでしょう
ここでは、切ると同時に そばを小分けして紙にくるんだ
乾燥を防ぐためなのでしょう
裁ちそばの知恵は 「そば粉100%の生地は たためば切れてしまう」
これを解決することから生まれたのでしよう
その当時 私が訪ねた南会津地方の舘岩村でも見かけた
打ち手の主流は70~80歳という高齢者でした
そこでは「舘岩そば塾」を開催して継承を試みていた
しかし体で憶えなければならないので 簡単に育成できるものではないと思う
地方に伝わる「伝統文化」を末長く守り続けることは難しいなあ
先日 久しぶりに舘岩村を訪れ 本場もんのそば粉を買って来た
以下の写真は 私がその粉を使って打ったものです
もりそばの味 美味しかった
「舘岩そば粉」のおしながきは 山間の冷涼な気候で栽培された風味豊かな石臼挽そば粉
桧枝岐村は尾瀬の入口にあります
以下は 尾瀬を歩いた時に立ち寄った店の記録です
福島県桧枝岐村の名物料理「裁ちそば」
標高約950m 山林98%の山村
昔は 高冷地のため米が実らず そば・ひえ・あわを主食として生活
裁ちそばは生活の知恵として生まれたのでしょう
10数年前 この村を訪ね 裁ちそばの名人芸を見せていただいた
70歳前後のおかあさんが そばを捏ね
それを5つの玉にし 太いのし棒で薄く円形に延ばした
円形の生地を重ね真ん中から割り また重ねて10枚の生地にした
それを小間板を使わず 細長い包丁でスイスイ切った
ちょうど 布を裁つのとソックリさんでした
10枚の生地が 耳まで揃う大きさにも驚きました
そして 切ると素早く小分けして 新聞紙にくるんだ
裁ちそばは 全て座っての作業でした
名人芸 今でも脳裏に焼きついている
桧枝岐村では 裁ちそば作業は女性の仕事だったらしい
「そばを打てなきゃお嫁にいけぬ」 と言われた時代もあったという
名人芸を見た店は 桧枝岐名物裁ちそば「開山」
改築され 繁盛していた
もりそば かけそば 800円
裁ちそば 長い長い長~い
桧枝岐村は 尾瀬への入口
尾瀬散策の帰りに立ち寄ったら そば打ちは終わっていた
風雪と汗流の生活から生まれた伝統文化「裁ちそば」
先人の知恵を 長く語り伝えでほしい
興味のある方は ご覧下さい
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