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平清盛公の御命日は治承5年閏2月4日です。太陽暦換算で3月に法要を行うところが多いですが能福寺では伝わる2月4日を大切にして毎年2月4日
11時から追善法要が行われています。今年は845回忌になります。晴天には恵まれましたが立春寒波の直撃を受けました。
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ご住職のご挨拶札です。寒い中よくお参り下さいました。強風で大きな蝋燭には火をつけません。ご焼香はしていただけますのでよろしくお願いしま
す。
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街歩きのグループが来られましたのでご参列いただきました。塔婆が飛んでしまう強風です。
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ご住職の読経で法要が始まります。能福寺の寺領内に壮大な廟が道営されたと伝わりますが源平の合戦で尽く灰燼に帰します。現在の廟は昭和55
年2月、平清盛公800回大遠忌に清盛塚を模して再建されました。平清盛公の墓所については諸説あります。
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よくわかりませんが真言密教のありがたい作法です。
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ご焼香が始まります。私はおそらく平家一門ではないと思いますが毎年ご焼香させていただいています。
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この日は熱心な清盛公のファンの小学生も来られ、焼香されました。御法話の後清盛塚に向われました。
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いつもありがたいご法話を忘れてしまいます。追善法要の大切さ祖先への感謝の気持のようだった気がします。清盛公あっての神戸市です。
清盛塚と清盛塚筋商店街
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地図は右が北になります。能福寺の南二つ目の信号の角に清盛塚があります。
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弘安9年(1286)2月、時の執権北条貞時は平家一門の栄枯盛衰を憐れみ十三重の石塔を建立、今は墓所さえわからない平清盛の霊を弔います。今
に伝わる清盛塚です。写真は5分咲きの桜です。
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左から清盛塚、神戸開港100年祭を記念した作られた平清盛像、琵琶塚の石碑になります。清盛塚と小道を挟んで琵琶型の塚があり江戸時代より琵琶
の名手、平経正の墓と信じられていました。明治35年地元有志により琵琶塚の石碑が建てられました。大正年間の道路拡幅に伴い清盛塚とともに移設さ
れました。
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能福寺に平相国廟が再建されるまでは清盛塚で追善法要が行われていました。最近は少し参列者が増えましたが、個人的には清盛塚で行った方がたくさ
ん来られるのではと思っていました。しかし参列者のスペースが無いことに気が付きました。
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清盛講社の立派な玉垣があります。明治28年4月の日付がありますので玉垣も移設されたようです。南条荘兵衛は江戸時代の前から続く名家で、兵庫
津の豪商(和用紙の卸・小売業)明治24年の初代兵庫大仏建立の実質的なパトロンであったと伝わります。平成30年11月の能福寺の鐘楼落慶法要で
はではひ孫の方が兵庫大仏の前でパントマイムを奉納されました。
6月3・4日が清盛講の縁日で大変にぎわったと伝わります。
清盛塚の花立
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令和7年2月4日 令和6年9月24日
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令和6年2月4日 令和5年3月2日
私は祀られない清盛塚を訴えたい気持ちで清盛塚の花立の写真を撮ってきました。しかし写真を並べて気が付きました。花は少なくとも年に2回は替え
られていたのです。清盛講による催事は現在は無いように聞いていますが、清盛講の精神は引き継がれているのかもしれません。
清盛塚の現在の所有者・管理者は神戸市となっています。もしここに生花があれば清盛塚の観光資源としての価値は上がるのではないでしょうか。観光
資源と考えれば、行政の対応も可能です。効果はすぐには出ないかもしれませんがやってみる価値はあるとおもいます。
戦前の清盛講を支えていたのではないかと勝手に想像する清盛塚筋商店街です。
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兵庫区が工業地帯として発展、人口が急増、三菱重工神戸造船所から新開地にいたる当時日本一長い商店街が誕生します。中でも清盛塚筋商店街と大仏
前商店街は門前町効果もあり大いに繁盛しました。 記事と地図は「昭和初期の兵庫商店街」から
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道路が拡幅され清盛塚・琵琶塚が移転しますが、市内に張り巡らされた市電網により神戸市は近代的な街として飛躍します。
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清盛塚と住吉神社部分は現在と同じように一段高くなっていますので商店はありません。また真光寺の入り口部分は池がありたくさんの亀がいて亀の池
として親しまれていました。
この清盛塚筋商店が清盛講を支えるとともに、6月3・4日の清盛講の縁日は大いに繁盛したのではないかと勝手に想像しています。
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昭和4年の清盛塚。
明治期の清盛塚周辺
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「明治初期兵庫津38ケ町 土地台帳名簿録 郷土史家 前田章賀 平成24年4月」に色々書き加えた地図です。明治30年に完成した兵庫運河が書
き込まれています。右が北になります。
手の型部分が清盛講になります。この時代はまだ清盛塚筋商店街はありません。上が真光寺になります。空襲で焼失するまでの真光寺は町中にありなが
ら林間を思わす木々に囲まれ荘厳な伽藍が並んでいました。
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