実年大学の歴史倶楽部で行ってきました。
最初に訪れたところは日本寺(にちほんじ)でした。
日蓮上人の日蓮宗のお寺でした。よって、読み方もにちほんじというそうです。
旧中村檀倫といって、檀家はいないそうです。
門を入ると紫陽花がきれいに手入れされてありました。
枯れた花は切り取られていたので、花数は少なくなっていました。
鐘楼の鐘もつかせていただきました。鐘は高いところにあって、下から長い綱を引いて鐘を突くのだが鐘は見ることができません。
案内していただいて寺の二階にもあがりました。
鎌倉時代の枕屏風や徳川が贈ったとされる立派な火鉢や古いものが沢山展示されてありました。
外には水戸黄門様がお手植えになったと伝えられる樹齢400年の大きなモミジがありました。
次に行ったお寺は妙光寺。この寺でも中に案内していただきました。この寺も日蓮宗でした。
近くの学校などが試合の前など多く訪れているようでした。
最後は匝瑳市の飯高檀倫に行きました。
檀倫はお坊さんが学ぶ場所。立正大学の発祥の地でした。
ボランティアさんが案内してくれました。
徳川家康の33回忌に講堂を立てたようでしたが、3年後に焼けてしまいました。
その後復元した建物が今の講堂です。
屋根は銅板ではなくさわらの板を何枚も重ねた板葺屋根でした。
この建物・・・テレビトト姉ちゃんで、常子がお参りに行った建物、東大の大学院生
星野さん(?)が植物を探してのぞき込んでいたところは講堂の前の建物でした。
朝の連続テレビ小説を見ていた時に大きな寺が映された。木場の近辺にこんな大きな寺があっただろうかと疑いながらテレビに見入っていました。
説明を受けて納得しました。
重要文化財もたくさん残っていました。
最初に訪れたところは日本寺(にちほんじ)でした。
日蓮上人の日蓮宗のお寺でした。よって、読み方もにちほんじというそうです。
旧中村檀倫といって、檀家はいないそうです。
門を入ると紫陽花がきれいに手入れされてありました。
枯れた花は切り取られていたので、花数は少なくなっていました。
鐘楼の鐘もつかせていただきました。鐘は高いところにあって、下から長い綱を引いて鐘を突くのだが鐘は見ることができません。
案内していただいて寺の二階にもあがりました。
鎌倉時代の枕屏風や徳川が贈ったとされる立派な火鉢や古いものが沢山展示されてありました。
外には水戸黄門様がお手植えになったと伝えられる樹齢400年の大きなモミジがありました。
次に行ったお寺は妙光寺。この寺でも中に案内していただきました。この寺も日蓮宗でした。
近くの学校などが試合の前など多く訪れているようでした。
最後は匝瑳市の飯高檀倫に行きました。
檀倫はお坊さんが学ぶ場所。立正大学の発祥の地でした。
ボランティアさんが案内してくれました。
徳川家康の33回忌に講堂を立てたようでしたが、3年後に焼けてしまいました。
その後復元した建物が今の講堂です。
屋根は銅板ではなくさわらの板を何枚も重ねた板葺屋根でした。
この建物・・・テレビトト姉ちゃんで、常子がお参りに行った建物、東大の大学院生
星野さん(?)が植物を探してのぞき込んでいたところは講堂の前の建物でした。
朝の連続テレビ小説を見ていた時に大きな寺が映された。木場の近辺にこんな大きな寺があっただろうかと疑いながらテレビに見入っていました。
説明を受けて納得しました。
重要文化財もたくさん残っていました。
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