(書評)
『MOTHER BOOK/bell・net』(葵鐘会(きしょうかい))
妊婦のための日録だが、完璧なアート作品だろう。
妊娠すると、これがもらえるらしい。
(終)
(書評)
『MOTHER BOOK/bell・net』(葵鐘会(きしょうかい))
妊婦のための日録だが、完璧なアート作品だろう。
妊娠すると、これがもらえるらしい。
(終)
漫画の思い出
久松文雄
『少年ジェッタ―』
ある日、電気屋に入って、「タイム・ストッパーをください」と言ったら、若い店員が「それはどんな物ですか」と聞いてきた。説明すると、店員は頷いて「これですね」と出してきた。
「そう、それです」
さて、突然ですが、ここで問題です。
私は何を買いたかったのでしょうか?
「流星号、流星号、応答せよ」
(終)
漫画の思い出
花輪和一(33)
『赤ヒ夜』(青林堂)
『牛耳る女』
疲れる。
これは、つまらん。ただのエログロ。掲載誌のせいか。
『玉の価はかりなき事』
これもつまらん。掲載誌は前と同じ。
*
「アホ みたいね 恋とか愛なんて…」
(『玉の価はかりなき事』)
*
だから何?
『心の影』
「天狗の子」と呼ばれるETみたいな「あの子」に、ある少女が拘泥する。好奇心、慈愛、嫌悪、恐怖など、さまざまの感情が入り混じっている。
*
縄屋の縄助さんが あの子を見て笑っていた。縄助さんが立ちあがってあの子に何か話しかけているようだった。私は庭虫を釣っていた。
「あっ!釣れなかった……。あっ!また釣れなかった……。あっ!また釣れなかった…… あっ!ん?まただ…… あっ また釣れなかった!あっ また釣れなかった…… どうして? あれ? まただ…… ようし! あれ! またつれなかった…… あっ! まただよ…」
*
しつこい。「庭虫」が何か、不明。後で出て来る蚯蚓みたいな化け物か。
*
「あの子も一人ぼっちなんだわ あんなに涙が……」
*
同情したせいで「あの子」は彼女にまとわりつき、少女はうるさがって「あの子」を避けるようになる。
*
「でも どうして こんなに おっかないのかな」
*
母親を後追いする幼児の依存と、後追いされる母親の心労とが、入り乱れている。母親に対する作者の遺恨と愛着が分離できなくなった。しかし、そのせいで、偽の融和が保たれることになる。停戦か。
*
「あんなやつ絶対に 絶対に入ってこられない所へ逃げ込んでやるわよ!」
*
逃げ込もうとした穴は子宮の象徴だ。穴には「あの子」がいる。
作者は、母親への執着を諦めることと、母親から受けた虐待の記憶を薄めることとが、分離できない。そして、一休みしているところだ。
*
「入らなくてよかったわよ」
*
もし、穴に入ってしまえば、どうなっていたか。彼女も「天狗の子」になるのか。あるいは、彼女と「あの子」が合体して「庭虫」になるのか。どちらでもなくて、漫画家になるのかもしれない。
(33終)
『冬のソナタ』を読む
「別れの練習」(下p25~49)
4 指輪
ユジンはサンヒョクと別れたくなる。
*
ユジンは指輪を外した。そして、それをケースにしまい引き出しの奥に入れた。絶対に許さない、と言うサンヒョクの顔を思い浮かべながら、悲しそうに呟いた。
「サンヒョク、絶対にわたしを許しちゃだめよ……」
(下p36)
*
指輪は、捨てたのではない。隠しただけだ。
この後、ユジンはミニョンからネックレスを受け取る。
*
ユジンは、ドアの隣にある鏡に自分の姿を映した。首には北極星(ポラリス)のネックレスが輝いていた。しばらくネックレスを見つめたユジンは、それを見えないように服の胸もとに入れて、荷造りを続けた。
(下p47)
*
ネックレスは隠した。捨てたのではない。しかも、「ケース」に入れたのではない。
*
ユジンはミニョンと、しばらく無言のまま雪の上を歩いた。ミニョンと何度か歩いた道でもあった。
「……わたし、ミニョンさんにごめんなさいって、言うのはやめます」
「……」
ミニョンは無表情のままユジンを見つめていた。
「ミニョンさんはわたしから一番大切なものを持って行ったから……わたしの心のすべてを持っていったから……わたし、謝ったりしません」
(下p48~49)
*
ミニョンはユジンを抱く。
*
サンヒョクとの婚約指輪がふたたびはめられたユジンの手が、ミニョンの背中に回される。震える手でミニョンを抱いていたユジン、振り切って駆け去っていく。
(『冬のソナタ 完全版』第10話)
*
虚飾の指輪だ。
(終)
(書評)
『論理ノート』(ダイヤモンド社)
著者 D.Q.マキナニー 訳者 水谷淳
これは、私が読んだ初心者向けの論理の本のうちで、最も簡単で役に立つ本だ。
と言っても、私が論理学の本を何十冊も読んでいるわけではない。私は論理が苦手で、まともに考えられるようになりたいと思って、初心者向けの論理の本を何冊か読んできた。だが、私に合う本は、ほとんどなかった。
2023年4月28日に紹介した『ロンリのちから』(三笠書房)Book Revue NHK『ロンリのちから』制作班+野矢茂樹『ロンリのちから』(三笠書房) - ヒルネボウは例外だ。ただし、これは高校生向けなので、物足りなかった。
論理学の本には記号がよく出てくる。この本には、記号はほとんど出てこない。しかも、出てくるのは最後の方だ。だから、記号が嫌いな人でも楽に読める。
記号を操るのが得意なだけの人はインチキだ。
論理的に考えるために必要なのは、記号を操る技術ではない。記号化する技術だ。そのことを、この本は教えてくれる。
*
次のように決めつける人がいるかもしれません。私たちは、世界に存在する物を自分の持つ観念を通してしか知ることができないので、私たちが本当に知っているのは自分の観念だけだ、と。しかしそれは間違いです。観念は知識を得る手段であって、目的ではないのです。観念は、私たちと世界とをつなぐものです。観念が明晰であれば、そのつながりは強固になります。自分の観念を明晰にするうえで最も有効な方法は、その観念を通して世界を見つめることなのです。
(同書「第1部 論理的になろう」3 観念とその対象を見つめよう)
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「観念」は道具だ。眼鏡が合わなければ、よく見えない。合わない眼鏡を使うぐらいなら、近視でも裸眼の方がましだろう。だから、多くの人は「観念」を重要視しない。反対に、「観念」を信念に作り替えてしまい、頑固になる人もいる。
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「あなたは私の思想とか意見とかいうものと、私の過去とを、ごちゃごちゃに考えているんじゃありませんか。私は貧弱な思想家ですけれども、自分の頭で纏(まと)め上げた考(ママ)を無暗に人に隠しやしません。隠す必要がないんだから。けれども私の過去を悉(ことごと)くあなたの前に(ママ)物語らなければならないとなると、それは又別問題になります」
(夏目漱石『こころ』「上 先生と私」三十一)
*
ナンセンス。
これは「あなた」から「先生」と呼ばれている「貧弱な思想家」すなわちインチキおじさんの発言だ。これを読んで〈ナンセンス!〉と思わない人に対して私にできることは、何もない。彼らは〈自分は文豪漱石の理解者だ〉という虚栄の牢獄の囚人なのだ。
夏目をインチキおじさんと思わない人は、インチキおじさんだ。インチキと会話すると、こっちまでインチキになってしまう。だから、避ける。
ところで、インチキおばさんも、たまにはいるけど、インチキなのは、大抵、おじさんなんだよな。で、大抵のおじさんはインチキなんだな。なぜだろうね。
GOTO〔『夏目漱石を読むという虚栄』4441 「思想とか意見とかいうもの」夏目漱石を読むという虚栄 4440 - ヒルネボウ/7320 「インチキおじさん」夏目漱石を読むという虚栄 7320 - ヒルネボウ〕
(終)