(書評)
『ヒトラーとは何か』(草思社)
著者 セバスチャン・ハフナー/訳者 瀬野文教
〈ドイツで極右が台頭している〉といった報道がなされている。極右って何? そもそも右翼って何? 右翼は左翼の反対語だ。左翼があるから、右翼がある。逆ではない。
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(フランス革命後、議会で議長席から見て右方の席を占めたことから)保守派、また、国粋主義・ファシズムなどの立場。
(『広辞苑』「右翼」)
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ファシズムって何?
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全体主義的あるいは権威主義的で、議会政治の否認、一党独裁、市民的・政治的自由の極度の抑圧、対外的には侵略政策をとることを特色とし、合理的な思想体系をもたず、もっぱら感情に訴えて国粋主義的思想を宣伝する。
(『広辞苑』「ファシズム」②)
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共産主義は左翼だよね。でも、ファシズムつまり右翼に似てるよね。
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今日多くの人びとは、ヒトラーといえば極右に決まっていると思いこんでいるが、それは安易な考えだ。
もちろん彼は民主主義者などではなかったが、権力の基盤をエリートにではなく、大衆に置くポピュリストであった。見方によっては、絶対権力にのぼりつめた民衆煽動者といえた。彼が用いた最大の武器は煽動であり、つくりあげた支配機構は序列化された階級制度ではなかった。混沌としてまとまりのない大衆組織を、頂点に立つ彼一人がたばねて統括したのである。どこを見ても右翼というより、左翼的性格が濃厚であった。
(同書「第3章 成功」左翼的ポピュリストとしてのヒトラー)
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ポピュリストは、どちらかというと、左翼のようだ。
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1890年代に結成された米国の第三政党。(中略)1896年以後は民主党に吸収されたが、その主張は1930年代ニューディールの基盤となり、米国における第三党運動としては最大の成果をあげた。
(『百科事典マイペディア』「ポピュリスト党」)
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ハフナーは続ける。
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二十世紀の独裁者たちを並べてみると、ヒトラーはどうやらムソリーニとスターリンのあいだに位置する。ややこまかくいえば、ムソリーニよりもスターリンに近い。
ヒトラーをファシストなどと呼ぶのは、まちがいもはなはだしい。ファシズムというのは上流階級による支配であり、大衆の熱狂を作為的に生みだして、自分はその上にあぐらをかくのである。
ヒトラーも大衆を熱狂させはしたが、けっして大衆を離脱して、上流階級にのし上ろうとはしなかった。彼は階級政治家ではなかったのだ。彼が唱えた国民社会主義(ナチズム)は、ファシズムとはまったくちがうものなのである。すでに前章で見たとおり、ヒトラーはが唱えた「人間の国有化」は、ソ連や東ドイツのような社会主義国にぴったりあてはまる。ファシズムの国々では、この「人間の国有化」というのはほとんど進まないか、あるいはまったく欠落しているかのどちらかである。
(同前)
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ムッソリーニはファシスト。スターリンは左翼。
極左と極右は、ぐるりと回って背中合わせ。だって、地球は丸いんだもん。
理由はどうであれ、極右と極左を簡単に区別することはできない。
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たとえば、世界にはさまざまな民族と、さまざまな人種が存在する、などというのは自明の理である。だが「人種」という言葉は、ヒトラーが使って以来口にしてはいけない禁句になってしまった。昔は国家・民族といった場合、一国家・一民族という考え方、つまり国民国家の考え方が支配的であり、望ましいものと思われた。また国家と戦争は切っても切り離せないものだった。こうした言葉や考え方は、ヒトラー以後疑問視されるようになった。だが人種差別や戦争をどうやって廃止すればいいか、その答えはいまだに見つかっていない。
(同書「第4章 誤謬」ヒトラーの世界観はどこから生まれたのか」
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「考え方」は最近の流行語。〈考え〉が適当。
続き。
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なぜこんな例をひきあいにこんなことを述べるのかというと、それはヒトラーがいったり考えたりしたことを、ただそれがヒトラーによるものだというだけの理由で、ただちに論外だと却下してしまう危険を警告したいがためである。民族や人種の実態を口にしただけで、国民国家に言及しただけで、戦争の可能性を示唆しただけで、まるで幽霊でも見たかのように「それはヒトラーだ!」と叫んで言葉をさえぎられてしまうということの危険を指摘したいがためである。
ヒトラーが計算まちがいをしたからといって、数字そのものを廃止するわけにはいかないだろう。
(同前)
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ドナルド・トランプが〈ヒトラーも良いことをした〉と言ったらしい。本人は否定しているが、〈ヒトラーを肯定した〉と報道された。
話が外れる。今私の用いた〈否定〉と、報道の〈肯定〉は、反対語か? 違う。この〈肯定〉は意味不明だ。こうした意味不明の〈肯定・否定〉を、よく目にする。「私はダーウィニズムを全面的には肯定しない」の「肯定」は「agree」の訳語(『新和英大辞典』「肯定」)だ。「その計画には肯定的な意見が多い」の場合、「positive(favorite)」(『ジーニアス和英辞典』「肯定」)だ。「物事を肯定的に考える」では、「bright」(『オーレックス和英辞典』「肯定」)が用いられている。他にも、「accept , confirm,approve」などがある。私の〈肯定・否定〉は「affirmative・negative」だろう。要するに、単純な意味だ。
さて、正確ではないトランプの発言を、国際政治学者で元都知事が擁護したそうだ。すると、ドイツ人だったか、歴史か何かの専門家が〈ヒトラーに長所があるとしても、小さなことだ〉と反論したらしい。この反論は詭弁に等しい。
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記録によるとヒトラーは「この点に関しても私は非情冷酷なのだが」とことわったうえで、こう打ち明けたのである。
「もしドイツ民族がひとたび精強さを失って、民族の存続のためにおのれの血を流す覚悟がなくなってしまったのならば、そのときは滅びてしまうがいい。他のより精強な民族によって滅ぼされてしまえばいいのだ。そんなドイツ民族に、私はいささかの未練もない」
(同書「第5章 失敗」ヒトラーはなぜアメリカと戦ったのか)
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この宣言は、単なる強がりではなかった。
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「戦争に敗れたということは、国民も敗れたということだ。ドイツ国民が生きてゆくのに最低限必要な生活基盤など心配してやる必要はない。逆に生活の基盤など破壊してしまったほうがいい。この民族は弱かったのだ。東方の強い民族にこそ未来はある。戦いが終わって生き残るのは、どうせだめなやつらばかりだ。優秀な人間は死んでしまったのだから」
(同書「第7章 背信」「この民族は弱かったのだ」)
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同胞などに対する怨念を想像できない人に、ヒトラーの特性は究明できまい。
怨念を自覚したくない人は、怨念を表現するヒトラーのような人を憎むのだろう。
ある種の頑固者を毛嫌いする人は、別種の頑固者だ。
ミイラ取りがミイラになるかもしれない。だが、そんな覚悟をせずに批判など、やるべきではない。
〈強権主義と民主主義の対立〉などという見出しに、確かな意味はない。〈闇の世界政府〉などに確かな意味がないのと一緒だ。実在するかどうか、ではない。明確な意味がないのだ
意味がなければ、真偽も正邪も判定できない。
たとえば、神が実在しなくても、神の物語はあるから、神という言葉に意味はある。極右の物語がなければ、極右という言葉に意味はない
〈意味〉の意味が共有されていないのなら、いくら書いても無駄だ。
ところで、『わが友ヒットラー』(三島由紀夫)は読んだ?
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(終)