淡河川頭首工
淡河川・山田川疏水も四回目で疏水の水源に向かいます。頭首工とは用水路の「頭首」に位置する取水用の堰や用水の取入口
の一連の施設の総称です。山田川頭首工(廃止)は回を改めて書く予定です。
神戸市北区淡河町木津にあります。県道38号線神戸市北区区役所北神支所淡河連絡所の横の道を下りたところ、新木津大橋
から下を見れば見ることが出来ます。
小さなダムの趣です。昭和30年にコンクリトで建設された2代目となります。(国土交通省の基準では15m以上がダム)
水門は堆積した土砂排出用のもので通常閉めた状態です。
淡河川・山田川疏水
淡河川・山田川疏水は,明治から大正時代にかけて実施された淡河川疏水事業と山田川疏水事業の二つの水利事業によって成立
した疏水です。地元で淡山疏水と呼ばれています。
淡山疏水の実現には、地元の人々の努力に加え、近代化によって入ってきた測量術、鉄管や煉瓦などの外国の技術が大きな役
割を果たしました。またその後の改修工事でも、その当時の最新技術が用いられてきました。
この水利事業では、疏水とともに多くのため池が作られました。疏水とため池が織りなす水のネットワークは、この地特有の
文化的景観を形成しています。淡山疏水は農林水産省「疏水百選」に選ばれるなど、歴史・文化的に高い評価がなされていま
す。
「推奨土木遺産」(土木学会)、「近代産業遺産」(経済産業省)、「ため池百選」(農林水産省)等に認定・選定
淡河川頭首工
淡河川頭首工は、淡河川の水を取り入れるために明治24年に造られた施設です。
ここを起点とする水路の勾配は、5000分の1(50mで1cm低くなる)と極めてゆるやかに設計されています。取水地
点や水路敷の選定には、近代測量(三角測量)やそれに基づいて作成された地図が大きく貢献しました。
淡山疏水の取水期間は、それまで淡河川の水を使っていた地域との水利調整により、9月20日から翌年の5月20日までの
かんがい期間外に設定されました。(註 山田川の取水期間は10月1日~5月30日です。)
現在の淡河川頭首工の水面は135.60mとしたら解釈したらいいのでしょうか。
明治24年の完成当時の淡河川頭首工。
新木津橋から見た淡河川頭首工です。ここから先は急に川底が低くなります。
淡河川疏水の始まりの取水口と水利使用標識です。最大取水量は1.0立方メートル/秒ですが取水期間の制限の表示はありま
せん。大雨等の出水時における期間外の取水は淡河川は水源地方との調整がなかなか着きませんでした。紆余曲折はありました
が昭和11年に契約をすることが出来ました。現在は東播用水として運用されており淡河地区もまた東播用水の供給地域であり
取水期間の制限はありません。山田川は淡河川に比べて水量が多く当初から出水時には期間外の取水が行なわれていました。
いささか古い地図ではありますが今日はこの地図の淡河川頭首工から御坂サイホンの手前まで行ってみたいと思います。
第1号のポスター
今まで何度も出たと思いますが淡河川幹線水路の東播用水の第1号のポスターです。このポスターを辿っていけばいいわけ
です。
東播淡河幹線水路は県道38号線をくぐって県道の北側に出て来ます。県道は淡河川の流れに沿って次第に下っていきますが
淡河川幹線水路は5000分の1の勾配でほぼ水平に、従って少しずつ山側によりながら進みます。
淡河小学校を過ぎて。
土塁水路 僧尾
淡河川疏水では谷を越えるのに土塁を築きその上に疏水路が造られました。
現在は水路がコンクリート橋になっていますが当初は土塁にトンネルがありました。写真の木製水路は明治27年の災害復
旧工事によるものです。明治40年に鉄橋となり昭和7年に鉄筋コンクリート橋となりました。現在の橋はさらにその後改修
されたものだと思われます。(この部分訂正しています)
写真は淡山疏水東播用水博物館蔵
手前の川が僧尾川です。
僧尾川引水路
手前の川が僧尾川になります。僧尾川渓流の水を利用するため延長約1.1㎞の僧尾川引水路が造られました。昭和9年3月
着工昭和10年10月に竣工しました。おそらく谷の西側(写真では奥)で疏水に合流したのではないかと思いますがそれらし
き跡は見つけることは出来ませんでした。前出の地図に僧尾川引水路は記載されています。
水路は続く
中村第5橋、中村第6橋と水路は山麓を緩やかなカーブを描き続きます。
中村第7橋、ナンバー橋はここまででした。しかし山の中とは思えない広々とした風景です。
県営ほ場整備事業 勝雄の里
県営ほ場整備事業の完成と活力ある地域づくりと繁栄を祈念してここに記念碑を建立する
事業名 経営体育成基盤整備事業
事業主体 兵庫県
地区面積 79.7ヘクタール
事業期間 平成7年~16年度(面工事完了平成14年度)
全体事業費 13億9300万
受益農家戸数 68戸
換地処分登記 平成19年12月27日
関連事業 1級河川淡河川の拡幅工事 農業集落排水事業
平成20年11月吉日
橋の架橋が平成2年3月になっていますのでほ場整備事業以前に淡河川幹線水路は改修されたようです。
岩岡と同じようにバルブ(パイプライン)による給水になっています。
もし山田川であったら
淡河川疏水は当初山田川を水源として計画されました。しかし水路が土質の悪い急峻な山の中腹を延々と通るため工事の困難
さと工事費が高額になることから淡河川に変更されました。山田川疏水は回を改めて書く予定ですが対比しやすいようにまず地
形だけをご覧下さい。
山田川疏水は、岩岡地区他の農業用水の需要に応えるため復活します。明治44年に着工、大正4年に幹線部分が竣工しま
す。写真 左 から山間部に入ります。つくはら湖の南側をほぼ湖面に沿って、急峻な山腹をを水路・トンネル・橋の繰り返しで
呑吐ダムの手前まで来ます。
現在は湖面になってますので美しい風景ですが山に入ると厳しい急斜面です。呑吐ダムの完成により、山田川の水利権を放棄
します。今の水は呑吐ダムの堰堤の中をはるばる丹波地方の水が流れてきます。山田川頭首工からつくはら湖南の水路は現在は
使われていませんが回を改めて紹介する予定です。
土塁水路 勝尾
2ヵ所目の谷を越えるための土塁水路です。全長130m、高さ5mの土塁が築かれました。
現在はコンクリートの水路橋ですが、当初は木製水路でした。(この部分訂正しています。)
除塵機があります。水路を流れてくる落葉等の塵を取り除きます。除塵機があると下流にはトンネル等があります。
淡河の盆地もここで終わりトンネルに入ります。出口は約1㎞先になります。近づけ無いので写真は冬のものです。
峠
淡河盆地の入り口を川下側から見たとところです。淡河川は右側の高速道路(山陽自動車道から明石海峡大橋へ分岐)の橋
の下をを深い谷を作りで流れています。県道38号線は左側の峠を越えています。
ひょうご情報公園都市
峠を越えれば三木市になります。トンネルの出口はひょうご情報公園都市の中になります。情報公園都市ですがなかなかそ
のような企業は進出してくれず実態は普通の流通・工業団地です。団地の造成に伴い水路は移設されたようです。
ヤクルトの工場やコストコの大きな流通センターがあります。コストコの流通センターの手前当りを通っていると思います。
ここも草ぼうぼうで近づけないので冬の写真です。長さ約1㎞と書きましたが当初は2本のトンネルが逆くの字型にありまし
たが直線化され1本のトンネルになったようです。
ここも草ぼうぼうで近づけないので冬の写真です。このあたりも新しいようです。
このあたりから昔の水路になりますもう少しで御坂サイホンです。
ほぼ山の稜線を短いトンネルがを繰り返し進みます。草ぼうぼうで近づけません。冬の写真です。
御坂サイホンの手前まで
出て来たところに除塵機があります。
ここからは水路に蓋がされています。管理用の通路を兼ねているのでしょうか。
御坂サイホンの上流側の入口に着きました。資料によると海抜134.1mです。淡河川頭首工を135.6mとするとその
差はわずか1.5mです。山岳地帯を避けた水路の工事の代償が世紀の大工事、御坂サイホンとなります。
次回は御坂サイホンを予定しています。
小説タウンハウス 13 御坂サイフォンと御坂神社 淡河川・山田川疏水(淡山疏水)5(2018.9.14)
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