ブログ小説キャナルタウン 2 は
小説キャナルタウン 1 兵庫運河祭 回転橋の謎 の続きです。
「鉄の橋百選-近代日本のランドマーク」によれば
和田旋回橋のかかる兵庫運河には、運河の開削とともに5つもの可動橋が架設された。戦前・戦後を通じ、これだけ
沢山の可動橋が集中的に架設された地域は他にない。‥‥
運河の本川には可動橋5つ、浮橋が1つ、支川には3つの固定橋が架設された。ここで一気に、5つの可動橋が架設
されたのである。タイプはいずれも、棒磁石のように回転する旋回橋である。和田旋回橋は、この中のひとつであり、
わが国最初の鉄道可動橋である。
これにより、下の絵葉書は和田旋回橋ではない疑惑が生じた訳であるがではどこの橋であるか?が前回まで
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手がかりとしてはURキャナルタウンウエストにある大神戸市景観図の一部をレリーフ化した案内板。
発行されることは無かったが昭和12年頃の作成と思われる。
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兵庫運河株式会社第6回事業報告書付属地図(明治30年6月)
兵庫運河株式会社の設立は明治26年、兵庫運河の着工が明治29年1月、明治31年完5月にほぼ完成し、完成が
明治32年12月であるので兵庫運河の計画図である。運河上にある和田岬線からの支線は新川貨物駅への引き込み線
と思われ、運河の開削に伴い付け替えられたと思われる。 写真は(市民のグラフ こうべ 平成4年3月)から
この部分訂正をしています。小説キャナルタウン 3 兵庫運河 住吉橋の謎 をご覧下さい。
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第一橋から第五橋および浮橋の位置を考えてみた。
第一橋 高松橋 これは後出の資料からも明らかで有る。
第二橋 御崎橋 これは消去法である。橋の位置自体が戦後の運河の改修によって移動している可能性がある。
第三橋 材木橋 大神戸市景観図に表示がある。
第四橋 和田旋回橋 大神戸市景観図には橋名の表示がないが、順序からいって間違いないと思われる。
後の回で訂正していますが第四橋は住吉橋です。
第五橋 清盛橋 明治30年の付属地図には表示されていないが大神戸市景観図に表示がある。昭和61年発行の
住宅地図にも第五橋(工事中)との記載があり架け替えに伴い橋名が変わったとしたら当時まで
古い橋が残っていた可能性がある。「市民のグラフ こうべ 昭和55年3月号 特集兵庫運河」
の写真「活気のある朝の出勤風景 第五橋」を見れば板張りの太鼓橋を自転車が走っている(正
面からの写真で、しかも一部しか写っていないので断定は出来ないが)ようにも見える。回転橋
であったと、唯一証言する人がいた橋である。
浮 橋 明治30年の付属地図にはそれらしきものが描かれており大神戸市景観図にも表示されているが現在は、
橋がない。
第一橋 高松橋
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高松橋と橋のたもとにある旧高松橋の案内板です。
旧高松橋は昭和3年に架けられた「一葉式跳開橋」と呼ばれる跳ね橋で幅約20メートル市電との併用橋でしたが、
平成6年道路の拡幅に伴う架け替えで固定橋となりました。
土木学会誌 第一六巻 第五号 昭和五年五月
「神戸市高松橋 Bascule Bridbe の設計及施工」 に添付されている写真である。(初代の高松橋)
これには第一橋の写真はないが記述がある。
旧橋は運河第一橋と称したるものにして、径間60尺の回転橋なりしも、其の幅員僅かに11尺に過ぎず、且構造
極めて簡素なる仮橋にして、交通上甚だしき不便を感ずるのみならず、重量物資の運搬亦不可能の状態に在り、‥‥
前回あんなに感動したのに「構造極めて簡素なる仮橋」とまで書かれて少し悲しいです。しかしその通りです。
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高松橋から見たキャナルタウンである。正面が三角船溜り、右側が兵庫運河支線、左側が兵庫運河である。川崎車両
の後ろに見える3つの建物がキャナルタウンので左端がURキャナルタウンウエストの七号棟でです。とってつけた
ようですが、「団地小説短編集を歩く」はUR賃貸のPRブログなもので。
第二橋 御崎橋
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第三橋 材木橋
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手前の車が走っているのが材木橋、材木橋の橋桁の下に見える橋脚が第四橋和田旋回橋である。
あれれ!!!
材木橋は材木町に在ります。昔は材木屋さんがたくさん有った地域で、御崎橋と材木橋の間は貯木場を兼ねて運河が
広くなっています。現在はレガッタコースになっています。そこに案内板が有りました。
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どう見ても同じ写真です 謎は解けました。絵葉書は高松橋です。しかし、回転橋5橋巡りは最後まで行きます。
小説キャナルタウン 7 運河5橋不都合に真実(2017.2.24)をご覧下さい。
第四橋 和田旋回橋
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和田旋回橋の後ろに見えるのが、回転橋5橋に含まれていない住吉橋です。しかしなぜ住吉橋だけこんなに高いのか?
第五橋 清盛橋
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浮 橋
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突き当たり部分は新川運河です。手前の左右の岸の間に浮橋が有ったと思われます。
ここで新たな疑問が
和田旋回橋の後ろに見える住吉橋はなぜ橋桁が高いのでしょうか。おそらく船の航行に支障が無いように高くしたと
思われますが、であれば大神戸市景観図にある「初代 住吉橋」も可動橋だったのでしょうか?
また、手元に資料は有りませんが、新川橋の橋桁の高さからすると住吉橋は不必要に高いのではないでしょうか?
調査継続です。
小説キャナルタウン 1 兵庫運河祭 回転橋の謎 の続きです。
「鉄の橋百選-近代日本のランドマーク」によれば
和田旋回橋のかかる兵庫運河には、運河の開削とともに5つもの可動橋が架設された。戦前・戦後を通じ、これだけ
沢山の可動橋が集中的に架設された地域は他にない。‥‥
運河の本川には可動橋5つ、浮橋が1つ、支川には3つの固定橋が架設された。ここで一気に、5つの可動橋が架設
されたのである。タイプはいずれも、棒磁石のように回転する旋回橋である。和田旋回橋は、この中のひとつであり、
わが国最初の鉄道可動橋である。
これにより、下の絵葉書は和田旋回橋ではない疑惑が生じた訳であるがではどこの橋であるか?が前回まで
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手がかりとしてはURキャナルタウンウエストにある大神戸市景観図の一部をレリーフ化した案内板。
発行されることは無かったが昭和12年頃の作成と思われる。
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兵庫運河株式会社第6回事業報告書付属地図(明治30年6月)
兵庫運河株式会社の設立は明治26年、兵庫運河の着工が明治29年1月、明治31年完5月にほぼ完成し、完成が
明治32年12月であるので兵庫運河の計画図である。運河上にある和田岬線からの支線は新川貨物駅への引き込み線
と思われ、運河の開削に伴い付け替えられたと思われる。 写真は(市民のグラフ こうべ 平成4年3月)から
この部分訂正をしています。小説キャナルタウン 3 兵庫運河 住吉橋の謎 をご覧下さい。
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第一橋から第五橋および浮橋の位置を考えてみた。
第一橋 高松橋 これは後出の資料からも明らかで有る。
第二橋 御崎橋 これは消去法である。橋の位置自体が戦後の運河の改修によって移動している可能性がある。
第三橋 材木橋 大神戸市景観図に表示がある。
第四橋 和田旋回橋 大神戸市景観図には橋名の表示がないが、順序からいって間違いないと思われる。
後の回で訂正していますが第四橋は住吉橋です。
第五橋 清盛橋 明治30年の付属地図には表示されていないが大神戸市景観図に表示がある。昭和61年発行の
住宅地図にも第五橋(工事中)との記載があり架け替えに伴い橋名が変わったとしたら当時まで
古い橋が残っていた可能性がある。「市民のグラフ こうべ 昭和55年3月号 特集兵庫運河」
の写真「活気のある朝の出勤風景 第五橋」を見れば板張りの太鼓橋を自転車が走っている(正
面からの写真で、しかも一部しか写っていないので断定は出来ないが)ようにも見える。回転橋
であったと、唯一証言する人がいた橋である。
浮 橋 明治30年の付属地図にはそれらしきものが描かれており大神戸市景観図にも表示されているが現在は、
橋がない。
第一橋 高松橋
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高松橋と橋のたもとにある旧高松橋の案内板です。
旧高松橋は昭和3年に架けられた「一葉式跳開橋」と呼ばれる跳ね橋で幅約20メートル市電との併用橋でしたが、
平成6年道路の拡幅に伴う架け替えで固定橋となりました。
土木学会誌 第一六巻 第五号 昭和五年五月
「神戸市高松橋 Bascule Bridbe の設計及施工」 に添付されている写真である。(初代の高松橋)
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これには第一橋の写真はないが記述がある。
旧橋は運河第一橋と称したるものにして、径間60尺の回転橋なりしも、其の幅員僅かに11尺に過ぎず、且構造
極めて簡素なる仮橋にして、交通上甚だしき不便を感ずるのみならず、重量物資の運搬亦不可能の状態に在り、‥‥
前回あんなに感動したのに「構造極めて簡素なる仮橋」とまで書かれて少し悲しいです。しかしその通りです。
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高松橋から見たキャナルタウンである。正面が三角船溜り、右側が兵庫運河支線、左側が兵庫運河である。川崎車両
の後ろに見える3つの建物がキャナルタウンので左端がURキャナルタウンウエストの七号棟でです。とってつけた
ようですが、「団地小説短編集を歩く」はUR賃貸のPRブログなもので。
第二橋 御崎橋
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第三橋 材木橋
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手前の車が走っているのが材木橋、材木橋の橋桁の下に見える橋脚が第四橋和田旋回橋である。
あれれ!!!
材木橋は材木町に在ります。昔は材木屋さんがたくさん有った地域で、御崎橋と材木橋の間は貯木場を兼ねて運河が
広くなっています。現在はレガッタコースになっています。そこに案内板が有りました。
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どう見ても同じ写真です 謎は解けました。絵葉書は高松橋です。しかし、回転橋5橋巡りは最後まで行きます。
小説キャナルタウン 7 運河5橋不都合に真実(2017.2.24)をご覧下さい。
第四橋 和田旋回橋
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和田旋回橋の後ろに見えるのが、回転橋5橋に含まれていない住吉橋です。しかしなぜ住吉橋だけこんなに高いのか?
第五橋 清盛橋
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浮 橋
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突き当たり部分は新川運河です。手前の左右の岸の間に浮橋が有ったと思われます。
ここで新たな疑問が
和田旋回橋の後ろに見える住吉橋はなぜ橋桁が高いのでしょうか。おそらく船の航行に支障が無いように高くしたと
思われますが、であれば大神戸市景観図にある「初代 住吉橋」も可動橋だったのでしょうか?
また、手元に資料は有りませんが、新川橋の橋桁の高さからすると住吉橋は不必要に高いのではないでしょうか?
調査継続です。