タツノヒノエ

神仏への道-神社仏閣巡りから、古代の神々との出会い

六観音・・・

2023-07-12 18:51:17 | 日記

観音さん・・・観音経によると、この観世音菩薩 (かんぜおんぼさつ 略して観音さん) の名を唱えて除かれる災難として、(南無観世音菩薩)

火難・水難・風難・刀杖難・鬼難・枷鎖難 (かさなん) ・怨賊難と言う七難に加え、

貪欲・瞋恚 (しんに=怒り) ・愚痴と言う、仏教で言う三毒が取り除かれると言う。

三十三身を現して説法度生すると言う観音。

観音信仰の成立を証するものは、一世紀前半マトゥラ釈迦三尊像の蓮華手像がある。蓮華手の源流は、西暦紀元前七世紀にさかのぼる古代インドの神である。また三十三身の半数は古代インドの神々である。

仏陀・釈尊は、涅槃によって生死 (しょうじ) なき永久に常住する法身 (ほっしん) となって、この世界に説法を続けられるのである。そしてこの世界とは、三千世界を小・中・大の三種合わせた三千大千世界であるから、一世界一仏と言う教説も成立する。そして極悪煩悩を断ちがたい地獄・餓鬼・畜生のたぐいを救うためには、一仏と同心合体して補助をはたす剛柔適切な方便を、倦く (あく) ことなく、極限なく行ずる菩薩の出現が待望されて、観世音菩薩となったのであろう。観音像は頭上に化仏 (けぶつ) と称される小仏像を戴くが、この像は言うまでもなく釈迦像である。・・・後略・・・

六観音・七観音・・・

日本独自の観音信仰の表れである。

「聖 (正) 観音」「千手観音」「馬頭観音」「十一面観音」「准胝観音 (じゅんていかんのん) 」「如意輪観音」「不空羂索観音 (ふくうけんじゃくかんのん) 」を組み合わせて六観音とか七観音とか呼ぶ。

六観音の信仰は、平安時代の十世紀になって、まず天台宗を中心におこったようである。

参考資料・・・大法輪閣「観音さま入門」。

wikiより・・・

「真言系では聖観音十一面観音千手観音馬頭観音如意輪観音准胝観音を六観音と称し、天台系では准胝観音の代わりに不空羂索観音を加えて六観音とする。六観音は六道輪廻(ろくどうりんね、あらゆる生命は6種の世界に生まれ変わりを繰り返すとする)の思想に基づき、六種の観音が六道に迷う衆生を救うという考えから生まれたもので、地獄道 - 聖観音、餓鬼道 - 千手観音、畜生道 - 馬頭観音、修羅道 - 十一面観音、人道 - 准胝観音、天道 - 如意輪観音という組み合わせになっている」

私論では、何度も当ブログで記述したように、天台系・真言系の古刹に祀られる観音像は、「日本の古代の神々が習合された (観音像と一体となった) 」御尊像が多いように感じる。

日本の古代の神々と一体となっておられる観音像は、とても神秘的なオーラが出ている。(と私は感じる)

どれだけ僧侶が念を込めて開眼作法 (入魂作法) をしても、日本古代の神々が入っておられない新しい仏像などは、あまりオーラを感じない。

東大寺の「お水取り」・・・NHKが数年前生中継で長い時間放送していたのを生中継で観た時、「厨子 (ずし) 」しか拝めないが、観音像 (確か大小あった気がする) は、ものすごく神秘的なオーラが映像越しに感じられ、「日本の古代の神々が宿っておられる」と感じた。あくまで私見である。

オーラが出ている観音像は美術品でなく、拝礼する対象である。

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生身(しょうじん)の釋迦(しゃか)・・・

2023-07-12 08:15:33 | 日記
生身(しょうじん)の釋迦(しゃか)・・・
 
専門家でも、「ブッダは実在しない」と言う人もいますが・・・歴史上、実在した人物としてのゴータマ・ブッダです。
 
この絵は、何度も紹介した通り、なぜか曹洞宗寺院が持っていることが多いのですが、
 
昔、新聞紙上で、「でかでか」と紹介された、2500年前にお釈迦様の故郷「釈迦国」で描かれた絵だそうです。
 
説明文に古い字体の漢字がいくつかあるので、大正時代なのか、昭和初期か、いつの時代なのかはわかりません。
 
新聞の説明文を全部記述すると、
 
「釈尊は成道後六年、初めて迦毘羅城を訪問す。父淨(浄)飯王を始め、義母波闍波提・耶輪陀羅妃及城中の王族が感激してひそかに出家を志望した。
 
(王、亡きあと波闍波提は出家して大愛道比丘尼となる。)
 
父王は画師に命じ釈尊の生身を墨で冩生(写生)さした。
 
それが此の冩真(写真)である。
 
印度の佛教徒は此を大塔に密封していたが、度重なる乱(戦乱)に此が紛失する事を恐れ、
 
十八世紀に英国が印度を植民統治するに当りロンドン国立博物館に深く秘蔵した。
 
!!杉本記!!・・・」
 
杉本氏とは、記者のことか?・・・
 
太字・下線部部分は古い漢字。(カッコ内は、現代漢字。私が追記したものです)
 
原始仏典は読みかじったことしかないが・・・同じような記述が多数あります。
 
それは、仏典が文字として編纂されるまでの間は、釈尊の時代からしばらくは、「口伝につぐ口伝」で伝えられたため、弟子から弟子、時代から時代へと伝わるうちに、1つのお経が10、20と支流が増え続けたためであると思います。
 
また、釈尊自ら「ご自身以外の仏についても語られている」のであるが、それは、「過去の宇宙期の仏であり」、今の宇宙期の仏ではないと思われます。
 
説明するのは、南伝のどの経典にあるかを資料と共に記せるが、メンドウなので割愛します。
 
無色界の浄悟天だったか?に、釈尊自らテレポートした時に、無数の浄悟天の神々と会話した時に出てくる描写がある。
 
また、原始仏典には、釈尊の「ことば」じゃなく、後の時代のお弟子さんの「ことば」もある程度混じっています。
 
「~と伝えられている」など。その、後のお弟子さんが「もろもろの仏」とか語っているのが、「ブッダは実在しなかった」と誤解を生んだのではないだろうか?
 
仏陀は、実在しました。
 
この絵を見て、仏伝に伝わる釈尊像と「ぴったり合致」することが、目がある人にはわかると思います。
 
曰く「男前」・・・この絵の釈尊も、10人に見せて10人が「男前ですね」と言う。
 
「一日一食しか食べなかった」・・・確かに絵の釈尊は、ヒンドゥーの神々とお顔立ちは似るが、絵の釈尊は「細身」。一日一食しか食べなかったのに、大仏さまのように太っているワケが無い。
 
「王族の顔立ち」、「王の顔」。
 
「目」が・・・完全に「悟りを開いた方の目」。不動で清浄で混じりっ気が全く無く、威厳はあるが威圧は無い。慈悲深い目であるが、まったく「偏りが無い」。梵天も神々も人間も鳥獣も昆虫も、同じ「慈悲の目」で見れる「目」。
 
晩年だったか、入滅前だったか、弟子たちが「お釈迦様亡きあと、われわれはどうすれば良いのでしょうか?」と悲観にくれていた時、
 
「お前たちは全くおかしいことを言う。私はお前たちに私の法を全て教えたではないか。私はお前たちの師であるが教団の頭領(管長)では無い。私が亡くなった後でも私の伝えた法は残る。
 
私の法を見る者は私を見る。私に会いたくなったら、私の伝えた法を思い起こせば私はそこに生きている。怠ることなく精進して修行を完成せよ」と言う意味のことを仰られている。
 
無刀流の創始者であり、江戸・明治と活躍した、「剣・禅・書」の達人、山岡鉄舟が、「ブッダは実在しなかった」と言う意見を聞いたらなんと言うであろうか?
 
「白隠が死んで数百年、そろそろ、そんな化け物が出てきたか」と喝破するのではないだろうか?
 
補足で、現代のインド人やネパール人で、お釈迦様に顔立ちが似ている人間がいないか調べたら、インド人俳優には結構似ている俳優が出てきました。
 
その中で、一番似ていると思った俳優の画像を貼り付けときます。
 
 
なんて俳優かは判りませんが、「眉」「大きな二重の目」「鼻筋」と特徴がよく似ています。坊主頭にして、ヒゲ生やしたら、かなり似ている。ただ、お釈迦様の方が「王の威厳」があります。他にも似ている俳優がいっぱい出てきましたが、この俳優が一番似ている気がしたので紹介しときます。
 
日本は「実在の神」と「実在の仏」が共存している神仏習合の稀有な国。「神」も「仏」も尊ぶ対象であって、決して祈願成就の対象に非ず。
 
「他力本願」では何事もなし得ません。
 
 
 
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ニギハヤヒノミコトの実像・・・

2023-07-12 01:21:54 | 日記

アマテル・・・ニギハヤヒノミコト。

何度か前述した通り、アマテル・クニテル (クニクル?) ・タケテル、親子三神で、

天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊(あまてるくにてるひこあまのほのあかりくしたまにぎはやひのみこと) と言う説もあり、

私が見た女神・男神を御神画製作してくれた持田氏は、その説も知ってました。

直感型の私は、知識の方はそれほどでもなく、あくまで、直感が先、後に調べるタイプです。

もともと、古代史ブームの先がけとなったのは、

原田 常治 著「古代日本正史」。

今、手元に本は無いのですが、確か、

※ 古代出雲王朝の王・スサノオノミコトが息子オオトシ (ニギハヤヒノミコト・大物主) を伴ない、九州の邪馬台国を制圧し、女王・ヒミコ (現在の天照大神) を現地妻とし、九州で農業指導をし、オオトシを大和に派遣して日本統一をなし、オオトシはミカシキヤヒメを娶りニギハヤヒと名を改め、後、大物主大神となる。ニギハヤヒノミコトは、その存在をわからなくするため、様々な御神名で各地の神社に祀られていると、各地の神社の伝承から導き出すと言う本だったと記憶しています。

のちに、小椋 一葉 氏が、「消された覇王―伝承が語るスサノオとニギハヤヒ (伝承が語る古代史 1)」でさらに深め、

木村 博昭 氏が、「古代ヤマト王権の縁起と伝承」でさらに深めた感があります。

(全部に賛同するワケではありませんが、よく調べています)

※ 古代日本正史を読んだ数十年前は、私も「出雲」~「九州邪馬台国」~「大和統一」の説が真説なのかと思ってましたが、あれから色々経験して、

スサノオノミコトは元々が九州の人で、「九州」~「出雲」~「ニギハヤヒノミコト大和統一」が正解なのかなと思っています。あくまで「私論」です。

安岡 美典さんの著書も数冊持っていて、中々よく調べておられますが、上の三人が「スパっ」と説明しているのと比べると、資料をもとに説明する箇所が多い特長があります。

また、武光 誠 氏の「古代日本 誕生の謎」「誰が天照大神を女神に変えたのか」も、古代史と神々の誕生 (古代の神道のはじまり) も、わかりやすく説明しています。

もちろん、すべてに賛同するワケではありません。

直感型の私は、「そこは違うのでは?」と思う所もあったりはしますが、それぞれの本を読んでいけば、だいたい、大まかにわかってきます。

ただ、一番読みやすく、わかりやすい原田説と、木村博昭説を参考にすれば・・・

親神「ニギハヤヒノミコト」と御子神「ウマシマチノミコト」は同一神と言うことになりませんかね?

ネットでウマシマチノミコトを調べている時、ウマシマチノミコトの「絵」があり、別の時に調べていたら、その同じ絵が「ニギハヤヒノミコト」の「絵」として出ているのを見ました。どこの資料かはとっくに忘れましたが・・・。

「アマテル」「天照 (あまてる)」「海照 (あまてる)」・・・

個人的には、寺院の方が詳しい私としては、

日本の神々は、「スサノオノミコト」「ニギハヤヒノミコト」「ミカシキヤヒメノミコト」が、常に様々な名の仏・菩薩・明王・天として、主要な寺院 (主に天台宗・真言宗・華厳宗・法相宗) でお祀りされていると思います。

三神が一体となった神仏では、比叡山の、「細身の三面大黒天」・・・中央の白いおヒゲを生やした好々爺がスサノオノミコト (大黒天) 、弁財天がミカシキヤヒメノミコト、毘沙門天がニギハヤヒノミコト。

あと、「蔵王大権現三体」。

バラバラの権現さんでは、蔵王権現 (一体だけの場合) ・・・スサノオノミコト。金毘羅大権現・・・ニギハヤヒノミコト。

清瀧大権現・・・ミカシキヤヒメノミコトと思っています。

追記・・・現代人が全く「霊感」「直感」が無くなり鈍くなった原因は、「明かり」です。江戸時代までは、夜は街灯も無ければ懐中電灯もない。家の明かりは薄暗い灯のみ。夜は闇の世界なので、誰しも鳥獣や昆虫のように「五感が研ぎすまされ」、「第六感」はひとりでに磨かれていました。

しかし現代は、夜は町ならどこでも明るいし、家の中も明るい。「静寂」そのものだった昔の時代と違い、現代は深夜でもテレビ・ラジオがある。

こういう生活空間が変化したところに、人々の中から「第六感 (霊感や直感) 」が埋もれてしまった原因があるのです。第六感が鈍くなったから、人々の神仏への信仰心が無くなっていったのです。

・・・


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